好奇心の種を育てる時期
日本で初めてノーベル文学賞を受賞した川端康成は、大阪府茨木中学校2年生の時にノーベル賞を夢みていました。インドのタゴールがアジアで初めてノーベル文学賞を受賞したニュースが報道されていた時です。ちなみにこのタゴールは北茨城市の五浦とも関わりが深い人です。大正期の中学校は5年制で、中学5年生は今の高校2年生と同じ学齢です。意外なことにこの時の川端の作文の成績は53点と低くてほぼ最下位でした。卒業を控えた1月末に、尊敬していた倉崎仁一郎先生が急死し、その棺を5年生全員で運んだ葬儀のことを日誌に書きました。それが見出されて、「団欒」という文芸雑誌の巻頭に掲載されました。文学の真髄が分かったのでしょうか、翌年の日記には、進学先の東京第一高等学校で、作文の成績が首位になったと書いています。その一高で出会った仲間を中心に、文芸雑誌「文芸時代」を創刊して、作家として世界的に活躍していきます。川端はその後、この生徒葬を題材にした小説を2回書いています。最初の日誌と比べると、何が事実で何が虚構か分かります。そこから彼の文学性を解き明かす研究をしています。
このような研究をしていると、やはり高校時代の活動がその後の人生を決めていく事が多いと感じます。私自身の高校時代を振り返ると、読書もそうですが、合唱やピアノ、バレーボールや生徒会活動に勤しんでいました。高校の頃好んで読んでいた近代文学は夏目漱石や太宰治でした。漱石の「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」や太宰の「撰ばれてあることの恍惚と不安と二つ我にあり」という言葉に痺れていました。古典では暗い情念が表現されている「平家物語」が好きで、耳なし芳一が弾き語ったのが「平家物語」だと知った時は点と点がつながりました。西洋の文学も好きで、文学を通して遠い世界とつながっている感覚が好きでした。日本文学と関わりの深い中国古典では、史話等で歴史的な人物に思いを馳せたりしました。比翼の鳥、連理の枝と評された玄宗皇帝と楊貴妃にも惹かれました。高校の図書室で楊貴妃関係の本を集中して調べたこともあります。虚構と違い実像はどうだったのか知りたくなりました。こういった疑問は今でも持ち続けています。それを解明したい探究心に突き動かされて研究を続けているような気がします。
文学は言葉の芸術で、古今東西の人と言葉を通じてつながることができます。他人事が自分事になる経験が文学作品では可能です。点と点が繋がれば線となります。線が面に、面が立体となります。点が多い程、線になった時の感動は大きいです。うちの学生もよく「点と点がつながった!」と大喜びしています。年齢に関係なく、一人一人が表現者であり鑑賞者です。近代以降我々は個人が主張する権利を獲得しました。自分の言葉で表現するのは即ち生きることです。言葉を通して人を尊重しながら交流できる人を育てる為に貢献したいと思っています。
研究者の情報
【教育学部ウェブマガジン】第2号特集「教育学部の芸術」
【座談会】教育学部で創作・鑑賞・芸術教育をおこなうこと―小口あや・片口直樹・小林英美・篠田明音・田中宏明・伊藤孝
【コラム】「研究・教育の場における芸術」宮﨑尚子