石巻市博物館の学芸員・泉田邦彦さんが案内する展示室内には、表面に文字が刻まれたさまざまな大きさの板状の石が並べられていた。これらは「
在学中に体験した「足で学ぶ歴史」が現在の歴史研究の基盤に。
石巻は中世の古文書があまり残っておらず、県内最多2,100基を超す板碑は貴重な史料です。自治体史編纂に伴い、30年ほど前に多くの拓本がとられたのですが、東日本大震災の津波やがれき撤去の過程で、板碑も含めて失われてしまったものも少なくありません。これらを調査、保存していくことは、ここでの使命です。
私の実家は福島県双葉町です。江戸時代は村の小さな石高の武士の家でした。「武士は城下町に集まっていた」という教科書に書かれた歴史がすべてではないんだという気付きから、歴史に興味を持ったんだと思います。
茨大に入ってからは教員になるつもりでいたので、大学院で歴史の研究を行うなんて思ってもいませんでした。転機は東日本大震災。3年生の終わりでした。原発のある大熊町を訪れていた私は、避難用のバスに乗り、自分がどこにいるのかも判然としないまま西へと移動。行く先々で地元の方たちが支援してくださったことが忘れられず、恩返しをしたいという思いが今でもあります。
その後水戸に戻り、地震や津波で被害を受けた歴史資料をレスキューする「茨城史料ネット」の活動に参加。高橋修先生が母校の神戸大学で阪神大震災の史料レスキュー活動を間近で見ていたこともあり、立ち上がりは早かったですね。被災地を回り、半壊した蔵から資料を持ち出し、目録をとり、写真を撮り、調査の上再び戻す──その一連の作業を通じて資料を私たちが歴史を考える素材として利用できるようになるまでの過程を体感できました。結局福島県の教員募集がストップしてしまったという事情もあり、大学院に進んで研究を続けることにしたのです。
原発事故で警戒区域となった双葉町に一時帰還した際、実家の史料も「レスキュー」しました。茨城周辺の出身者が多かったので、みんな「自分ごと」なんですね。社会人となった現在も、双葉町・浪江町にまたがる「
高橋先生は「足で学ぶ歴史」を掲げていました。蔵に入って史料を探す、城址を歩いて縄張り図を描く、成果をシンポジウムなどで発表する。未熟な学生たちが自ら体験をすることを強く意識し、史料ネットでも「学生主体」を重視していました。学部時代の集中
そして、多くの卒業生が各地で歴史・文化財に関わる仕事に就き、卒業後も交流を重ねる中で、地域の歴史研究を支える自律的なネットワークが確実に形づくられてきたと感じています。それは地方国立大の大きな役割ですよね。
Profile
石巻市博物館学芸員/茨城大学大学院人文科学研究科修士課程修了 泉田 邦彦 (いずみた・くにひこ)
福島県出身。2014 年茨城大学大学院人文科学研究科修士課程修了。2021年東北大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。博士課程在籍中に日本学術振興会特別研究員(DC2)に採用され、2018 年に石巻市に入庁し、文化財行政や複合文化施設開設業務を担当。2021年の石巻市博物館開館に伴い、同館の学芸員となる。現在、茨城大学人文社会科学部でも非常勤講師を務めている。
今、イバダイでは
地域の文化財に直接関わる学びと研究のネットワーク
「茨城史料ネット」(事務局:茨城大学人文社会科学部内)は、自然災害などで被災した歴史資料をレスキューする取組みで、東日本大震災に端を発し、その後も救出資料から判明した地域の治水対策の経緯などの研究成果を発信してきました。
また茨城県内では、地域の文化財の虫干し(曝涼)を一斉に実施してお披露目の機会とする「集中曝涼」も広がっています。その端緒となった常陸太田市では、毎年のべ約150人もの学生たちが解説ガイドなどのボランティアを務め、来訪者や地元の住民からの信頼も篤くなっています。
このように地域の文化財の調査・研究に学生たちが直接関わる機会が多くあり、それが自治体の専門職人材の育成や文化財と地域住民との結びつきにつながり、強化されていくというサイクルが生まれています。
この記事は茨城大学の広報紙『IBADAIVERS(イバダイバーズ)』に掲載した内容を再構成したものです。
構成:茨城大学広報・アウトリーチ支援室 | 撮影:小泉 慶嗣