「日本学術会議」と関わって見えた科学と社会の関係の課題
―学術会議inつくばとGサイエンス学術会議に登壇した三村信男前学長に聞く
日本のナショナルアカデミーである「日本学術会議」のあり方について社会的な議論が続いています。この問題は学問と政治の関係だけでなく、大学の役割や科学に対する社会の認識についての課題も浮き彫りにしています。
そうした中、茨城大学の前学長である三村信男・地球地域環境共創機構(GLEC)特命教授が、日本学術会議が主催した2つのイベントに登壇しました。ひとつは地域を舞台とする「日本学術会議inつくば」(2月15日)、もうひとつがG7サミットと時期を合わせてG7各国のナショナルアカデミーの代表者が集まった「Gサイエンス学術会議2023」(3月7日)です。今回の経験を踏まえ、三村特命教授は日本学術会議や科学と社会のあり方をどう見ているのでしょうか。
(聞き手:茨城大学広報室 山崎 一希)
―三村先生と日本学術会議の関わりは?
三村「私は会員の経験はありませんが、20数年前に国際的な研究プロジェクトへの参加を通じて学術会議の取り組みに深く関わりました。当時の地球環境問題に関する大きな国際研究プログラムのひとつにIGBP(地球圏・生物圏国際共同研究計画)というものがあったのですが、その日本の窓口を日本学術会議が務めていて、IGBP専門委員会が立ち上がっていました。そのメンバーを務めた米倉伸之先生という著名な地理学の先生から声がかかり、IGBPの中で、沿岸域の陸と海の関係に着目したLOICZという研究プログラムに私も加わることになったんです。サンゴ礁、海洋、マングローブとかいろんな分野の研究者が集まって貴重な経験ができました」
―日本学術会議というと科学政策に関する議論や提言をしているというイメージが強いですが、そうした国際的な研究プロジェクトのプラットフォームのような機能も持っているんですね。
三村「ええ。グローバル規模の研究プロジェクトが増える中で、学術会議の『窓』の役割はとても重要です。学術会議は政府機関だから、プログラムの運営のための拠出金を文科省に要求できる立場にもありますしね。国内のメンバーで議論していても、世界の動きや国内での対応についてスムーズなやりとりができるわけです」
―そういう機能はあまり知られていないようにも思います。そして今回、久しぶりに学術会議の活動に関わったということですね。
三村「学術会議の会員で、ICHARM(土木研究所水災害・リスクマネジメント国際センター)のセンター長を務めている小池俊雄さんから依頼を受けました。ひとつが、つくば市の防災科学技術研究所を会場に行われた『日本学術会議inつくば』での基調講演です。学術会議では『in●●』という形で、実はいろんな地域に出ていってシンポジウムを開催しているんですね。今回はテーマが『持続的かつレジリエントな道筋への移行』というもので、気候変動と防災を結び付けるという視点で企画されました。市民活動、行政、民間企業、学術分野のそれぞれの領域で目立つ活動をしている気候変動の関係者と防災の関係者が集まって議論をしました。写真を見ると壇上の人の数がすごいですね」
―貴重な機会でしたね。
三村「学術会議が、地域や市民と一緒に関心の高いことについて議論することで、科学と実社会を結び付ける点に着目したのは高く評価すべきだと思います。また、防災と気候変動をつなぐのが大事ということですが、つくばには国立環境研究所と防災科学技術研究所があるわけで、そういう同じ地域の研究機関同士で一緒にイベントなどをやる機会がこれまでなかったのかと聞いてみると、今回が初めてだというんですね。
今回は地域や研究機関に刺激をもたらすという点では良かったと思うのですが、では、それを継続して、さらに組織的に発展させるという保証は誰がもつのか。それが次の課題です」
―そうしたオーガナイザーの役割まで学術会議が果たすべきなのか、それとも学術会議としては今回のように火をつけるまでなのか......
