岩窟の内側に彫られた平安時代の阿弥陀如来像、1000年近く前の戦火を受けた千手観音像、土地の人たちの暮らしぶりがわかる古文書や古地図、さらには昭和の技術や文化を伝える建造物まで。地域には、全国に名を知られたものではなくてもその地で大事に受け継がれてきた歴史文化財があります。
それらが一挙公開される「文化財フェス」のような取組みが、茨城県内で最近じわりと広がっています。「集中曝涼(ばくりょう)」と呼ばれ、もとは常陸太田市で約20年前に始まったものです。茨城大学人文社会科学部の歴史・考古学メジャーも毎年協力し、ボランティアガイドなどを務めています。(レポート/茨城大学広報・アウトリーチ支援室 山崎一希)
文化財の虫干しと公開を兼ねた集中曝涼
2025年10月18日、土曜日。
夏の暑さがまだ残る常陸太田市へ、茨城大学広報・アウトリーチ支援室のスタッフで出かけました。学生たちが活躍する「集中曝涼」の現場取材。50人もの学生たちを乗せたバスが水戸キャンパスを出るのを見送った後、私たちも太田街道を北へと車を走らせました。
「曝涼」とは、普段建物や箪笥の中などにしまわれている文化財を出して風に通す、「虫干し」のこと。カビや虫の発生を防ぐ上で不可欠な作業です。そして曝涼は、地域住民が貴重な文化財を目にする貴重な機会でもありました。文化財の虫干しの機会が、それを見る住民たちの「地域の宝」への誇りと愛着をも高め、継承へとつながってきたのです。
その曝涼を地域内で同じタイミングで行うことで、「お祭り」のようにしてしまおうというアイデアが「集中曝涼」です。遡ること37年前の1988年、常陸太田市内の正宗寺というお寺で収蔵物の曝涼を開始。平成の市町村大合併を契機に、より広域で曝涼を一緒に実施するというアイデアが議論され、2007年に市を主体とする「集中曝涼」というスタイルが確立しました。翌々年からは隣の常陸大宮市も事業に加わり、現在ではさらに複数の自治体へと広がっています。
茨城大学が全面的に関わるようになったのは2012年から。歴史学を学ぶ学生たちが、各公開場所に散らばってボランティアガイドを務めるようになったのです。周遊イベントとして親しみが大きく増し、地域の方も改めて気合いが入って、各スポットで「おもてなし」として飲食物の提供や物販などが行われるようになったそうです。
「統合曝涼長」のスピーチと準備―梅津会館
朝8時半、JR常陸太田駅からも近い、レトロな町並みの並ぶ鯨ヶ丘の上の郷土資料館梅津会館に到着しました。全員が揃って朝礼をおこなった上で、グループに分かれて各スポットへ移動します。高橋修教授(日本中世史)によると、この朝礼の名物が、学生チームを統括する「統合曝涼長」(!!)によるスピーチだそう。
今年の統合曝涼長は大学院人文社会科学研究科修士課程1年の小野侑志さんでした。全員の前に立った小野さんは、学生たちの顔を見回しながら、「この曝涼の成功は、みなさんの一挙手一投足、一笑顔にかかっていると思ってください」「お客様には尊重、そして文化財には常に敬意をもって、最後までみなさん自身が楽しんで、お客様と一緒に学ぶ時間にしてもらえたらと思います」と呼びかけました。ソフトな語り口の中にしっかりと力がこもる、気持ちのよいスピーチでした。グッジョブ!
