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勝田マラソン優勝で有終の美を飾る
教育学部卒のアスリート・石澤ゆかりさんが現役を引退

 新型コロナの影響で3年ぶりの開催となった「第70回勝田全国マラソン(2023129日開催)」女子39歳以下の部において、本学教育学部卒業生の石澤ゆかりさんが優勝を果たしました。今季での現役引退を表明していた石澤さん。これまで歩んできた陸上人生やこれからのこと、本学陸上競技部の後輩たちへの思いなどを伺いました。2023222日、本学学長室にて)

DSC_0259.JPG (左から)山内鈴さん(陸上競技部主将・教育2年)、島田裕之教授、
石澤ゆかりさん、太田寛行学長

競技人生のこと ―成果と苦しさ

 石澤さんが陸上の世界に足を踏み入れたのは、高校時代。茨城大学進学後は800mを専門として、陸上競技部で仲間たちと汗を流しました。20113月に本学を卒業後、実業団「エディオン」で競技を続けることに。

 「実業団に入ったときの最終的な目標が、日本一を決める日本陸上選手権に出ることでした。2017年の日本選手権で、10000mで走ることができて、夢が叶ってしまって。そのタイミングで、東京でオリンピックが開かれるという話があって、自国開催が現役の年齢で重なるのは奇跡だよと助言もいただき、オリンピックを目指すことにしたんです」。
 しかし、それまで専門としていた中長距離種目ではライバルが多くいることから、日本女子では競技人口がそれほど多くない3000m障害にチャンスを見出して挑戦。「やったことのない種目でしたが、イメージがつかなかったことが逆によかったのか、翌年2018年の日本選手権で優勝したんです」と振り返ります。

DSC_0200.JPG この優勝を受けて同年インドネシアで開催されたアジア競技大会に日本代表として出場した石澤さん。しかし、順風満帆に見える一方で、複雑な気持ちを抱えていたといいます。
 「今思えば、このアジア大会に出場したことが、苦しい陸上に変わった瞬間だったなと。茨城でのびのびと走っていたのが自分の基準で、世界を目指すようなトップアスリートのメンタルを持っていませんでした。結果を出して当然という日本トップの雰囲気になじめず、(アジア大会で)走り終わったときに、場違いだったと肌で感じてしまったんです」と当時の苦悩を語ります。
 「注目されるのは最初は幸せだったのですが、追われる苦しさを人生で初めて味わいました。それまでは無名だったからのびのび走れていたなと。いざ認知されてしまうと、どんなに調子が悪くても期待の目で見られるのが苦しくて、思うように走れなくなってしまいました。1位なんかとらなきゃよかったと思った時期もありました(石澤さん)」。

 そのような苦しい時期を越えて、2021年夏に日立女子陸上競技部に移籍することに。「東京オリンピックの選考に敗れ、夢がなくなってしまったのですが、やり切った感じもしませんでした。そんなとき、地元でもう一度がんばってみたら?とのお声掛けがあったんです。もう夢のためには頑張れないけれど、最後に、育ってきた茨城のために走りたいという気持ちとタイミングがうまく合って、移籍することにしました」と、そのきっかけを話しました。

MicrosoftTeams-image (2).jpg 第70回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会(2022年)
女子3000mSCに出場した石澤さん
(日立女子陸上競技部提供)

引退を決意するまで

 日立女子陸上部に移籍した石澤さんは、駅伝などで活躍。地元の陸上を大いに盛り上げました。そして今季(2023年2月)で現役を引退することを表明しました。
 
 「昨年(2022年)秋のクイーンズ駅伝前に、初めて大きな怪我をして、2~3週間走れないことがありました。これまでは無理をしても体がこたえてくれていたのですが、今回ばかりは体がブレーキをかけていると感じました。病院で診てもらったら疲労骨折もしていて、それに気が付かないくらいやってきたんだなと」と、体の悲鳴を感じたそうです。

