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【人文社会科学の書棚から】共著書・監修書・編著書特集
岡崎正男教授、伊藤聡教授、高橋修教授

 人文社会科学部の学問について、教員の新著に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズ「人文社会科学の書棚から」。今回は、2022年度前半期に刊行された共著者、監修者、編著者として出版した書籍3冊をとりあげます。それぞれの立場から著作の刊行に携わった先生方ご自身に、書籍の内容や出版の狙いについてご紹介いただきました。(企画・構成:茨城大学人文社会科学部

加賀信広・西岡宣明・野村益寛・岡崎正男・岡田禎之・田中智之(監修) 最新 英語学・言語学シリーズ 18
時崎久夫・岡崎正男 著『音韻論と他の部門とのインターフェイス』
<(開拓社、2022 年 6 月刊、定価 3,600 円+税)

pict_01_oka.jpgのサムネイル画像 この書籍は、句や文の発音と文の構造や意味との対応という、20世紀後半以降の言語理論の発展ともに出現した研究分野を扱うものです。

 2部構成で、第Ⅰ部「音韻論と統語論のインターフェイス」(第1章~第5章)(時崎久夫)では、発音と句や文の構造との対応について、最新の言語理論も交え著者の見解が提示されています。私が執筆した第Ⅱ部「英語の抑揚をめぐる諸問題」(第6章~第10章)では、対象を英語の抑揚と発話の意図や文構造との対応に絞り、先行研究を整理し今後の展望と部分的代案を提示しています。
第Ⅱ部のテーマである英語の抑揚の最大の特徴はその表現力です。たとえば、"He bought a suitcase."では、抑揚によってのみ話者の意図が伝達可能です。下降調では「彼がスーツケースを買った」というという事実の伝達、高上昇調ではyes-no疑問文や丁寧さの表出、下降・低上昇調では「彼はスーツケースを買ったけれどね」という含みのある意味、になります。

 このように、抑揚自体は声の高低で単純なものですが、句や文と結びつくと表現力を発揮して発話を「カラフル」にします。その一方、1つの抑揚型が複数の意図と対応するため抑揚型がまとう意味は極めて抽象的なものと考える立場が妥当であると思われます。抑揚の抽象的な意味とは何かということが論点の1つとなり研究が進んでいます。

 英語の抑揚研究は、単なる発音研究ではなく、広い意味での英語の文法研究の一環とみなすべきもので、もっと言えば、英語の文法研究とコミュニケーション研究との接点にもある分野です。第Ⅰ部の発音と句/文構造との対応の研究とともに、今後多くの新知見の発見が期待されるきわめて興味深い分野です。
(岡崎 正男(おかざき・まさお) 人文社会科学部教授 専門は英語学)

書籍情報:伊藤 聡・門屋 温 監修 新井大祐・鈴木英之・大東敬明・平沢卓也 編
『中世神道入門-カミとホトケの織りなす世界-』
(勉誠出版 2022 年 4 月刊 定価 3800 円+税)

伊藤先生 神社のご神体として仏像が安置されていたり、僧侶が神前でお経や真言(マントラ)を唱えるのを見たとしたら、現代の私たちは奇妙で間違ったことと思うでしょう。でも、中世ではあたりまえに見られる光景でした。このようにカミへの信仰と仏教とが融合した現象を「神仏習合」といい、基本的に古代から近世の終わりまで続きました。なかでも中世は、神仏が最も密接に結びついた時代で、独特の教説や神話が生み出されました。これを「中世神道」と呼んでいます。たとえば両部神道という真言密教系の神道説では、伊勢神宮のアマテラス神は大日如来と一体であり、内宮(ないくう)・外宮(げくう)は胎蔵界・金剛界曼荼羅(たいぞうかい・こんごうかいまんだら)、日本列島は大日如来のシンボルである独鈷杵(とっこしょ)と見立てられました。このことによって、日本は仏教(密教)流布が宿命づけられた聖地とされたのです。

 中世神道の持っていたさまざまな特色は、近世の儒学や国学による批判、そして明治の神仏分離令と国家神道形成の動きのなかで抹消されてしまいました。その後も、本来あるべき神道の姿を歪めたものとして、否定的あるいは過小に評価されてきました。研究も神道学者の一部で細々と続けられていたに過ぎませんでした。

 しかし1970年代以降、中世神道の教説や神話が、中世の思想や文芸に大きな影響を与えていたことが知られるようになります。文学・歴史・美術史などの専門家が中世神道に注目し、多くのことが明らかにされてきました。ただ、専門的研究書はともかく、一般読者向きの入門書はありませんでした。そこで、中世神道の研究者の何人かが集まって編んだのが本書です。私も監修者兼執筆者として参加しました。

