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【教育学部ウェブマガジン】第2号特集「教育学部の芸術」
【座談会】教育学部で創作・鑑賞・芸術教育をおこなうこと―小口あや・片口直樹・小林英美・篠田明音・田中宏明・伊藤孝

 教育学部の特色の一つは、芸術を生み出すこと・鑑賞すること・教育することのプロフェッショナルが、教員として所属していることであろう。今回は、芸術に関係する若手・中堅を中心とする教員が集い、生い立ち・専門分野を決めるまでの経緯・現在の活動・学生との向き合い方などについて語り合った。

芸術に出会ったきっかけ

―司会を務めます理科の伊藤孝です。私は宮城県仙台市生まれですが、父親の仕事の都合で、その後人口2万人ほどの涌谷(わくや)町に引っ越しました。その町には本屋さんが2軒、レコード屋さんが1軒しかなかったこともあり、子どもの頃に芸術に触れる機会がやや少なかったような気がします。そのためか、芸術に対して強い憧れがあり、さまざまな表現活動に携わっている先生方を、いつも憧憬と尊敬の眼差しで見ています。今日はお話を楽しみにしています。
 それでは最初に自己紹介を兼ねて、それぞれ現在専門とされている芸術と出会ったきっかけを、簡単にお聞かせください。

片口直樹(絵画):僕は専門が絵画表現で、油彩画を描いています。法隆寺で有名な奈良県の斑鳩(いかるが)町の隣町で育ち、子どもの頃は両親に、よく社寺めぐりに連れまわされていました。そのせいか、高校生までは神社仏閣や古美術が僕にとって身近な美術だったように思います。専門としている油絵には、高校1年生の美術の授業で初めて出会いました。そのときに描いたモチーフは、東大寺の大仏様で(笑)。すでにその頃から、自分のバックボーンがしっかりと絵画に表れていたようです。

田中宏明(ピアノ)私は、北海道の小樽市で生まれ育ちました。小樽は札幌から30キロほど離れた街で、最近では観光地としても有名ですね。専門はピアノです。子どもの頃は、他にもさまざまな習いごとを経験しましたが、私がその中で長く続けられたのが、ピアノと剣道でした。高校2年生になって、進路を考えることになったとき、「今やめたくないものは何だろう」と自問したなかで、私にとってそれはピアノだと気づきました。それから、学校の授業よりも放課後のピアノのレッスンにいっそう力を注ぎ、東京の音楽大学に進みました。

篠田明音(身体表現・ダンス):私は埼玉県大宮市、現在のさいたま市出身です。身体表現、ダンスが専門です。昔から体を動かすことが好きで、小学校ではバドミントン部、中学校ではソフトボール部に所属していました。当時、(ソフトボールの)ボールを捕球してから投げるまでの流れるような一連の動きが、とても美しいと感じていて、今思えば、すでに人の眼を惹きつける動きの美しさに興味を持っていたのかもしれません。そして高校では体操競技部に入り、大学でようやくダンスを始めました。

小口あや(美術教育):私は小学4年生の頃に、研究者だった父の仕事の都合で、神奈川県平塚市からつくば市にやってきました。子どもの頃から、NHKの『できるかな』という教育工作番組や、図書室で借りた本を参考にして、毎日工作に明け暮れていましたね。学校の先生にも恵まれました。例えば、 中学の美術部の顧問の先生は、休日に、私たち部員をスケッチ旅行に連れて行ってくれたことがありました 。いつしか、私もそんな先生になりたいと思うようになりました。そして高校でも美術部に所属し、大学の美術科を経て、小学校教師になりました。

小林英美(英文学):僕は千葉県流山市の出身です。国文学研究者の父は能の謡の師範で、母も趣味で日本舞踊をしており、日本の古典芸能が身近にある家庭でした。そのままなら日本文化の方向へ進むところです。しかし、小学5年生のときに英語文化に出会いました。父がアメリカで古典芸能を教えることになり、家族で引っ越したからです。1年間でしたが、この海外生活が英文学への入り口になりました。専門は主に19世紀イギリスの文学・文化です。例えば、当時の作品がどのように読まれ、どんな影響を絵画や音楽等に及ぼしたのかを研究しています。

