トップに戻る

茨城城郭サミット最終回を開催!
―1135か所の城館跡から見る常陸の中世社会

 茨城県内の中世城館の調査成果を共有する「茨城城郭サミット」の最終回となる県南・鹿行編が、2月14日、鹿嶋市で開催されました。基調講演のほか、県南・鹿行各地の城館跡とそこから見えてきた中世社会についての報告やパネルディスカッションが行われました。会場には、研究者や自治体関係者、歴史愛好家ら570人が集まり、城館を通して地域の歴史への理解を深めました。

壇上に並ぶパネリストたち

茨城県中世城館跡総合調査

 茨城県教育委員会は、2018年度から5年間「茨城県中世城館跡総合調査」を実施しました。茨城大学人文社会科学野の高橋修教授が委員長を務めたこの調査では、県内に残る中世の城館跡を網羅的に確認する悉皆調査が行われました。特定の有名な城だけを対象とするのではなく、地域に残る城館跡をできる限り把握することを目的としたものです。その結果、県内では1135か所の城館跡が確認されました。

 こうした成果を発信する場として、高橋教授が発案したのが「茨城城郭サミット」です。2024年2月に笠間市で県央・県西編、同年12月に常陸大宮市で県北編を開催し、そして今回、鹿嶋市での県南・鹿行編が最終回となります。

 悉皆調査にあたっては、大学などの歴史研究者や自治体の文化財担当者だけでなく、地域史研究者や城郭愛好家など市民研究者の知見が重要な役割を果たしました。このサミットにも市民研究者が発表や議論に参加しており、専門研究と地域の知見が交わり、調査成果を広く社会と共有する場となってきました。

茨城城郭サミット県南・鹿行編

会場の様子

 毎回大人気の城郭サミット。今回も駐車場には、県内だけでなく、春日部や千葉、宇都宮、川崎などの県外ナンバーが集まっていました。
 受付では講演や報告内容や関連資料をまとめた冊子と、数量限定で「茨城県中世城館地図―県南・鹿行編―」が配られました。
 ホワイエには研究冊子や書籍の販売ブースがありました。さまざまな団体が出展し、聴講者や出展者同士で交流する様子がありました。

にぎわう販売ブース
にぎわう販売ブース

基調講演:神宮の武士団、頼朝の武士団

 今回のサミットは、「第20回茨城大学人文社会科学部地域史シンポジウム」と、「令和7年度鹿行地方歴史講演会」を兼ねて開催され、司会を人文社会科学部の学生が務めました。

司会を務めた学生
司会を務めた学生

 記念講演は、外部講師をお招きし、サミット開催地の中世史を題材とてきましたが、今回は、高橋教授が「神宮の武士団、頼朝の武士団―武家政権成立史の中の鹿島―」と題して登壇しました。壇上に高橋教授の姿が見えると、会場は拍手に包まれました。

 1180年に源頼朝が挙兵した際、北関東、特に常陸国内の政治情勢は流動的で、頼朝を支持する勢力は限定的でした。一方、鹿島神宮領の武士団である鹿島氏と行方氏は、早くから頼朝方の立場を明確にしていました。これは「常陸平氏の大勢に従わない特別な選択」で、「この動向は注目に値する」と高橋教授は言います。

講演する高橋修教授
講演する高橋修教授

 背景には、神宮を氏神とする藤原摂関家に仕えた河内源氏の嫡流である頼朝による鹿島信仰があると考えられます。鎌倉時代に編纂された歴史書『吾妻鏡』には、鎌倉幕府ゆかりの鶴岡八幡宮を除けば、箱根神社と伊豆山神社(あわせて二所神社)と並ぶ頻度で鹿島神宮が登場します。高橋教授は「(鎌倉圏外の)関東の神社でこれほど登場するところはない」と指摘し、挙兵後の頼朝は、「鹿島神宮に働きかけ、そこに集う軍事勢力を傘下に収めたのでは」と分析しました。
 鎌倉幕府成立史においては、東国で頼朝を支える人脈として①伊豆の親族など②相模・武蔵に父や兄が残した主従関係③乳母一族――が注目されていたが、「ここに鹿島神宮を核とするネットワークを加えることができるのではないか」と提起しました。

資料を開いて熱心に高橋教授の話を聞く来場者たち
資料を開いて熱心に高橋教授の話を聞く来場者たち

成果報告:県南・鹿行編

 お昼休みを挟み、午後は6件の成果報告が行われました。前半は県南、後半は鹿行地区に関する報告です。学芸員や博物館職員などの研究者だけではなく、日ごろは別の仕事に携わりながら研究を続ける発表者も登壇しました。

テーマ 報告者(敬称略)

南地区の中世城館跡―構造・水運・境界―

千葉 隆司
常陽藝文センターシニアマネージャー(学芸員)

牛久城を攻めるための城館―多賀谷氏の陣城を中心に

広瀬 季一郎
つくば市教育委員会

塙城跡―常総の内海に築かれた巨大防塁―

西山 洋
茨城城郭研究会

鹿行地区の中世城館跡―その特色と防衛戦略―

岡田 武志
茨城城郭研究会

「南方三十三館」の虚像と実像

中根 正人
国立大学法人筑波技術大学職員
※当日は急病により欠席

発掘調査成果にみる鹿行の城館遺跡

比毛 君男
土浦市上高津貝塚ふるさと歴史の広場副館長

「塙城跡―常総の内海に築かれた巨大防塁―」について報告した西山さん
「塙城跡―常総の内海に築かれた巨大防塁―」について報告した西山さん

パネルディスカッション

 報告の後は、発表者に加え、中世城郭史が専門の東北学院大学・竹井英文教授をパネリストに加え、パネルディスカッションが行われました。
 コーディネーターの高橋教授が、成果報告会を踏まえてパネリストたちにそれぞれの考えや感想を聞き、講演や報告を受けて会場から寄せられた質問にも答えました。

パネルディスカッションの様子

 「県南・鹿行地域の城郭の特徴は」「陣城の見分け方は」「なぜこの地域に中小領主が群集したのか」など話題は多岐にわたり、高橋教授とパネリストとの意見交換によって新たな視点が生まれる場面もありました。

総評

 締めくくりに、竹井教授が総評を行いました。「茨城県中世城館跡総合調査報告書」の成果について、多くの城館跡を新発見しその現状を把握できたこと、膨大な発掘調査の成果を集約できたことを挙げました。そして、かなりの数の城館跡を縄張り図で記録化できたことは特筆されるべきと指摘しました。「縄張り図を描ける人材は全国的にも少ないが、茨城城郭研究会や茨城大学中世史研究会など高レベルの縄張り図を描ける人材がそろっているという、茨城県の大きな財産を生かしたものだ」と評価しました。そのうえで、「茨城県の城館跡とは何か」という地域的・広域的な研究の推進や、小規模城館の価値付け、それを含めた保存・整備に期待を寄せました。

総評する竹井教授
総評する竹井教授

 高橋教授は「用水が引かれ、水田が拓かれ、港湾が作られ、宿が形成され、信仰の場が用意され、日常生活が充実していき、それを守るために城郭が作られていく。こうした地域社会の成り立ちの中に中世という時代を位置付けることができるようになったのは、中世城郭研究の大きな功績だと思う。すべてを文化財として指定できるわけではないが、先祖が築いてきた価値あるものとして認識しておくことが必要なのは間違いなく、もちろん小規模な城館も含めた保存・研究にも意義がある」とまとめました。「これで城郭サミットは終了です。皆さんに厚く御礼申し上げます」と高橋教授が述べると、会場が拍手に包まれました。

研究者の情報

この記事をシェアする