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茨大農学部の和牛に県内1位の市場価格が付いた理由
―教育・研究目的との「二本柱」の循環

 農学部附属国際フィールド農学センターで飼育された雌牛が、昨年12月のJA全農いばらきの家畜市場で初めて最高値を付けました。280kg761000円。その日出荷された約150頭の雌牛の中で断トツの1頭となり、「横綱」の番付を獲得しました。
 かつては農家からもあまり期待されていなかった「大学の牛」が、今では一目置かれる存在になりつつあります。しかしここに至るまでの道は決して平たんなものではありませんでした。

牛の登録作業からのスタート

 国際フィールド農学センターのほぼ中心部に設置された牛舎。そこで飼育される牛たちの中には、ユニークな名前を付けられたものも多い。たとえば「綺世(あやせ)」。サッカーW杯の日本代表の上田綺世選手(水戸出身)に因んでつけられた。名付け親はサッカー大好きな女性の学生だ。

ウシ

 学生たちが牛の出産に立ち会えるようなタイミングが訪れると、飼育を担当している技術職員の路川強さんから、交流のある学生たちにメールやLINEが送られてくる。出産介助を経験した学生には、その牛の「命名権」が与えられる。先日出荷された「柴田」という牛は、名付け親となった学生が、自身の名前ではなく友人の名前を付けたものだった。自らの手で分娩を手伝い名前まで付けた牛への愛着はひとしお。路川さんは学生とのこうした交流を大切にしている。

 路川さんが茨城大学の農場の技術職員として着任したのは、2010年のこと。それまでは全く別の業種に就いており、農業の仕事は初めてだった。
「農業をやりたくて、勉強できればと思って探していたところに縁がありまして。前任者にくっついて、しばらくは修行のような状態でした」

cow_03技術職員の路川強さん

 茨大農学部の農場ではかつては和牛ではなく乳牛が飼われていた。しかし毎日の搾乳が必要となる乳牛は大学の農場で飼育するのが難しく、30年ほど前に肉牛に切り替えられた。
 路川さんの着任の少し前、畜産学を担当する教員として2004年に茨大農学部の農場にやってきたのが、小針大助准教授(当時は助手)。ほぼ同期、同世代の小針准教授と路川さんの信頼関係が、茨大の牛たちの大躍進につながるのだが、それはまだ先の話。最初は厳しい状況だった。
「世界的なBSE(いわゆる「狂牛病」)の問題があったあと、牛の個体識別番号を登録する制度が始まっていたのですが、私が着任したときにはまだその対応が十分にできていなかったんですね。そのままでは和牛の品質や血統を証明することが困難になり、出荷が制限されるようなリスクもあったので、路川さんと5年ぐらいかけて更新作業をやっていきました」

外からの情報収集

 肉牛の畜産農家には繁殖農家と肥育農家とがある。繁殖農家では種付けを行い、10カ月ぐらいまで育てて出荷する。その牛を肥育農家が購入して育てあげ、それが産地や質に応じてたとえば「常陸牛」などと呼ばれることになる。茨大では繁殖を行っており、現在15頭の母牛がいる。

 市場で高値がつく良質な子牛を繁殖する上で重要なのは、良い母牛と、その牛に人工授精させる良い「種」、すなわち精子の組み合わせだ。人工授精の作業自体は「家畜人工授精師」が行う。路川さんは、そうした人工授精師や市場で出会う生産者からの情報収集に余念がない。
「売れる牛というのは市場に行くとはっきりわかりますから、人気の牛、成績のいい牛の種を、受精師さんと相談しながら選び、種付けしていきます。トラブルがあれば獣医さんに聞き、市場では農家の先輩方ばかりですから、みなさん先生のようなもの。聞けば何でも教えてくれますし、私も遠慮しない性格なので、いい関係性ができていて、たくさん情報が得られています」(路川さん)
 小針准教授も「家畜はその場でオークション方式で値段が決まりますから、変なものは出せません。これまで、最安値を記録するような悔しい思いも何度もしてきました。だからこそ普段からアンテナを張って、外部の方との日々の情報交換や交渉からトレンドを敏感にキャッチすることが大事なんです」と語る。

 その意味では、まったく異なる業種から大学農場へと飛び込んだ路川さんの、謙虚さと人懐こさによる情報収集力とその情報活用の積み重ねが、牛の品質向上につながっていったのだ。

教育・研究と市場価値の循環

 収益を求める専業農家の牛に対し、教育・研究を第一とする国立大学の農場の牛は、基本的には教員の動物実験や学生の実習に対応できれば良いという側面がある。加えて技術職員も基本は週5日勤務、牛舎のそばで寝泊まりしているわけではない。そうした環境で育つ「大学の牛」に対して、市場関係者の期待は一般的に高くない。