座談会の様子
和やかな雰囲気の座談会

芸術を将来の進路として考える

―学生だった頃、先生方はどのような将来像を描きながら、現在専門とされている芸術に打ち込んでいましたか。

片口(絵画):田中先生と同じく、僕も高校では剣道部に所属していましたが、絵が得意だったということもあり、美術部にも兼部という形で入っていたんです。そのため、学生生活では部活ばかりしていました。しかしやはり、将来を考えなければならないタイミングが訪れ、どうしようと悩んだとき、この得意な美術をなんとか生き甲斐にできたらいいなと考えました。高校で教えていただいた先生や美術部の環境も、背中を押してくれたと思います。
 教師になった僕が言うのも変ですが、僕はどちらかといえば人前に出ない仕事をしたいと思っていました。家に引っ込みたい性格だったので、絵を描いて生きていけるならそれが一番いいと思っていましたね。だから高校生になって、両親には美大を受験すると言いました。やはり、最初は猛反対をされましたが、必ず教員免許を取得することを条件に、両親は進学を認めてくれたんです。それに素直に従って免許を取ったおかげで、僕は卒業後、高校の教員を務め、今ここにいます。

―ご両親のアドバイスが素晴らしかったんですね(笑)。

片口(絵画):正しかったし、それ以上に、それを素直に聞いた自分のことも褒めたいと思います(笑)。

―ちなみに今でも、高校の美術の授業では油絵を描くのでしょうか。

片口(絵画):いえ、油絵を描く機会はかなり少なくなっていると思います。担当の先生が油絵に親しみがあれば、授業でも取り扱うことがあると思います。油彩画は、どちらかといえば失敗が少ない技法なんです。乾いてしまえば、どんどん上から絵の具を重ねて描くことができますから。だから本当は授業で扱いやすいはずなんですね。しかしすぐに汚れて、筆や衣服に絵の具がつくと落とせないということもあって、最近では水溶性の絵の具のほうが好まれています。

―田中先生は、高校生のときには、もうピアノ演奏で生きていこうと思われていましたか。

田中(ピアノ):あまりそこまでは思わなかったですね。最初は小樽市内の教室に通っていましたが、小学5年生のとき、そこでお世話になっていた調律師さんから「本格的にピアノをやるなら、札幌の先生のレッスンに通ったほうがいい」と教えられ、そちらに通うことになりました。土日になると、北海道各地から生徒が集まってくるような、本格的なピアノ教室でした。そこで、コンクールで全国1位、2位をとるような同い年の小学生たちに初めて出会いましたね。歯医者の順番待ちのように、必然的に前の人のレッスンを聞くことになるのですが、なぜこんなに弾けるんだ、と思う人ばかりでした。
 高校生までには、地元の教育大学に進学して音楽もやろうというビジョンまでは、なんとなく浮かんでいました。そしてピアノが上達したこともあり、高校2年生になって、東京の音楽大学を受験しようと決めた。しかしそれでも、将来どうなるのかはずっとわからない、という感じでしたね。
 一般的に、親というものは食いっぱぐれのない職業についてほしいと思うでしょう。私の父も公務員だったので、公務員がいいと思っていたようです。しかし意外にも、音楽や芸術に全く関係なかった両親に、ピアノを可能な限り勉強したいと言ったら、そんなにやりたいならできる範囲で支援はするから頑張れと言ってもらえたんです。それで、とにかく東京に行くぞ、とひたすら練習に励みました。

―イメージですが、特に子どもの頃は、自分はできると思っていても、上手な子が集まる場所で鼻が折れることがあると思うんです。先生はそれが早かったのでしょうか。

田中(ピアノ):どちらかといえば、折れる暇もなく、こういう世界なんだと悟りました。先生からも「小学5年生としては上手に弾けているけれど、僕の生徒はこれくらい小学2年生でも弾けるからね」と言われていましたし、実際にそうだった。しかし、先生はユニークで、生徒たちのモチベーションを上げることに長けていました。決して後ろ向きなことは言わないし、どんな窮地に追い込まれても、常にポジティブ思考でした。こんなタイプの方にはその後もあまり出会うことはなかったので、結果的に私は先生からとても良い影響を受けたんだと思います。

座談会で話す田中先生と片口先生
片口、田中(左から)