 また、日立に移って、見慣れた景色、場所で人の温かさを感じながら自分らしく走ることに、改めて感慨を覚えたといいます。「日立女子陸上部に入部してから、寮生活をともにしている若い選手に走り方のアドバイスをして、良い走りにつながったときにうれしさを感じるようになってきました。これまでは自分が輝くことが楽しかったのが、誰かを輝かせることが楽しいと感じるようになったんです。こう思った時点で、自分はもう競技者ではないと思いました」と、陸上に向き合う心境にも変化が。

 さらに、「実は、陸上競技部の顧問だった上地勝教授(教育学部)からは、『石澤は陸上を好きなままでいてほしい。実業団は苦しくて走ることが嫌になっちゃうかもしれないよ』と言われていたんです。実業団に入ったあとも、上地先生の言葉がずっと頭にあったので、陸上を好きなままで引退するというのは目標のひとつでした」と、その背景に大学時代の恩師の言葉があったと明かしました。

DSC_0306.JPG 取材中、陸上競技部顧問の上地教授と遭遇(本当に偶然でした)

勝田マラソンのこと ―競技人生と重なるアップダウン

 引退を決意した石澤さんは、勝田マラソンを現役最後のレースに選びました。実は人生初のマラソンが、大学時代に走ったこの勝田マラソンだったといいます。「陸上競技部は卒業記念として選手もマネージャーもみんな勝田マラソンを走るんです。当時は、沿道で地元の皆さんから振る舞われるエイドをたくさんいただきすぎて、お腹が痛くなったりして思うように走れず、7時間もかかってゴールしました(笑)(石澤さん)」。

 それから約10年、二度目の勝田マラソン挑戦となった石澤さん。順調にレースを進め、後半、トップに躍り出るものの、38km地点付近で後続の選手に抜かされて2位に。「私を抜かした方は、長年勝田マラソンを走っているベテラン選手だったそうです。500mくらい抜きつ抜かれつの展開になったのですが、ラスト2kmで突き放すことができました」と、レース終盤での攻防戦を振り返ります。

 勝田マラソンのコースは坂道が多いことでも知られ、特に後半は選手たちを苦しめます。「この激しいアップダウンがこれまでの自分の競技人生と重なって、ゴールが近づくにつれて『終わっちゃうんだな』とさびしい気持ちになりました。この気持ちをかみしめたいなと思っていたラスト5kmで2位になってしまって、結局しんみりする暇もなく無我夢中で走りましたけど(笑)。足が止まりそうにもなりましたが、それを越えた先の景色はめちゃめちゃきれいでしたね」と晴れやかな表情を浮かべた石澤さん。

 結果は、2時間3957秒で見事優勝。有終の美を飾りました。

MicrosoftTeams-image.jpg 勝田マラソンのゴールの瞬間(日立女子陸上競技部提供)

"ブレイブ"の大学時代

 石澤さんは茨城大学教育学部情報文化課程(2017年募集停止)に在籍し、仲間たちとともに映像やデザイン、情報などについて学びました。

 学長室でのインタビューの席で、当時の指導教員の島田裕之教授がおもむろに取り出したのは、石澤さんが卒業制作で制作した、陸上競技部の活動を紹介する情報誌。石澤さんから「懐かしい!」と声が上がります。「メディアを通じて情報を発信することに興味があって、どんな形で表現するかというのを考えたときに、雑誌を作りたいと思いました。これはチームメートを取材して作ったものです。当時、試合でどんなにいい結果を出しても(自分より結果がよくなかった)有名選手しか取り上げてくれない陸上雑誌に不満を持っていて(笑)。なので、仲間たち全員にクローズアップしました」と、当時の思いを語ります。

