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正負のミュオンで捉えた全固体リチウム電池負極材料のリチウム移動現象

 高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所の梅垣いづみ助教は、茨城大学大学院理工学研究科(理学野)の中野岳仁准教授らの共同で、全固体リチウム(Li)電池の負極材料として研究されているスピネル構造のLi4Ti5O12[図(1)]中のLiイオンの拡散運動を、大強度陽子加速器施設(J-PARC)物質・生命科学実験施設(MLF)の世界最高強度の正と負の2種類のミュオンビームを使ったミュオンスピン回転緩和(µSR)法により調べ、負極材料中でLiイオン拡散が起きていることを明示しました。拡散の活性化エネルギーはかなり小さいことが分かり、これは負極材料として優れた物質であることを示しています。正負2種類のミュオンを使ってリチウムの拡散を調べるこの手法により、今後さらに電池の研究を推進できると期待されます。
 この研究成果は、米国化学会(ACS)が発行する「The Journal of Physical Chemistry C」に6月17日にオンライン出版されました。

詳しくはプレスリリース(PDF)をご覧ください

研究の背景 

 リチウムイオン電池等では電池内部でイオンが電荷を運んでいます。従ってイオンの運動(拡散)を調べることは、電池反応の根源的理解や新規電池材料の開発に欠かせません。その指標であるイオンの拡散係数は電池の性能を決めるうえで重要視されており、従来は電気化学的な測定で求められてきました。しかし、材料固有の拡散係数は、材料の組成や電極サイズなどの測定条件に大きく依存するため、実際に使用するリチウムイオン電池の電極材料の拡散係数を電気化学測定では得ることはできません。材料固有の拡散係数を求められる手法として、核磁気共鳴法(NMR)、中性子準弾性散乱、メスバウアー法などがあります。しかしNMRは電極材料としてよく使用されるマンガン・鉄・コバルト・ニッケル等の磁性元素を含む化合物中の拡散測定は不得手で、中性子準弾性散乱は室温近傍での電池材料中のリチウムイオン拡散より速い領域に感度があり、室温以下には適用できません。そしてメスバウアー法は測定可能な元素が限られ、適用範囲が狭いという問題があります。本研究で用いたミュオンスピン回転緩和SR)法はリチウムイオン電池のリチウムイオン拡散に適した時間スケールを有する方法です。また、µSR法は磁性元素を含むあらゆる元素に対して適用することができ、リチウムイオンの拡散を捉えることができます。加えて、ミュオンの透過性を活かせば、電池の外側から照射して、電池作動下で非破壊測定が可能なため、強力なプローブとなり得ます。しかし、リチウムはそもそも動きやすい元素であり、これまでの正ミュオンを用いたµSR実験ではリチウムイオンの拡散と思われる現象が見えていたものの、材料中でより質量の軽いミュオンが拡散しておりリチウムイオンの拡散を検出していないのではないか、という疑問がありました。そこで、研究グループでは、酸素原子位置に捕獲され静止する性質を持つ負ミュオンを用いた、負ミュオンスピン回転緩和(µ-SR)法も併用して、拡散種がミュオンではなくリチウムイオンであることを特定することにしました。

研究内容・成果 

 KEK梅垣助教らの研究グループは、全固体リチウム電池の負極材料候補であるLi4Ti5O12中のリチウムイオン拡散を調べるために、正ミュオンによるµ+SR測定をJ-PARC MLFにあるS1実験エリアで、負ミュオンによるµ-SR測定をD1実験エリアで行いました。それぞれ温度100-400Kの範囲でデータの取得を行ったところ、µ-SRにおいて観測された内部磁場の揺らぎ速度(n)は200 K以上で温度上昇とともに増大する様子が捉えられました。そしてその熱活性化エネルギーを0.08(5)eVと決定しました。この結果はµ+SR測定で得られた値と一致しました。すなわち正ミュオンを用いたµSR法で得られた内部磁場の揺らぎはLi拡散に起因することを証明しました。リチウムイオンの自己拡散係数は 室温において8(2) ×10-12cm2/sと求められました[図(2)]。これは従来の報告値と矛盾しませんが、温度依存性が小さいことが明らかとなり、負極材料として非常に優れている材料であることを示しました。

 この実験により正負の2種類のミュオンを併用する統合的なµSRにより、リチウムイオン電池材料内でのリチウムイオンの拡散現象が理解されました。これによりµSR法は電池材料の性能理解や評価に有用であることが再確認されました。

結晶構造
図(1)全固体リチウム電池の負極材料Li4Ti5O12の結晶構造。リチウムは結晶中の空きサイト間を拡散する。
図(2)正負ミュオンで求めたそれぞれのリチウムイオンの自己拡散係数DJLiと絶対温度の逆数1000/Tとの関係。

今後の展望

 この研究成果は、J-PARCの大強度正負ミュオンビームを用いたミュオンスピン回転緩和法によって、全固体リチウム電池に用いられる負極中のリチウムイオン拡散を捉えたものです。従来多く研究がなされてきた正ミュオンを用いたミュオンスピン緩和回転(µSR)法の結果と、別の方法である負ミュオンを用いたµ-SRの結果が一致することを確認したことで、µSRによって捉えた動的挙動が、試料内部に打ち込んだ正ミュオンによるものではなく、リチウムイオンの拡散に由来することを確認しました。これはµ-SRにおいて、ミュオンは原子核位置に捕獲、停止しているので、µSR法で見られた拡散現象はミュオンによるものではなく、他のイオン拡散、今回の場合はリチウムイオンの拡散であることが保証されるためです。本物質における正ミュオンµSRにおけるミュオン拡散の影響はほぼないことが確かめられました。多くの電池材料は本物質Li4Ti5O12と同様に酸化物であるため、同様に多くの電池材料中のリチウムイオン拡散をµSRにより調べることが可能であると予想されます。今後、電池材料そのものだけでなく、電池動作環境下のµSRによるオペランド測定に発展し、さらなる高効率電池に向けた研究や新しい材料開発に貢献できるものと期待されます。

論文情報 

  • タイトル:Negative muon spin rotation and relaxation study on battery anode material(電池負極材料の負ミュオンスピン回転緩和法による研究)
  • 雑誌:The Journal of Physical Chemistry C」6月号(オンライン版6月17日)
  • 公開日:2022年7月7日

共同発表機関・発表者

  • 高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所 梅垣いづみ助教、竹下聡史助教、幸田章宏准教授、
  • 総合科学研究機構(CROSS)中性子科学センター 大石一城副主任研究員、杉山純サイエンスコーディネータ
  • 茨城大学大学院理工学研究科(理学野) 中野岳仁准教授
  • 大阪大学放射線科学基盤機構 二宮和彦准教授
  • 国際基督教大学 久保謙哉教授