―篠田先生は、どのように将来を考えていましたか。

篠田(身体表現・ダンス):中学生の頃のことですが、私は勉強や高校進学にはあまり興味がありませんでした。机に向かう時間がとにかく苦痛でした。だから、体育の授業で体を動かすることが好きでした。
 しかし、体育の授業の中で唯一苦手だったのが、私が現在専門にしている身体表現だったんです。太鼓のリズムに合わせ、先生の指示の通りに踊ることに、強い切迫感を感じていました。もちろん、太鼓を効果的に活用される先生方が多数いらっしゃることも理解していますが、こうした経験から、私は太鼓を使いこなせていません。
 そして自然と当時の体育の先生に憧れました。子育て中の女性の先生で、当時、小学生くらいの二名のお子さんを学校に連れてきたところも見ていたので、働く女性としての体育教員の将来像も漠然とその先生からイメージしていたと思います。
 進学については、私以上に母が頑張ってくれました。私が勉強が不得意だったことを心配し、高校だけではなく大学のことも調べ、体育の先生になるための大学の附属高校を選んでくれたんです。そのおかげで私は、今ここにいます。

―篠田先生も、片口先生と同じく、進路は親の助言に従われたんですね。最初の自己紹介で、ソフトボールの動きが美しいと感じたとおっしゃっていたのが印象的でした。

篠田(身体表現・ダンス):合理的というか、無駄がない動きを美しいと感じます。ちなみに私がまとまった動きとして美しいと感じたのは、母親が両膝を曲げ、片膝は床に着いたついた状態で雑巾を洗い、絞っている姿でした。所作そのものに対して美しいと感じました。

―芸術において、何を美と感じるかは、とても深くて大切なテーマですね。続いて、小口先生はいかがでしたか。

小口(美術教育):私は、高校生のときにはすでに、小学校の図工の先生か、中学校の美術の先生になると決めていましたね。中学校の頃は、水彩絵の具で絵を描いたり、鉛筆でデッサンをしたりして、とにかく絵を描くことに没頭していました。それこそ、休日にスケッチ旅行に連れて行ってくれた美術部の顧問の先生に、描いたデッサンを毎日見せにいくほどでした。
 しかし高校では、絵を描いていくには油絵をやるしかない、と思い込んで、私は苦手な油絵ばかりを描いていたんです。それでも特に覚えているのが、ある友達の言葉です。私が大きな50号の油絵作品を描いているとき、廊下からそれを見た友達が「あやちゃん、すごく素敵な絵だね」と言ってくれました。そのとき、絵を描くことも素敵なことですが、それを見つけてくれる人、認めてくれる人も、とても素敵なんだなと知ったことを、今でも覚えています。
 高校の頃は、電車に乗って遠くの美術の予備校にも通いました。教育学部志望の学生は、やはり珍しかったようです。美大・芸大志望者たちに混じり、鬼気迫る空気の中で何時間もかけて描いた石膏デッサンの作品を、今度はまた恐ろしい雰囲気の先生たちが成績順に並べて講評をしていく(笑)。楽しいだけじゃダメなんだな、と学びました。

―芸術を自分で究める道と、芸術を人に教える道があると思いますが、小口先生はその点はまったく悩まずに、教える側に向かったのですか。

小口(美術教育):今になって振り返ると、私はずっと絵を描き続けたいという気持ちは強く持っていましたが、一方で芸術にどのように携わるかについては、かなりおおらかに捉えていたと思います。要するに、図工や美術の先生も、画家やアーティストも、みんな絵や美術が好きな大人であり、自分もそこに入るだけだ、と。お世話になった小学校で図工を教えてくれた 先生や、中学校の美術の先生たちのような大人になりたいということと、自分がずっと絵を描き続けていきたいということ、そのあいだに、なにも齟齬がなかったんだと思います。