三村「学術会議が常に様々な課題のオーガナイザーをやっていくというのは無理がありますよね。実はそういうことを一番やりやすいのは地域にある大学なのかも知れません」
―なるほど。その点はまたあとでお話しできればと思います。先生が登壇したもうひとつのイベントが「Gサイエンス学術会議2023」ですね。そもそもG7サミットに合わせて、G7諸国のナショナルアカデミーの会合も行われているなんて知りませんでした。
三村「私もまったく知りませんでした。共同声明を採択して、今回も岸田首相を訪問して手渡しているんです。どの程度活かされるかは分かりませんが、そういうふうに各国のアカデミーを代表して渡すというのは、科学が社会に働きかける貴重な機会で、非常に意味があると思います。こういう活動はもっと社会に発信すべきですよね。
今回のGサイエンスでは、『気候変動』『ヘルス』『海洋』という3つのテーマが扱われて、私は『気候変動』の報告を担当しました。『7分喋ってくれ』と言われて、その後で議論です。各国のナショナルアカデミーの会長とか国際担当の理事とかが発表するのですが、その報告はとても実質的で興味深いものでした。
イタリアのアカデミーの理事が高齢化社会に対してどう対応するかという発表をしたんですね。地域コミュニティの中で高齢者をケア、サポートしようという『エイジ・フレンドリー・コミュニティ』という提言をしたのですが、これは日本にも当てはまるな、と。このセッションは参加者からの質問やコメントが特に活発だったのですが、なんてことはない、参加しているメンバー自身の多くががもう高齢の当事者なんですよね(笑)
それからアメリカのアカデミー・オブ・サイエンスの会長は女性で、とても印象的でした。体にぴったりのスーツに長いブーツを履いて颯爽と登場して、パキッと喋る様子が素晴らしかった。この方は、アメリカの海洋政策がどういうもので何を目指すのかについて話しました。その中で、社会的なアウトカムとして、『a safe ocean(安全な海洋)』『sustainable productive ocean(持続して生産的な海洋)』『transparent accessible ocean(透明性が確保された誰でもアクセスできる海洋)』という3つを示していたんですね。単にたくさんデータを取得するとか、何かを解明するとかではなくて、海で何が起きているのかをみんなが分かるようにすることが科学だと言うんです」
―わかりやすいですね。科学が社会に何をもたらすかというビジョンを明確に示す。アメリカの学術界はやはりそういうコミュニケーションに長けている印象です。そうした中で日本学術会議はプレゼンスを示せていましたか。
三村「私は最後のセッションは出られなかったので詳しくは分かりませんが、学術会議のホームページを見ると、多種多様なシンポジウムの情報が並んでいて、学術会議としてこれをやっているというメッセージはなかなか見えません。また、『ヘルス』のテーマでも、日本からの発表は、高齢者が病気になって飲む薬がどうこうといったもので、どうも局所的になりがちな印象でした」
―社会的アウトカムと結び付けたプレゼンテーションが弱いということですね。
三村「これには日本の研究者も対応できると思うのですが、一方でそうした社会との関係といった問題意識を前面に立てて科学のあり方を考えるということについて、日本の研究コミュニティは十分経験を積んでいない面があると思います」
―今回の経験を踏まえ、そうした課題意識も含めて今回の日本の学術界のあり方についてどのように考えていますか。