集中曝涼への学生の参加は任意ですが、実際には歴史・考古学メジャーのほとんどの学生たちがボランティアに参加しているそうです。さらに常磐大学からも参加があるなど、大学の枠をこえて活動しています。
「準備風景の撮影をしたいのですが、どこに行くのがよいでしょうか」と高橋教授に尋ねると、「それならこのまま梅津会館の中を取材してください」と言われ、勇んで館内に入りました。
1936年に建てられた梅津会館は、1978年まで市役所として利用されていた洋風の石造りの近代建築です。その2階のスペースで、学生たちが資料の入った箱を長テーブルに並べ、検地帳などの文書や古地図の展示作業に取りかかりました。前年に撮った写真をスマートフォンで丹念に確認しながら、「この資料はここでいいんだよね」などと声をかけあい、展示を完成させていきます。
古地図に記されたくずし字を見ながら、地名のキャプションを配置していくのも学生たちの仕事。まだくずし字の解読に慣れておらず、常陸太田の地理にも明るくない1年生メンバーは、少し苦労しているようです。
…おや、少し早めにやってきたお客さんが手伝ってくれました。心がほっこりする場面です。
お客さんが増えてきたところで、私たちも次のスポットへと移動します。以下、取材した順に文化財と学生たちの活躍をざっと紹介していきます。
岩窟に彫られた阿弥陀如来像―香仙寺
再び車に乗って最初に訪れたのは、市の南西部にある「香仙寺(こうせんじ)」です。室町時代に開かれたとされる浄土宗の寺院です。
まずびっくりしたのが、境内の玄関口の門にとりつけられた長さ1.5メートルほどの巨大なわらじ!毎年わらを編んで新調しているのでしょうか、さっそく地域の力強さを感じさせられます。
門をくぐって解説資料を受け取りつつ、スタンプラリーの用紙にスタンプを押します。ためるとグッズがもらえるのです。楽しい仕掛けですね。県指定文化財にもなっている樹齢600年というシイの巨木の前を通って本堂の裏手の方へ回ると、墓地の背に岩の崖があらわれます。この崖の洞窟内に彫られた石仏が、香仙寺での見ものです。普段は閉じられている柵がこの日は開放され、かなり近寄って見物することができます。
岩窟のすぐ手前で、ヘルメットをかぶった学生ボランティアが迎えてくれます。
奥行11メートルという穴の中は真っ暗ですが、学生がライトを照らしてくれます。浮かび上がってきたのは阿弥陀三尊像です。
「おー」と思わず声が出ました。学生が、手作りのフリップをめくって解説図などを見せながら、石仏の歴史などを説明してくれます。香仙寺の中では3つのポジションに学生ボランティアが立ち、回っていくことで、石仏だけでなく香仙寺全体について理解を深めることができます。小さな子どもたちを含む家族連れの姿も見られ、時折質問もはさみながら、大学生の話を熱心に聞いていました。
600巻の大般若経を一気読み!?―来迎院
続いて東へ進み、「来迎院(らいごういん)」を訪れました。ここでの最大の目的は、11時からの「転読会(てんどくえ)」を見物すること。時間ギリギリに到着すると、「ぼおぉぉ」というほら貝の大きな音とともに、お坊さんたちが列を成して門から本堂へ歩いてくるところでした。
転読会というのは、全600巻もある「大般若経」を、すべて読むのは時間がかかって大変なので、複数名でそれぞれ題目を唱えながら、蛇腹状の経典を空中に向かって素早く広げ飛ばすようにし、どんどん「読み」進めるというもの。経典をアコーディオンのように広げては閉じ、広げては閉じを繰り返す様子は見事で、題目を唱える声とパタンパタンという経典を閉じる音とが堂内に響き合います。縁にひしめきあう拝観者たちも息をのんで見守ります。これはぜひみなさんに見てほしい!!