―それは芸術をやっている方たちにとっては、自然な考え方なのでしょうか。

片口(絵画):美術をやっているからこそ、美術に関わる仕事に就きたいというのはわかります。 だけど、その中で小口先生のように美術教師をすんなり選ばれるのは、稀なことかもしれません。やはり表現者を志す人が多いでしょうし、素直に教職を選択できないという場合もあるでしょう。
 でも、今になって僕が思っているのは、画家も教職も、何かを伝える仕事であることに変わりはない、ということです。そう思えるようになって、僕はようやく自分の中で答えを見つけられたような気がしました。当初は人前に出たくなくて選んだ美術だったのに、結果的には真逆になっている。つまり、美術によって、僕は人前に立たせてもらえたんですね。他の先生方もそうだと思いますが、自分の専門があるからこそ、今ここにいる。教師になりたかったのが先じゃなくても、結果的にその魅力を伝える側として、大学教員となっているように思いました。

―小林先生はいかがでしたか。

小林(英文学):僕は、高校生のときはまだ進路が固まっていませんでしたね。漠然と英語や歴史が好きだから、その分野の先生になれるかな、くらいに考えていました。
 中学から高校までの6年間、図書委員会に所属していましたが、特に選書が楽しかった。僕の学校では、図書室の本の大部分を委員が選ぶことができたからです。高校のときには、SF(サイエンスフィクション)の蔵書を増やすべきだと、全委員で司書の先生に提案しました。当初は難色をしめされましたが、古典SFがいかに現代文学に接続しているかを力説して、ついにはOKをいただきました。そんなパワフルな仲間意識があったので、委員会の広報誌づくりにも力が入り、通常は年に1回のところ、僕たちは増刊も出したんです。雑誌『ぴあ』が登場した頃で、それを真似して作りました。
 こうした高校時代の経験が、「文学の受容・出版文化」という僕の研究の原点になっているように思います。

座談会で話す小口先生と小林先生
小口、小林(左から)

感情や「いま」を昇華させるもの

―実際に芸術を教える立場になってから、何か印象深い出来事はありましたか。

片口(絵画):僕は美術コースのある高校で教員をしていましたが、やはり不登校の子も少なくなかったんですね。しかし、美術によって救われる子がいたことを実感しました。中学校までは不登校だったけれど、美術に専念できるなら頑張ろうと入学し、無事に卒業して美大に進学した子たちが、何人もいました。それは芸術だからこそできることなのかな、と思ったし、やはりこの教科はなくてはいけない、と感じましたね。もちろん、各教科で救われる子がいると思うんです。やっぱり夢中になれるものがあるだけで、学校に行きたくなるじゃないですか。僕自身は、正直なところ、美術がなくても生きていけるタイプだったと思いますが、でもやはりそうじゃない子もいる。それをきちんと目の当たりにしたように思います。

篠田(身体表現・ダンス):質問とは少しずれてしまいますが、今の片口先生のお話を聞いていて、私自身が身体運動に救われていたことを思い出しました。私が卒業したダンス部では4年生になると、卒業記念公演を中心となり催すのですが、私たちの代は4年生が4人しかおらず、その下の各学年は二桁以上の学生がいました。そのため、4人で50名程度の後輩を取りまとめる必要があり、他にも振り付けと振り付けの後輩への舞台監督など、さまざまな作業に負担を感じていたんですね。その時期に履修していたパントマイムの授業で、私の立ち姿を見た先生に「あなた、疲れているね。すごく気を張っている」と言われたんです。表現って、意識的に表現しようとしなくても勝手に溢れ出てしまうものなんだ、と学びました。同日の授業では、最近の自分について創作ダンスを披露する場面があったのですが、踊りながら涙が流れていました。
 この経験から、私はダンスの授業には、学習者の言葉にならない、溢れ出でしまう切羽詰まった感情を吐き出させる、あるいは溜まった感情を逃がしてやることができる可能性を秘めていると思うようにもなりました。ダンスの中で、伝えたいメッセージを体で表現する方法を探り、同時にそれが伝わらないという葛藤も経験しつつ、今考えているのは、自分の気持ちを昇華させる方法の一つに、ダンスはなり得るのではないか、ということです。