三村「4つのことを感じました。ひとつは今回、地域と世界という、両極端ともいえる2つの立ち位置から学術会議の活動に関わったのですが、普遍的な問題探求と、地域の個別具体的な課題の解決という2つのベクトルをどう折り合わせるかという昔からの課題です。科学や学術は根本的には長期的な視点をもって、個々の事象の個別性を捨象して普遍性を求める志向があり、それこそが科学の特性といえます。ところが社会から見れば、解いてほしいのは一般論ではなくて、自分が今困っているこの問題をこの場で解決してほしい。短期的な解決策とか目に見える成果とか経済的メリットとか、そういう要請ですよね。最近の大学発スタートアップなどは2つのベクトルをつなぐ一つの方法だと思います。一方、政策の方を見ると、日本の政府が言っている『イノベーション』というのは、多くの場合、経済活動が活発になる方策と捉えられていて、科学的に未解明な問題を解いてブレークスルーするという本質的な方向を重視するのが重要だと思います」
―「イノベーション」ということへの理解が浅いということですね。
三村「二つめは、科学が社会に貢献するというとき、ひとりの研究によって突然いい発明ができたのでそれを実用化します、というようなことではなくて、もっと科学研究を制度的、継続的にサポートする仕組みが必要ではないかということです。47都道府県に配置されている国立大学を活用しようというのは地方創生の議論でよく言われていたし、必要性もあると思いますが、拠点を配置することと、その拠点が具体的に周辺の地域にどう貢献するかは別ですよね。
たとえば本学工学部の提携校にアラバマ大学バーミンガム校があります。バーミンガムはかつて鉄鋼の街だったのが、日本の鉄などが輸入されて衰退していったんですね。ところがアラバマ大学の力で街の産業が復活するんです。というのも、先端的な医療器具の開発に大学が方向転換して、そこに医療機器メーカーが集まってきて、一大拠点になったんです。ひとつの産業が廃れて、新しいひとつが立ち上がる。大学の存在が基盤となって産業のエコロジーのようなものが動いた例ですね。
そういうふうに、科学や学術が継続的に地域の何かに役に立っていくということが、どうやったらできるかということを、政府も大学の側ももっと考えるべきだと思います」
―さきほどの、学術会議inつくばで多様な人たちが集まって議論したことを地域においてどうフォローアップしていくかという話にも連なりますね。
三村「次に、社会の将来像と科学の役割についてです。各国のアカデミーは立派な視点をもっているということを今回確認できたのですが、今は世界が歴史的転換点に立っているので、どうやってこの問題に向き合うか考えることが必要です。どんどん細分化、精密化していく科学の志向性と同時に、どのようにそれを統合してよりよい社会の方向を見出す役割を果たすかということです。1999年にハンガリーのブダペストで開かれた世界科学会議で、『科学と科学的知識の利用に関する世界宣言』というものが出されて、その中で科学の対象を『知識のための科学(進歩のための知識)』『平和のための科学』『開発のための科学』『社会における科学と社会のための科学』という4つに決めたんです。これが世界の学術界がサステイナビリティ研究に向かう出発点になったと思うのですが、特に社会のための科学と言ったときに、将来に向ってどんな将来像を示すかというのは大事なことではないでしょうか」
―社会の将来像に向けた世界の科学の統合と、一方での地域レベルの課題との接続。その2つのベクトルの結節点としての学術会議や大学の役割を改めて実感されたということですね。4つめは?
