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【研究指導の現場】興味から始まった卒業研究が査読論文に
―「論文マグ」手にした農・竹中彩さんの研究室ライフ

 これから大学へ進学するというみなさんにとっては、大学の研究室やゼミでの「研究指導」がどういうものなのか、気になるかもしれません。
 そこで今回、農学部地域総合農学科の菊田真吾准教授の研究室にお邪魔しました。昨年度菊田研究室で卒業研究に取り組み、現在は大学院農学研究科に所属する竹中彩さんは、卒論をもとにした論文が国際的な学術雑誌に掲載されるという貴重な経験をしました。そのいきさつや研究室の雰囲気、さらには菊田准教授が竹中さんに贈ったという記念の「論文マグ」の話などを取材しました。

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生きたアブラムシにタンパク質を投入する

 菊田研究室が扱うのは「昆虫制御学」。学生は虫好きが多く、ラボのあちこちに虫かごや虫の模型が置かれている。ところが竹中さん自身は、「室内でナナフシに遭遇したときは『もう無理』と思って逃げ出しました」と話すとおり、昆虫は得意ではない。遺伝子編集に興味があって、もともとは植物を扱うつもりだったが、菊田准教授が講義で「自分はせっかちだから植物の生長を待てないタイプ」と話しているのを聞いて、「私も飽き性だから」と、ターゲットを昆虫に替えた。

 竹中さんの卒業研究は、生きた状態の「エンドウヒゲナガアブラムシ」の体内の細胞に、タンパク質を投入する手法を確立するというもの。ゲノム編集には、CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)という遺伝子改変ツールがおもに使われるが、それはガイドRNAとCas9という酵素で構成されている。それを昆虫の細胞膜の先の細胞核へ到達させる場合、通常は卵に注射する。ところが一部のアブラムシは卵を体外に出さず、体の中で胎児が出てくる形で繁殖する。そこで生体の外側から体内の卵や細胞を狙ってタンパク質を投入する技術が必要になるのだ。
 使用するのは、細胞膜を透過できる、その名も「Cell-Penetrating Peptide」略して「CPP」と呼ばれる短いペプチドだ。先行研究では。生体から取り出して培養した細胞での実験例があるが、生きている虫で成功した事例はまだ報告されていなかった。

kikuta_labo_02現在は大学院農学研究科に所属している竹中彩さん

 卒業論文のテーマを設定するにあたり、特に理系の場合は、教員からテーマを指定されたり、いくつかの選択肢が示されて選ぶというのが一般的だ。CPPを使った生体へのタンパク質導入の手法確立というテーマも菊田准教授がリストに挙げたものだったが、菊田准教授自身は「うまくいくとは思っていなかった」と本音を語る。
 成果が出るかどうかわからないテーマで卒業研究に挑むのは、学生にとってもリスクがある。しかし竹中さんは、しばらく迷った末にこのテーマを選んだ。「成果が必ず出ると言われているものにするか、自分の興味関心があるテーマにするかで、私は興味関心の方を優先したんです。だから最悪、成果が出なくても仕方ないかなと思ってました」(竹中さん)。

早かった成功と待ち受けていた試練

 ところが驚いたことに、3年次の終わりの3月から実験を始め、約2か月後の5月には、見事、生体へのタンパク質導入に成功した。蛍光のタンパク質を投入し、24時間後に遺伝子実験施設の顕微鏡を使って確認するのだが、最初は「他にも光る要素があるので、本当に入っているのかわからなかった」と竹中さん。画像を撮影し、菊田准教授のもとへ行って見せると、「これ、入ってるよ!」。

アブラムシのお尻から投入した蛍光タンパク質が緑色に光って見えているアブラムシのお尻から投入した蛍光タンパク質が緑色に光って見えている

 この最初の成果を出すまでに、「だいたい100回ぐらい試した」という竹中さん。まずアブラムシが動き回ってしまっては注射できないので、どうやって固定させるかを考えないといけない。両面テープを使った際は、剥がした際に死んでしまった。最終的にたどり着いたのが、「研究室にたくさん転がっていた」という寒天培地を使うこと。寒天培地にアブラムシを突っ込んで固定し、注射したらピンセットで取り出して、シャーレに移す。
 また、生体のどの部分からどんな角度で注射するのかも試行錯誤。胸からだとうまくいかず、お尻に刺すのがベストだった。竹中さんはあっけらかんと「運が良かったんです」と話すが、実際には夜中まで粘って実験に勤しんだ日もあった。努力の賜物なのだ。

 しかし、最初の成功が思いのほか早かったのとは裏腹に、厳しい試練はそのあとに待ち受けていた。手法の再現性を確かめるための追試に取り組んだものの、処置後すぐにアブラムシが死んでしまうという現象が起きたのだ。菊田准教授に相談しながら懸命に原因を探るものの、「これだ!」という理由が見つからない。焦りが募って、菊田准教授の助言に従って研究を少し休んだこともあった。その後、寒天培養に含まれていた抗生物質が原因だったと判明した頃には、さらに2か月が経っていた。