座談会で話す篠田先生
篠田

片口(絵画):最初は、単純に絵が上手だと褒められるのが嬉しくてしかたがなかったんです。僕が絵を描いたことで誰かが喜んでくれることが、本当に嬉しかったんですよね。でも、大学に入学して表現をあらためて学ぶなかで、自分の創作のきっかけが、例えば世の中の不条理に対する怒りや反発など、自分なりの意見をぶつける場所へと変わっていきました。それこそ、こうしたさまざまな感情を受け止めてくれるのが芸術だ、というふうに変わっていった。自分の感情をぶつけることでエネルギーが爆発し、それがさまざまな強い表現へと変わっていくような感覚がありました。しかし今、さすがに歳を取ってくると、それもまた変わってきていますね。むしろ今は目の前の美しいものをただ美しく描きたい。日常の中のちょっとした断片の美しさみたいなものを大事にしたい、というのが今のモチベーションになっています。
 やっぱり学生を見ていても、僕とは全然違うモチベーションで制作をしています。だからこそ、今しか描けない表現をしなさい、と常日頃言っています。 見た目だけ美しい絵なんて、いくらでも描けるんです。それよりも、やっぱり今自分が思っていることをちゃんと表現しないと意味がないよねと、教えています。

小口(美術教育):先生方のお話を聞いて、私は大学生の頃、作家の遠藤周作さんが「自分や他人の悲しみを共有し、ともに昇華させるために小説や芸術がある」といった内容のエッセイを書かれていたのを読んで、感銘を受けたのを思い出しました。
 また、私は大学生の頃に、自分の絵のスタイルとは何か、悩んだときがありました。それで、当時好きだった日本画家の長谷川等伯さんの『松林図屏風』の習作をしようと思いました。ちなみに、この絵は等伯さんが、幼いお子さんを亡くした悲しみを込めて描いた供養画だという説もあるそうです。実際に絵の真似をしてみましたが、自分にはやはり描けなかった。だからこそ「もう今しか描けない絵じゃないとダメなんだ。どんなに憧れても、自分が今しかできないことを見つける努力をしたほうがいいんだな」と感じました。
 それから年を重ねて落ち着いてきた結果、ようやく等伯に近づいてきたんじゃないかとも感じています。レベルではなく、傾向という点で。だから若いときには描けなかったけど、今は描ける。さらに歳を重ねると、また別の展開になるんでしょうね。

―例えば、自分の没後も長く残るような芸術作品をつくりたいというモチベーションはありますか。

片口(絵画):ピアノやダンスは、やはりそのとき、その瞬間が大切だし、やはり本番のライブの一瞬がとても尊いものですよね。しかし、油絵にそういったものがないかというと、それは違う。絵の捉え方は作家それぞれですが、僕は描いている瞬間が一番美しいと思っているんです。作品はその結果でしかない。だから、そこまで執着はしていないんです。要するに、自分が描き手でありながら鑑賞者でもあるんですね。描いている時間、瞬間を一番贅沢に味わっているのが、描き手である自分なんだと思います。

―しかし、作品の評価も気になるところではないですか。

片口(絵画):作品に対する評価のしかたはさまざまですから。小林先生のご研究分野でもありますが、評論やレビューも、どの時代に誰が評価するかによって、作品の見方は大きく変わってくるものです。そのため、僕はあまりそれを気にしないようになりました。それについては、身近な方や学生の皆さんが褒めてくれたら嬉しいです。なにより、描き手である自分が一番の鑑賞者なので、自分自身がいいと思えばそれでいいのだと思えるようになりましたね。

―田中先生はいかがですか。

田中(ピアノ):聴いてくださる方は、演奏をしている瞬間しかわかりません。だから、そこで今一番できることをするために、準備を重ねていくわけです。演奏会で弾く曲の分量や難易度によっても、当日の演奏までにかけるべき練習期間は異なるし、時間や期間を充分にかけられたかによっても出来具合はやはり随分違ってきますよね。あるいは、高校生の頃に弾いた曲も、今の歳になって聴いたら感じ方が違うし、表現の仕方も変わってくるでしょう。
 あとは、演奏会が決まれば、当日の演奏の瞬間に、体調だけではなく気持ちも落ち着いた状態でステージに上れるように、努力を積んでいきますね。しかし、これは不思議なんですが、普段の練習を積み重ね、準備がそれなりにちゃんとできていると、やはりステージの上でプラスアルファのものが引き出されることがあるんです。自分はこんな表現もできたんだ、というものが、ライブの演奏の中で出てくることがあります。