 本論は、1:総論、2:中世の神々、3:中世神話のモチーフ、4:中世神道のイメージとイコノロジー、5:中世神道をめぐる人びと、6:中世神道書の世界、の全6章を立て、中世神道の全体像を一覧できるものとしました。また附説・附録として、近年盛んになりつつある海外での中世神道研究の解説と、さらに勉強したい人のための辞典・目録・翻刻資料・データベース等のブックガイドをつけました。このブックガイドは、日本文化研究全般にも役立つはずです。

 中世神道の信仰や思想は、現代の神道とかけ離れているように見えますが、実は多くの部分が今に受け継がれています。たとえば現代の神道論や日本文化論では、神道的自然観として、環境世界全体に霊性が充満しているというイメージがよく語られます。日本人が古来受け継いできた自然と一体となった神観念の所産などと説明されることも多いですが、このような観念は、実のところ中世神道の中で生まれたものであって、古代までさかのぼることはないのです。

 神道は太古から変わることのない日本固有の信仰などではありません。外来要素を取り込みながら絶えず変化し続けていたのです。本書を通じて、そのことを知ってもらいたい。また、厳粛さを強調する現代神道とは違う、中世神道の面白さ・不思議さに興味を持ってくれたら嬉しく思います。
(伊藤 聡(いとう・さとし) 人文社会科学部教授 

ふみの森もてぎ 監修 高橋 修 編
『戦う茂木一族』
高志書院 2022 年 3 月刊 定価¥3000+税)

髙橋先生 栃木県茂木町の中心部は、中世には茂木保(もてぎのほ)の領域に含まれていました。400年の間、ここを本領として支配した武家が茂木一族です。下野国の東端に位置する茂木保から国境を越えれば、そこは戦国大名佐竹氏の領国・常陸国です。佐竹氏に従い中世を戦い続けた茂木氏は、関ヶ原の戦いの後に佐竹氏が秋田に転封されると、これに従い秋田藩の重臣として明治維新を迎えることになります。茂木家には、100通を越える中世文書が大切に伝えられてきました。この北関東を代表する武家文書「茂木文書」を茨城大学中世史研究会に集う仲間たちとともに精査し、さらに関連資料を洗い直すことを通じて、中世の東国を戦い抜いた茂木一族の歴史を復元しようとしたのが本書です。

 茂木氏の始祖は、大河ドラマでも活躍している八田知家(はったともいえ)という常陸の有力武士です。治承4年(1180)に挙兵し鎌倉に入った源頼朝は、関東源氏の正統としての地位を確かなものにするため、同じ源氏の佐竹氏を攻撃します(金砂合戦)。この動きに連動して、知家は、佐竹氏が支配する常陸奥七郡に接し、その勢力が及んでいた下野国茂木保に攻め入り、ここを軍事占領したものと考えられます。この時に築いた支配権が、頼朝から地頭職として認められたようです。

 知家の三男が、茂木氏の初代となる知基(とももと)です。茂木保(その西半分)を受け継いだ彼は、二代将軍頼家の命を受けた父知家とともに実朝の乳母夫・全成(ぜんせい)殺害に関与したものと思われます。比企氏の滅亡により頼家が修善寺に追われ、替わって全成夫妻が養育した実朝が三代将軍となると、知基は幕府内で立場を失い、逼塞を余儀なくされたようです。

 承久3年(1221)、後鳥羽上皇は、北条義時追討を命じ、承久の乱が起こりました。この戦いに、茂木知基は決死の覚悟で出陣します。彼の活躍は幕府の認めるところとなり、紀伊国に新たな恩賞を与えられ、茂木家は御家人社会に復帰することができました。乱が終結した後、知基はすぐに引退し、家督を嫡男の知宣(とものぶ)に譲っています。経歴に傷のある彼は、茂木家の再スタートを新たな世代に託したのでした。

 ここから茂木家の戦いの歴史が始まります。南北朝の内乱では列島各地を転戦し、享徳の乱の後には茂木城で鎌倉府軍を迎え撃ちます。戦国期には、佐竹氏に従い、小田原攻めや朝鮮の陣にも出陣しています。まさに戦い続けた400年の歴史です。本書は論文集の体裁をとりますが、平易な論述を心掛け、コラムや年表なども付けています。本書を通じて、この身近な武家領主の生きざまに触れてもらえればと思います。
(高橋 修(たかはし・おさむ) 人文社会科学部教授 専門は日本古代中世史)