DSC_0153.JPG 石澤さんの卒業制作の陸上情報誌

 島田教授は「みんなから"ブレイブ"と呼ばれていたよね」と石澤さんのニックネームにも言及。「当時専門としていた800mはトラックを2周するのですが、基本的には2周目のために力を溜めておかないといけないのに、私は1周目から全力でいくスタイルだったんです。そういう勝負の仕方が勇敢だということで、ブレイブと呼ばれていましたね(笑)後先考えずにやっちゃうというのが、陸上仲間だけでなくゼミの友だちにもそう見られていたようで、みんなからブレイブと呼ばれました。未だにそう呼ばれます(笑)(石澤さん)」。

後輩へ向けて

 本学陸上競技部の現主将、山内鈴さん(教育学部2年)からの「学生時代、学業や部活の両立で大変だったことは?」という質問に答える中で、石澤さんは「時間の使い方、気持ちの切り替え方を学んだのは大学時代でした」と振り返りました。在学中は授業や部活動、アルバイトで目が回るほど忙しい日々を過ごしたそうです(アルバイト先は、先日惜しまれつつ閉店した茨大生ご用達の大興飯店!)。そのような中で、やるべきことを順序立ててこなしていく感覚が身に付き、その経験が社会人になったときに役に立ったそう。「1日の中でいろんなことをしなければいけなくて、その時間配分を考えるのはしんどかったですが、気持ちの切り替えの仕方を学生時代に練習できたから、今社会に出てから役立っていると感じます。私はいわゆる"普通の"学生だったので、友だちと一緒にカラオケでオールもしたし、飲みに行ったりもして、翌日自分の体がどうなるか、二日酔いはどんな感じなのかというのも身をもって知りました。だから社会に出てからも、これくらいでセーブしようと調整ができるようになりましたね。強豪校などから実業団に入部した仲間たちは、それまで競技一色の生活をしてきていて、たとえば『今日は一日オフです』となったときに、自由な時間をどのように使っていいかわからないと困っていました。そのときに初めて、普通の大学生として経験してきたことは、よかったんだなと思いました」と、自身の経験を伝えました。

DSC_0240.JPG 山内鈴さん

 さらに、山内さんから「主将としてどのようにチームを作っていけばいいか」と問われ、「茨大の陸上競技部は、全員が全国やトップのレベルを目指しているわけではないので、どうしても気持ちの面での温度差が出てきてしまうと思うんです。私が在籍していたときも、楽しく走りたい人、上のレベルを目指して練習に励む人など様々でした。山内さんは主将としてみんなをまとめようと努力されていると思いますが、それぞれの思いを持って活動しているんだと意識すれば気持ちは楽になるんじゃないかな」と、現役生にエールを贈りました。山内さんは石澤さんのアドバイスに深くうなずき、「800m3000mで茨大記録を持っていて、部内でも皆のあこがれの存在である大先輩とお話ができてうれしかったです。引退後はぜひ、陸上部の練習に遊びにきてください!」と笑顔で応えました。

DSC_0276.JPG 思い出のグラウンドの前で

今後のこと

 競技引退後は、所属している株式会社日立製作所で社業に従事するそう。大学時代に学んだIT関係の業務に携わります。また、気になるのは石澤さんの今後の陸上との関わり方について。「社内には走ることが好きな人が意外といることがわかりました。お昼休みに、いろいろな年代の方と20分くらい一緒に走って、ご飯を食べて仕事に戻ります。こうして人脈を広げつつ、市民ランナーの先輩たちから刺激を受けたいです」と話します。

 "のびのびと楽しんで走る"という原点に戻って、石澤さんは走り続けます。

(取材・構成:茨城大学広報室)

MicrosoftTeams-image (4).jpg (日立女子陸上競技部提供)

石澤 ゆかり:日立女子陸上競技部 所属
1988年、茨城県出身。県立鉾田第一高等学校、茨城大学教育学部情報文化課程社会文化コースを卒業後、2011年に実業団のエディオンに入社。エディオン女子陸上競技部に所属し、中長距離、3000m障害などで活躍。2021年夏に現所属の日立女子陸上競技部へ転籍し、2023年2月に現役を引退した。