三村「最後は、科学と社会を結ぶ点で重要な役割を果たすファシリテーターの存在についてです」
―今回のGサイエンスの「気候変動」に関する声明でも、気候変動に関わる各種データの収集と共同での活用といったことに並んで、科学的知見と市民とをつなぐ「ファシリテーター」の役割が強調されていたのが印象的でした。私たち広報室もそういう機能を担っていますが、国際レベルでもその必要性が確認されたということですね。
三村「2014年に学長になったときに自治体や企業の方とたくさん議論をしたのですが、そこで『大学は敷居が高いからな』とよく言われたんですね。敷居が高いというのは、必ずしも大学のやっていることが難しいとか高尚だということではなくて、自分たちが持ち込んだ問題にはあまりちゃんと目を向けてくれないという気持ちがあるように感じました。
そういう難しさ、つまり科学と社会の求めるものとの間のギャップを埋めるのに重要なのがファシリテーターということですが、それはサイエンスライターを雇えばいいという話でもなく、社会と科学の橋渡しをする人や仕組みは何かという問題だと思います。
Gサイエンスの会合でファシリテーターという話が出たときに、『個人の役目としてこの問題を捉えるのではなく、制度的な問題としてファシリテーターを考える必要がある』ということを発言したのですが、科学界あるいは社会も含めてそういう科学を活かす機能をどう作るか、ということですね」
―科学に対する社会の認識をどう変えていくか、ということにもつながります。
三村「社会における科学に対する認識、つまり、どう科学を伸ばし技術を活用するかについての期待が、社会の側と科学の側とですれ違っているといえるでしょう。
以前、ドイツの大学の学長さんに『博士課程の学費はいくらぐらいか?』と聞いたら、怪訝そうな顔をされたんです。よく聞いてみると、ドイツでは博士課程に入ったら公務員のようなもので給料がもらえる仕組みになっているから、『学費』という概念自体がないんですね。この背景には、ある人が博士課程に行って素晴らしい研究をするとか、研究能力を身に付けるというのは、やがて社会にその成果が返ってくるということだから、社会として学生の研究活動や生活費をサポートするのは当然だという意識がある。学生の受益者負担ではないわけです。研究者になる人を育てるというのがどういう意味をもつかということについての共通理解が、日本の社会とは異なっていますよね。
国立大学の第四期中期目標・中期計画では、どこの大学でも『社会との共創』ということを謳うことになっていますが、問題は『共創』とは何であって、どういうやり方であればそれができるのかを、もうちょっと深める必要があると思います」
―学術会議においても、そうした点の思索とコミュニケーションがもっと必要ということですね。
三村「学術会議は多くの学会をベースにして、いろんな学術情報をシンポジウムなどを通じて社会に示しているわけです。社会が変化し、多くの人たちの期待もまた変化している中で、今のままでいいのか。学術会議側のアプローチも考え直さないといけない面はあると思います。
今回のGサイエンスでテーマになった高齢化社会への対応という話ひとつをとっても、『われわれは他の国と協力してこういう社会像をまとめた』『それにはこういう研究成果が集まっているんだ』ということを示せばもっとわかりやすいでしょう」
―他方で政策的な問題についても考えなければなりません。
三村「短絡的、短期的なゴールを求めて、財政支出の面では選択と集中をやってきた。さらに、細かい規制、『マイクロマネジメント』と言いますが、これをいろんなところで導入してきた。これらはすべて科学を細らせるやり方なんですね。論文引用数などの国際比較のデータを見ると、今言われている日本の論文の質の低下というのは、1995年頃から顕著に現れたことがわかります。実は科学技術基本法に基づいて第一期科学技術基本計画ができたのが1995年なんです。これは皮肉な話です。
高い山をつくるためには広いすそ野が必要という言葉がありますが、まさにそのとおりで、選択と集中というのは、山の細い柱みたいなところにだけお金を投入する話です。でも広いすそ野がなければ大きな山は成り立ちません。
また、科学者には自由に発想できる環境が大事なのですが、一方でやったことを説明もしなくて良いかというと、もちろんそういうことではありません。科学者個々人がどういうやり方で社会に貢献するのか、それは100年後に役に立つということも含めて、そういう意識を科学者の側も持つ必要があります。そうした長期的な視点や責任感があって、学術会議が依って立つ研究の自由とか学術の独立性といった価値基盤が成り立ち、守られていくのだと思います。現在問題になっている学術会議法の見直しの問題も、学術研究には独立性の保証が不可欠なことは前提として、そのベースとなる科学と社会の関係といった観点から考える必要があると思います。
もっとも、学術会議はいろんな分野の研究者の集合体なので、科学の連携・統合の具体的な議論は実際には難しいでしょう。その点、大学は規模としてもピッタリです。よい論文を書いてインパクトファクターの高い雑誌に載せるといった研究自体の取り組みを、社会とどうつなげるか、どう伝えるか。その解決策を今後も探っていってほしいと思います」