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 一方、路川さんは、教育・研究に資するためにも、「少しでも良い牛、良い肉に育ってほしい」という強い願いを持って牛たちに接してきた。だから、教員や学生たちが実習や研究の目的で牛の体重を測定したり、血液を採取したり、爪を切ったりすれば、そこで得られるデータも貪欲に求め、飼育に活かしていく。こうした機敏な飼育管理は他の農家にはない強みともいえる。学生たちも重要なパートナーなのだ。
「大学のお金でやらせてもらっていますから、教材としてちゃんと活用していただくことは大事です。ウンチが欲しいでも血が欲しいでも、リクエストにはなるべく応えるようにしています。学生たちもいろんなテーマの研究をしていて、いきいきと話をしてくれるので、そのやりとりも楽しみなんです」と、路川さんの表情に笑顔がこぼれる。学生たちの出産への立ち合いも、貴重な場に触れさせたいという路川さんの思いから実現したものだ。出産は夜間に行われることが多いが、路川さんは「昼間分娩」という特別な管理法を導入した。
「教育・研究に役立つということと、出荷して高く売れるということは、どちらも大事。結局はこの二本柱なんですよね」

 実はこの「二本柱」を成り立たせることが、簡単なようで難しい。全国の大学の農場を見てもそれがうまくいっているところは多くないという。実験や学生の実習のためと割り切れば、品質の向上は二の次になってしまう。しかし、品質が低い牛は、結局のところ実験や教材の対象としての質も下がることになる。だから、教育・研究という目的と、市場価値の向上は、どちらか一方しか成立しないというトレード・オフの関係ではなく、どちらも実現するような好循環をつくることが望ましい。そして、強い信頼関係で結びついた小針准教授と路川さんのパートナーシップと、そこに集まる学生たちの関わりは、その奇跡的な「好循環」を茨大の農場にもたらしたのだ。

cow_05小針大助准教授

 その顕著な成功例が、「放牧」の実現だ。小針准教授の研究領域のひとつが「動物福祉(アニマル・ウェルフェア)」。動物の精神的・肉体的な健康を重視し、人間が家畜に与える苦痛やストレスを最小限に抑えるような待遇を重視するという考え方だ。狭い牛舎にずっと閉じ込めておくのも、動物福祉の観点からは望ましくない。そこで小針准教授は、大学の農場内でも牛をのびのびと放牧させることができないだろうかと路川さんに相談してきた。路川さんはその相談に応え、牛舎の周りに少しずつ放牧地を広げていった。そうして放牧が始まると、牛の状態がみるみる良くなっていった。

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「牛にとって相当プラスだと思います。泥だらけの牛舎にいるのとは違って体がきれいになりますし、運動するので健康状態もいい。それにエサ代も低く抑えられます」(路川さん)

 ただし、近年心配になっているのが熱中症。暑熱環境は牛にとっても大きなストレスとなり、ぐったりと体調を壊す牛もいる。今後、小針准教授と路川さんとで研究を進めながら対応をしていきたいという。
「教員だけでなく、技術職員も一緒に研究を行うことで、農場の質をさらに高めていきたいんです。牛たちをなんとか飼育しなければならないというレベルから、もっと良くするために何ができるのかというセカンドステージへようやく上がることができてきました」(小針准教授)

続く快挙とこれから

 こうした長年の取り組みの結果、子牛の出荷時の体重も市場の基準となる300kg前後で安定するようになり、目標の10頭近くを年間で出荷できるようになった。そして昨年12月の県内の家畜市場の雌牛の部では、ついにその日の最高額での落札を記録し、「優良出荷者賞」を獲得。さらに今年3月の競りでも、今度は去勢牛の部で5番目の好成績を収めた。「新しい景色」が見えてきている。

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 もっとも、最近の快挙はこれだけに留まらない。茨城県の肉用牛研究所では、毎年特定の種雄牛の能力を検定し、優秀な種雄牛を選抜している。全県で6頭の子牛が検定候補牛として選ばれるこの仕組みで、今年、茨大の牛が2頭も選抜された。2頭同時は初めてのことだ。
「血統や遺伝が大事なのは確かなのですが、その遺伝的な能力がちゃんと発現されるような飼い方がされていることも重要です。私たちの農場が、まさにそういう飼育ができているものとして評価されているんです」(小針准教授)

 順風満帆に見えるが、国立大学の財政状況は年々厳しさを増しており、さらに最近のエネルギー価格高騰で飼料価格も上がっている。家畜の飼育体制の持続は全国の大学で大きな課題となっている。
 そうした中、農学部では2022年度から「農学分野データサイエンス教育プログラム」がスタートし、農場にさまざまなデジタル設備が導入された。牛たちが首からかけているセンサーもそのひとつ。牛の休息、反芻、歩行の時間のデータが農場内のサーバに送信され、路川さんたち職員はそれをスマートホンなどのデバイスでチェックできる。たとえば休息が55%を超えると疾病が疑われ、その情報がメールで届く。
 こうした最新の仕組みも活かしながら、飼育管理の質を高め、地域における生産の「モデル」となるような農場を目指したいという小針准教授。「現場と研究をつなげることで存在意義を高めていきたい」。茨大農場のチャレンジは続く。

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(取材・構成:茨城大学広報室、写真提供(一部):農学部)