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やがて消えゆく状態が熱の流れによって安定化することをシミュレーションで実証
―大域熱力学が拓く新しい非平衡制御―

 過冷却・過加熱状態は、温度が一様の環境ではやがて消えてしまう状態として知られています。高知工科大学の小林未知数准教授、茨城大学の中川尚子教授、京都大学の佐々真一教授は、熱流下の相共存状態に対する精緻な数値計算により、これらの不安定な状態が安定に存在し続けられることを実証しました。この結果は、熱流の影響を受ける物質の性質を取り扱う「大域熱力学」を検証する最初の例にあたり、物質の性質を熱の流れで制御する方法の開拓につながります。
 この成果は、2023年6月16日、米国の国際学術誌Physical Review Letters に掲載され、 Editors' suggestion に選ばれました。

>>詳しくはプレスリリースをご覧ください

研究の背景

 物質には固相、液相、気相など様々な性質に応じたマクロな相があり、例えば1気圧の水は0℃以下で固相の氷に、100℃以上で気相の水蒸気になります。このように相が変化する温度を転移温度と呼びます。図1(左)のように水と水蒸気が相共存できるのは、転移温度、つまり1気圧では100℃のときだけとされています。この制約は、温度が一様な物質の性質を記述する平衡熱力学や平衡統計力学によって説明されます。一方、マクロな流れがあるときに、この相共存についての制約があるかはわかっていません。例えば、図1(右)のように、上側を100℃以上に温めて水蒸気に、下側を100℃以下に冷却して水にしたとき、気体と液体の境界(界面)の温度は100℃でしょうか。これを実験的に検証した報告はありません。

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図 1:1気圧100℃の水による気体と液体の共存状態(左)と熱が流れているときの気体と液体の共存状態(右)

 もし水蒸気と水の間の界面の温度が100℃でないならば、何が起きるでしょうか。平衡熱力学によれば、100℃より低温の水蒸気は過冷却気体とよばれる不安定な状態で、ちょっとした刺激が加わると一気に安定な状態へと変化します。冷凍庫で 4 時間ほどミネラルウォーターを冷やした後、コップに注ぐと瞬間的に凍りつきます。あるいは電子レンジで水を温めて取り出した瞬間に沸騰することがあります。これらはそれぞれ過冷却な水、過加熱な水が刺激によって急激に安定な相に変化した例です。もし図1(右)で水蒸気と水の間の界面の温度が100℃でないならば、過冷却な水蒸気や過加熱な水が熱の流れで安定化していることになります。
 本研究に先立って中川教授と佐々教授により提案された「大域熱力学」では、図1(右)での界面温度は100℃より低温と予言されました。熱の流れがあると、97℃の過冷却な水蒸気でも安定に存在できると主張しています。大域熱力学は熱流下での相共存状態を記述する新しい熱力学の枠組みとして提案されましたが、その妥当性は実験でこの予言を確認することに委ねられています。また、熱流下での界面の温度を分子レベルから説明することは、理論的にも挑戦的課題になっています。

研究内容・成果

 本研究では、数値実験に先立ち、分子レベルのミクロな運動にもとづいたシミュレーションモデルとして「ハミルトン・ポッツ模型」を考案しました。図2(左)にこの模型のイメージを示します。分子の状態は色で表現され、たくさんの分子が作る場が空間的に広がっています。各分子は様々な色に変化することができ、温度が低いときには全ての分子がほぼ同じ色、温度が高いときには全ての分子がばらばらの色になります。これらはそれぞれ秩序相および無秩序相と呼ばれます。秩序相から無秩序相への転移温度では、秩序相と無秩序相が共存します。この温度が、1気圧の水の転移温度の100℃に対応するものです。
 この模型の大規模シミュレーションにより、以下のことを順番に確認しました。まず、上側に無秩序相、下側に秩序相となる相共存状態をつくり、熱が流れていない平衡状態で転移温度を決定しました。次に、図2(左)のように相共存状態に上側から下側に熱を流し、定常状態をつくって界面の位置と温度を計測しました。この結果をあらわしたのが図2(右)です。界面位置0では界面が一番下にあり、全体が無秩序相で埋めつくされています。界面位置1では界面が一番上にあり、全体が秩序相です。青点線は温度が一様で熱の流れていない平衡状態の転移温度で、界面位置によらずに一定です。印は熱が流れている場合の界面温度で、界面位置が全体の中央部分に近づくにつれ、平衡状態の転移温度よりも高温になっていることがわかります。

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図2 ハミルトン・ポッツ模型のイメージ図(左)。界面の位置に対する界面温度のプロット(右)。熱が流れる系(印)のシミュレーション結果と大域熱力学による理論値(印)。青点線は熱が流れない平衡状態での転移温度。差し込み図:界面位置0.5のときのシミュレーション結果と理論値の差の熱流依存性。

 界面の温度が平衡状態の転移温度より高いということは、界面の近くに過加熱の秩序状態が安定に存在していることを意味します。温度が一様な平衡状態では、過加熱の秩序状態はやがて消えて無秩序状態に変化します。このような不安定状態が熱流下で安定に存在できると観測されたのは世界で初めてのことです。
 大域熱力学は熱流がある状態での界面温度を線形応答の範囲で定量的に予言することができます。図2(右)の印は、界面位置に対する界面温度の大域熱力学予想値で、ハミルトン・ポッツ模型のシミュレーション結果とよく一致しています。グラフの中央で観測されるずれは、差し込み図にあるように、熱流の大きさについて線形応答を越えた、非線形な応答による寄与になっています。つまり、熱流についての線形応答の範囲では、両者は完全に一致することが分かりました。

今後の展望

 平衡で不安定な状態が熱流によって安定化する現象は、実験室ではまだ観測されていません。自然に存在する物質でこの現象が観測され、さらに、様々な物質に適用されるようになると、平衡では安定に実現できない過冷却状態や過加熱状態を実験的につくりだすことが可能になります。この制御は弱い熱流によるものなので、基本的な物性を大きく変えることなく、その安定性をソフトに制御することに特徴があります。このような実験研究の進展は技術的発展と新たな応用対象を生み出すと期待されます。
 20世紀初頭にマクロな熱力学とミクロな力学をつなぐ体系として統計力学が確立することで、多様な物性の予測が可能になりました。ソフトな非平衡制御による物性変化を予測するには、大域熱力学と分子の世界の記述をつなぐ統計力学を構築することが課題になります。

論文情報

タイトル:Control of metastable states by heat flux in the Hamiltonian Potts model 
(ハミルトン・ポッツモデルにおける熱流による準安定状態の制御)
著者:Michikazu Kobayashi, Naoko Nakagawa, and Shin-ichi Sasa
掲載誌:Physical Review Letters
公開日:2023年6月16日
DOI:https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.130.247102