初めての学会、初めての査読論文

 12月(2022年)には、研究室の先輩とともにオーストラリアで行われた学会に参加して、今回の研究成果を口頭で発表した。初めての学会発表(しかも海外!)だったが、フロアで発表を聞いていた先輩によれば、「みんなニコニコしながら見守っていた」とのことだった。

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 もともと「研究」をしっかりやってみたいという想いで大学に入った。ところが1年次の終わり頃からCOVID-19が世界を襲い、水戸キャンパスから阿見キャンパスへと本拠地が移る2年次は、全面オンライン授業となった。「水戸ではサークルとか入らずに、阿見で新しい人間関係をたくさん作りたいと思っていたのに、それができなくて。辛かったですね」と竹中さんは振り返る。
 それだけに、菊田研究室のアットホームな雰囲気が心の糧になった。「僕は学生たちにあまりプレッシャーはかけないんです」(菊田准教授)と言うとおり、みんながのびのびと研究に取り組んでいるところが性分に合っていた。

 卒業論文がある程度整ってきたころ、菊田准教授から「雑誌に投稿して、しっかり査読してもらおうよ」という提案を受けた。研究をしっかりやってみたいと思ってはいたけれど、まさか学部生の自分が査読論文なんて。菊田准教授の手ほどきを受けながら投稿を進め、1つめの雑誌からはリジェクトされたものの、再構成して投稿したBMC Research Notesという老舗のオンライン雑誌でアクセプトされた。幅広い分野の論文を扱うジャーナルだが、幸い、研究関心の近い査読者がつき、有用なレビューをたくさんもらうことができた。その最たるものが、CPPを使ってイモムシの生体にタンパク質を導入することに成功したという論文が、ほんの数か月前に報告されているという衝撃の事実だった。
 「その論文は見落としていたので、焦りました。でも、その先行研究では、タンパク質の導入を確認する上で解剖を必要とするものだったんです。私たちの研究は生きているまま観察できるというものから、そこに新規性を認めていただけたことに感謝しています」(竹中さん)。菊田准教授は、「その論文の存在を知っていたら、投稿を薦めていなかったかも。そう考えるとケガの功名と言えるかもしれません」と笑みを浮かべた。

研究生活を導く「指針」と論文マグ

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 大学院生となった竹中さんのデスクには、オンラインで公開された論文のアブストラクトの画面のキャプチャ画像と、論文で使ったアブラムシの写真がプリントされたマグカップが、大事そうに飾られている。このマグカップ、菊田准教授が自費で作ってプレゼントしたものだという。
 菊田准教授によると、この「論文マグ」、最近"業界"内で話題になっているのだそう。確かにGoogleで「論文マグ」と検索するといろんなカップの画像が表示される。「学生が論文のファーストオーサーになったら、記念にプレゼントすることにしているんです。前に竹中さんの先輩たち2人がコーファーストオーサーになったときに初めて作ったので、竹中さんのは菊田研究室として3つ目の論文マグです」(菊田准教授)。研究への学生のモチベーションを高める粋な計らいといえるだろう。

 竹中さんは現在、研究対象をミズアブに変え、もともとやりたかった遺伝子編集の研究に取り組んでいる。彼女が確立したCPPを使った生体へのタンパク質導入は、後輩の4年生である今野晴智さんが引き継いでくれた。
 「他ではできない研究で、おもしろそうだと思ったので」と語る今野さんだが、竹中さんからも「研究テーマ、決まった?」と頻繁に聞かれるなど、働きかけはあったようだ(竹中さんは「そうだっけ?」ととぼけてみせていた)。「竹中さんの後ろにくっついて、実際に投入するところを見せてもらい、タンパク質を作るところから始めました」と語る今野さん。無事に追試も成功し、その後、自身の研究テーマとしては、注射ではなくエサの吸入を通じた体内への導入の実験に取り組んだ。竹中さんが切り拓いた道はこれからも延びていくことだろう。

竹中さん(右)と4年生の今野さん 竹中さん(右)と4年生の今野さん

 インタビューの最後に、「竹中さんにとって、菊田先生はどういう存在ですか」と訊いてみた。
 「私にとっての『指針』です。研究の内容だけでなく、人間関係とか、そういうことも含めて本当に支えていただきました」
 その「指針」に導かれるながら、竹中さんは今日も研究に勤しんでいる。新しい「論文マグ」を手にする日も近いかもしれない。

kikuta_labo_06左から今野さん、竹中さん、菊田准教授

(取材・構成:茨城大学広報室)