―日常の授業や職務を乗り越えながら、演奏会にピークを持っていかなければならないわけですね。

田中(ピアノ):そうですね。教授会のような重要な会議は、演奏会の日程と重ならないよう(笑)。やはり精神的なコンディションを整えておくことも、演奏というその場の作品をつくることにおいては大事ですね。

片口(絵画):田中先生のお話をうかがいながら、本番の生の発表の緊張感が生み出す表現というものは、きっとあるんだろうな、と思いました。それと比較すれば、僕は気楽なものです。好きなときに絵を描くだけなので。あらためて、本番に表現のピークを持っていくという行為自体も、すごいことだと感じました。

司会の伊藤先生
司会の伊藤(左奥)

芸術を志す高校生へのメッセージ

―最後に、教師やプロの創作者など、どのようなかたちであれ、芸術に携わる進路を考えている高校生に向けてアドバイスをお願いします。

片口(絵画):特に高校生には、今まさに取り組んでいる創作こそが一番尊いものであることを理解しておいてほしいですね。たとえ、技術が未熟でも全然構わない。むしろ今しか作れないからこそいいんだという捉え方を身につけてほしい。また、教育者の立場からいえば、やはり芸術って、理解者や教育者がいないと、やる人も増えないんですよね。 田中先生がおっしゃったように、そのような意味で、私も専門家が必要だと思います。ぜひ、生涯をかけて夢中になれることを見つけてください。

田中(ピアノ):まずは、やりたいことがあるなら、それに向かって一生懸命に進んでいってもらいたいと思います。また、私は芸術に取り組む本人や周囲の誰かが、それに取り組むにあたって必要な情報、適切な情報をいかに掴んでいくかということも大切だと思っています。その上で、自分が目指すもののために必要なことを、一つひとつ積み上げて進んでいってほしいですね。そして最後に伝えたいのは、自分がやろうと思ったものを大切に、できる限り長い期間をかけて携わってもらいたいなと思いました。

篠田(身体表現・ダンス):もし、この高校生活の中で何かが見いだせなかったとしても、その先も人生は続きます。だから、そこで諦めてほしくないですね。また、小手先の技術ばかりに走らず、自分自身が美しい、やりたいと思えるものを、とことん追求してください。 そのように歩みを留めず着実に生きていくと、一つの筋みたいなものが出来上がってきます。それは人に理解されるには時間がかかるかもしれませんが、本来芸術とは、それぐらいの覚悟で臨まなければならないものかもしれません。強い意志を持って、芸術の道に進んでいただけたら嬉しいです。

小口(美術教育):人生の中で起きたどんな出来事も、芸術という大きな視点から捉えると、あらゆることがやはり糧になっている。だからこそ、あなたなりの、その人なりの芸術というものが生まれるのだと思うんですね。未来や先を見ることも大事ですが、今までの自分や、今の自分も、芸術には必ず活かすことができます。だからこそ、今、一生懸命に好きなことをやることが大事だと思います。今あなたが一生懸命に好きな芸術をやれば、足場は固まってくるし、その足場がだんだん積み重なることで未来へとつながっていくと思っています。

小林(英文学):何かを創造したいという気持ちに正直であることと、自分や作品を外から冷静に見直す視点を持つこと。この二つを同時に併せ持ってほしいと思います。 それから、文学でも美術でも、ジャンルを問わずに、なるべく多くの作品に接してほしい。今は本やCD、オンラインで、世界中のあらゆる美術や音楽を鑑賞し、文学を読むことができます。たくさんの作品を知れば知るほど、自分が好きなものや表現したいものが、より鮮明になっていく。それを知るためにも、高校生のあいだに、たくさんの芸術に触れてほしいと思います。

座談会参加者の集合写真
座談会を終えて記念撮影

―大変興味深いですね。今日お話しを伺ってきたように、先生方の出身や専門は皆それぞれ異なるけれど、高校生へのメッセージはすべて通底しています。打算とか計算ではなく、心から本気で取り組んだものにしか意味がない、というお考えが基礎になっているんだ、と感じました。
残念ではございますが、そろそろ時間です。本日は貴重なお話をありがとうございました。先生方の声が、茨城大学の教育学部で本気で芸術活動に取り組んでみたい、芸術について学びたいという希望をもつ、一人でも多くの生徒さんに届くこと願ってやみません。

研究者の情報

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