茨大生として取り組み始めた研究が世界の耳目を集める発見へと展開。食糧危機と気候危機、2つの課題解決につながる微生物を追い、今日も圃場に立つ。(取材・構成:茨城大学広報・アウトリーチ支援室、撮影:小泉慶嗣)
体長わずか2ミクロンの微生物との出会いが、人生を大きく変えることがある。
応用生物学野の迫田翠助教は、茨城大学の卒業生だ。修士・博士課程も阿見キャンパスで過ごし、博士号取得後に教員のポストを得た。北海道生まれ、茨城県龍ケ崎市育ち。母親やペットの影響もあって動物に興味を持ち、高校時代の得意科目も生物。人の役に立つ応用的な研究をしたいと思い、農学部進学を選んだ。
入学当初は遺伝子組換え技術に関心があったが、学部2 年生のときに受講した持続可能な農業をテーマにしたオムニバス授業が迫田の意識を変えた。 「遺伝子組換えなどで新しいものを生み出すより、今ある資源にまだまだ素晴らしいものがあって、それを生かしてどうやって持続可能性を考えるかということに目が向くようになりました」。
その後、西澤智康准教授(現教授)の研究室に配属され、土壌微生物学の世界へ足を踏み入れることとなった。
「微生物を利用して農業の環境負荷の低減を目指しているところが私の興味に合っていると感じたんです」。この時期西澤は、「KH32C」と名付けられた微生物に注目しはじめていた。イネの根の表面にくっついて成長を促す機能をもち、さらに環境汚染物質の一酸化二窒素を減らす脱窒作用ももつ。迫田もその研究に取り組むこととなった。
その頃、微生物研究の分野でも気候変動対策への関心が高まりつつあった。「肥料なしでよく育つとしても、温室効果ガスの発生も増えてしまっては仕方ないよね。調べてみよう」。持続可能な農業と微生物の関係を探究してきた西澤が、迫田に水田のメタン測定の課題を示したのも必然だった。
メタンは農業の生産過程で必ず発生する物質だが、同量の二酸化炭素の約27倍もの温室効果をもつ。そのため世界中でその抑制のための研究が取り組まれており、メタンを直接分解する微生物もたくさん報告されている。しかしそれらを土壌に移しても、思うようにはメタンは減らない。あるいは作用が強すぎて土壌の生態環境自体が変わり、生産が持続不可能になってしまう。
「KH32Cがメタン発生に対して影響するなんて正直考えていませんでした」と迫田。ところが予備試験で水田からのメタンの発生が約2割減少していることが確認された。「最初は間違いかと思った」が、その後の正式な試験でもほぼ同じ結果に。KH32Cは、作物の成長促進とメタン抑制の「二刀流」微生物である可能性が示された。
「実験室での研究は好きでしたが、圃場の実験は手間がかかるから苦手だったんです」と言う迫田だが、もはや進むしかない。他の機関へ、農地の温室効果ガスの測定方法を学ぶ「修行」に出向き、「苦手」な圃場実験に果敢に取り組んだ。5期間にわけて54のサンプルを採取。1回の圃場実験で扱うサンプル数としてはかなりの数だ。わかってきたのは、土壌中のメタン生成古細菌(Methanogen)の働きが低下し、メタン酸化細菌(Methanotroph)が活性化するという変化があるらしいということ。しかもKH32C自身は土壌に残らず、環境への影響も少ない。迫田はその成果を博士論文にまとめ、西澤らとともに査読論文として発表。食糧危機と気候危機の2つの課題に貢献する微生物の存在を、世界に初めて示した瞬間だった。
KH32Cとの出会いから数年後、迫田は茨城大学の教員となり、話はさらに大きく展開する。ある日、西澤教授のもとに届いた一通のメール。それは、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツ氏が当時の妻と設立した現・ゲイツ財団からのものだった。財団は食糧問題と気候変動の解決に資する研究を探しており、迫田らの論文に注目。日本円で約5 億円という大規模な助成のオファーとともに、インドとコロンビアの研究者との協力を提案された。「まだしばらく国内でエビデンスを積み上げるつもりが、いきなり国際プロジェクトになっちゃったんです」と迫田は語る。
インドのような人口の多い地域でKH32Cのメタン抑制効果が証明されたら、相当なインパクトだ。世界の農業分野からの温暖化対策に貢献できる。
「KH32Cを接種したイネを育てる水田のメタン排出を初めて測定したとき、もし減少が確認されなかったら、私の人生は全く違ったものになっていたと思います」。
かつては苦手にしていた圃場に今は積極的に立つ迫田。師であり同僚となった西澤とともに、地球規模の課題に挑んでいる。
Profile
応用生物学野 助教 迫田 翠 (さこだ・みどり)
2017 年茨城大学農学部卒業。2019 年茨城大学大学院農学研究科修士課程、2023年東京農工大学大学院連合農学研究科博士課程をそれぞれ修了。博士(農学)。専門は環境農学。農学部では地域総合農学科の教員として「作物学」などの授業科目を担当。「子どもの頃から習っていた琴を最近また弾くようになりました」
研究者の情報
ときには何十年、何百年後の未来を展望しながら学問、真理を追究する研究者たち。茨城大学にもそんな魅力的な研究者がたくさんいます。
研究者自身による寄稿や、インタビューをもとにしたストーリーをお楽しみください。