転読会が終わって拝観者が本堂の階段を下りていくと、「これから茨城大学の学生たちによる解説を行います」という呼び声が。来迎院の青い法被をまとった学生たちが、かつて磯浜村(現在の大洗町)にあったのが江戸時代に移ってきたという歴史や、立派な茅葺きの楼門の特徴などを解説してくれました。
境内では地元の方が野菜などを販売。私たちも里芋や生姜などを買って帰りました。
お昼は市内の人気蕎麦店「佐竹」(!)にて。そのときどきの旬な素材を使った天ぷらがおいしいお店で、この日も入店するのに少し並びましたが、その甲斐あっておいしくいただきました(写真はありません)。
県下第2の大きさの千手観音像―菊蓮寺
お腹を満たした私たちは、そこから一気に北上し、旧金砂郷町の「菊蓮寺(きくれんじ)」へと向かいました。
茨城大学の卒業生だという住職の講話や自作の絵画・書の数々にも触れることができる、親しみやすいお寺です。駐車場から石段を登ってきた私たちを迎えてくれたのが、木造の仏像としては茨城県下で2番目の大きさを誇る木造千手観音像です。
見上げるようにして対峙した千手観音像の迫力に、一同圧倒されて言葉が出てきません。開帳された観音堂の前で、3人の学生たちが明るい表情で解説してくれます。もともとはさらに山の上にあったお寺に安置されていたものが、平安時代、源頼朝軍が攻め入ってきたときの合戦で焼損(黒く焦げたその破損部分もみることができる)、現在の像は鎌倉時代につくられたものだそうです。
集中曝涼は15時30分まで。まだまだ寄りたいスポットはありますが、残念ながら時間が足りません。最後は再び市街地方面へと向かい、茨城県立太田第一高等学校へ行きました。敷地内にある旧太田中学校講堂(資料館)という歴史的建造物があり、この日は室内が公開されていました。限られた残り時間の中、速足での観覧となってしまいましたが、開学の頃からの文書や写真などが展示されており、由緒ある学校としての歴史の厚みを感じさせてくれました。
集中曝涼と地域の大学
1日がかりで常陸太田市内を巡った集中曝涼。
まず驚いたのは、大きな寺院や仏像が数多く残されており、しかもいずれの寺院からもいきいきとした「現役」感を感じたことです。筆者はお隣の常陸大宮市の出身ですが、常陸太田市内にこんなに立派な寺院がたくさんあることを、恥ずかしながら意識したことがありませんでした。
常陸太田の地域は、かつてこの一帯を治めた佐竹氏の本拠地です。往時はひとつの都市を形成していたのでしょう。ところが江戸時代になると、水戸藩の徳川光圀や徳川斉昭による廃仏毀釈政策によって、いくつものお寺が廃れていきました。文化財保護の観点でいうと残念なことですが、他方でそうした政治的圧力のもとでも、これだけの大きな寺院が地元の人たちによって残されてきたことにこそ、心を打たれます。
そしてやはり、学生たちの活躍に言及しないわけにはいきません。フリップを手に各スポットの解説をしてくれる学生たちの存在は、集中曝涼を楽しむ上で欠かせないものになっていると感じました。地元の方々も、毎年若い学生たちが来てくれることを楽しみにしてくださっているようでした。
高橋教授は、「ペーパーに目を落としながら解説するのでは、お客さんががっかりするでしょう。紙を見ずに、笑顔でガイドができるように練習しているんですよ」と話していました。
曝涼への参加が2年目となる学生は、基本的に前年と同じスポットのガイドを担当することで、解説や展示の内容、ガイドの注意点を次の学年の学生たちへスムーズに引き継げるようにしているそうです。もちろん学生たちにとっては、本物の文化財に直接手で触れ、またそれが地域の方々にとってどういう存在なのかを肌で感じるのはきわめて貴重な体験でもあります。文化遺産や地域史について来場者に説明し、文化財と市民のつながりをより豊かなものにするという経験も、歴史学を学ぶ学生たちを大きく成長させたのではないでしょう。実際、集中曝涼を経験した後、自治体の歴史の専門職などになった卒業生がおり、彼ら、彼女たちが曝涼の輪を広げてくれています。これこそが「地域の知の拠点」たる大学の大切な役割なのではないでしょうか。
研究者の情報
