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「人新世」の定義は、未来の研究者のために
―地質年代決定の最前線で活躍するマーティン・ヘッド教授の講演会より

 地球の誕生からの膨大な歴史を刻んできた地質年代に、人類の活動や産業技術が地球に大きな影響をもたらした今の時代を、新たな年代「人新世」として書き加えるべきか――2000年代初めに提起されたこの議論が、約20年を経て佳境を迎えつつあります。その具体的な検討をしている国際地質科学連合(IUGS)の要職に就き、議論の最前線にいるマーティン・ヘッド教授がこのほど来日し、519日に茨城大学で講演を行いました。招へいした理工学研究科(理学野)の岡田誠教授の研究室などの学生たちの運営のもと、その模様はオンラインで配信され、100名以上が参加しました。

「人新世」の始まりは?

 IUGSが定義する地質年代において、現代は、約1万1700年前に始まった「新生代・第四紀・完新世」にあるとされています。一方、人類の活動が地質や気候など地球環境に大きな影響を与えた産業革命以降の時代を、「完新世(Holocene)」とは区別して新たに「新生代・第四紀・人新世(Anthropocene)」と定義すべきだという議論が、2000年代から盛んになされるようになりました。

 マーティン・ヘッド教授(カナダ ブロック大学・トロント大学)は、IUGSの第四紀層序小委員会の副委員長を務めており、地質年代決定に大きく関わっています。岡田教授をリーダーとするグループの申請活動が実を結び、一昨年(2020年)1月に日本の地名に因んだ唯一の地質時代名「チバニアン」が承認された際も、ヘッド教授は重要な役割を果たしました。2009年にはIUGS内に人新世を検討する作業部会(AWS)が発足。そのメンバーも務めています。

 「最初の問いは、人新世はいつ始まったと考えるべきか、ということです」と、ヘッド教授の解説が始まります。
 人新世の始まりをいつとすべきかについては、更新世の後期である13,800年前からという案から1964年という案までありましたが、現在では、第二次世界大戦を経た技術の進展や産業のグローバル化により、人口の増加、エネルギー消費や経済生産性の大規模な拡大、それによる環境への影響といったトレンドが始まった20世紀半ば="Great Acceleration"(大加速)をその区分とする考え方が優勢となっています。

Great Acceleration

 「Great Acceleration」は歴史学者によって提唱された概念ですが、その後地球システム科学の研究により、それらの加速度的な変化を表すさまざまな科学的・統計的な指標――空気中の二酸化炭素やメタンの量、大洪水の頻度、さらにはマクドナルドの数まで!――があることが提示されました。また、核実験の影響によるプルトニウム239、あるいはプラスチックやセメントの増加というのも、地球環境に起きた大きな変化といえます。
 こうしたさまざまな指標のうち、特に地質学の観点から重要な大気圏や海中の物質あるいは生態系の変化に着目し、研究と時代の定義付けを行っていくための議論が、この20年間行われてきたのです。

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 もっとも、46億年という地球の長い歴史を踏まえたときに、「Great Acceleration」として起こっていることは、短いスパンの地質学的事象に過ぎず、歴史を新たに書き換えるようなものではない、という慎重な議論もあります。それらの見方に対し、ヘッド教授は、「地質学的な堅牢さをもったこれらの変化は、単なる地質学的事象ではなく、(これまでとは時代を画する)『エポック』と捉えるに充分なものです」と主張します。

「人新世」決定のゆくえ

 地質年代の区分は、IUGSがその時代における地理的要素の変化(化石やさまざまな物質の痕跡)をよく示す地層を「GSSP(国際境界模式層断面とポイント)」として承認することにより、決定します。「チバニアン」は、その始まるとなる774000年前の様子をよく表す地層として千葉県市原市の地層がGSSPに選ばれたことによって、そう名付けられたのです。
 ヘッド教授によれば、「人新世」の始まりを示すGSSPを検討する作業は既に進められており、現在、世界中の12のポイントが提案されているということです。その中には日本の別府湾も含まれています。ヘッド教授はそれらの各ポイントについて、どんな特徴があるかを解説してくれました(ただし、別府の状況についてはあまり詳しくないようです)。

headlec2.jpg 今後、数段階の審査を経て決定することになりますが、ヘッド教授は「これから政治的な困難がなければ、来年の今頃には人新世が公式なものになります」と期待を込め、講演を終えました。

将来の研究者のために正しい定義を

 その後の質疑応答では、「人新世の始まりを示す上で最も重要となる指標は何か」といった質問や、人新世という新たな時代の定義が他の学問や社会の価値観にもたらすインパクトなどについての意見を求めるコメントが参加者から出されました。

 その中でも、学生からの「ポスト人新世をどう考えるか?」という質問に対するヘッド教授のコメントは、その層序学者としての矜持を感じる、とても印象深いものでした。

「私たち地質学者というのは、常に過去を扱うのです。対象とする学問です。ですから私たちにとって最も重要なことは、将来の何世代にもわたる地質学者たちが『人新世』をきちんと認識できるよう、その正しい定義を提供することなのです」

(取材・構成:茨城大学広報室)