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【イバダイと地域力ー知でつながるコミュニティ】
常陸大宮市×人文社会科学部

常陸大宮市で、2031年度までを見通す壮大なる市史編さんプロジェクトが進行中。それを可能にする地域力と茨大の関係とは──

 2023年3月、本文857ページに及ぶ分厚い『常陸大宮市史 資料編2 古代・中世』が刊行された。『常陸大宮市史』としては、植物や岩石などの自然誌をまとめた前年の『別編2自然』に続く第2弾。今後、近世、考古、近現代の資料編、さらに通史編や民俗をまとめた別編など、2031年度まで刊行が続く計画だ。

 「平成の大合併以降、自治体の財政状況も厳しくなっている昨今において、ここまでのボリュームの市史をまとめるというのは茨城県下では初めてだし、全国的にも珍しいんじゃないですか」。そう語るのは、常陸大宮市史編さん委員会の委員長を務める、茨城大学人文社会科学部の高橋 修 教授。同委員会が発足して計画を作り始めた2014 年度から数えると約20年を見通す壮大なプロジェクトだ。歴史学者として丹念に史料を整理し、解釈をつけていく。「100年後に資するものにしなければ意味がない」(高橋教授)。委員長らのこの進言を当時の三次真一郎市長は尊重した。

 「郷育立市」を掲げる常陸大宮市は特に教育や文化を大事にしてきた自治体だ。この理念を引き継ぐ鈴木定幸現市長のリーダーシップも大きい。それでも市教育委員会で市史編さんを担当する髙村恵美さんは、「長い時間がかかる市史編さんに一緒に取り組む覚悟を示してくださった高橋先生の存在は心強かった」と振り返る。一方、その高橋教授は、「大学院を修了した職員が長年地道な調査を続けていて、土台としての基礎整理がよくできているということが大きい」と語る。

 髙村さんをはじめ、その作業を担う常陸大宮市の職員には、茨城大学で歴史を学んだ卒業生・修了生も多い。杉浦果奈さんもその一人だ。「大学の先輩たちが常陸大宮市役所に入って文化財関係の仕事をしていることを知り、採用面接のときに自分も関わりたいと言いました」。向こう約15年の市史編さんプロジェクトの存在は、今後も専門人材を引き寄せるブランドになるだろう。

 また高橋教授は「地元の人の関心が涵養されてきている」とも話す。実際、市史編さん委員会や文書館が開く歴史講座は、毎回多くの市民でにぎわっている。公共交通機関のない山中の公民館が会場であっても、駐車場には多くの軽トラックが押し寄せ、300人もの来場者が当たり前のように集まり、入場制限をかけることも。

 ここでも市職員のみなさんの地道な取り組みが大きな役割を果たしている。「ある程度の年齢になると歴史に興味を持ち始める方が多いんですよね。その需要が高まったタイミングで高橋先生が市に関わるようになったんです」(髙村さん)。

左から中林さん、高橋さん、高橋教授、杉浦さん、高村さん、常陸大宮市出身の平山URA 左から市職員の中林香澄さん、高橋拓也さん、高橋教授、市職員の杉浦果奈さん、髙村恵美さん。一番右の平山太市URAも常陸大宮市出身だ。

 高橋教授が常陸大宮市に関わるようになったのは、茨城大学着任の翌年、当時の人文学部と同市との間で連携協定が結ばれた2005年のことだ。以降、戦国時代に山城が築かれていた旧美和村・高部地区の調査など に住民の方々とともに関わった。その後高部では住民主体で調査やPR冊子の制作、ヒストリーツアーの実施などが行われている。今回刊行された市史の「古代・中世」巻では「城郭」というテーマでひとつの項を割き、105もの城跡を紹介しているが、「それらを網羅する上で市民の方々の力は不可欠でした」と高橋教授は語る。

 また、自分のルーツを求め、家系図などの資料を探しに文書館を訪れる方は多い。「高橋先生はそういう方々に対して、学生と接するのと同じように、こういった文献、こういう施設をあたってみてはどうかなどのアドバイスをしてくださるんです」(髙村さん)。

 そんな常陸大宮市の住民の「ルーツ」を語る上で、かつてこの地域を治めた佐竹一族との関わりを外すことはできない。「古代・中世」巻も佐竹の歴史が核となっている。なかでも重視されているのが「部垂れの乱」(1529〜1540年)だ。これは佐竹家の当主・義篤と、その弟で、現在の常陸大宮市街地に築かれた部垂城の城主だった部垂(宇留野)義元との間で勃発した争い。周辺の一族も巻き込んで、争いは12年にも及んだ。結果は義篤が勝利したが、部垂氏に与した小場氏らは滅亡を逃れ、佐竹家が秋田へ国替えさせられた江戸時代には、その一族が重臣として取り立てられていたりもする。やはり本学卒業生で現在は文書館に勤めている高橋拓也さんは、「佐竹家の争いとして有名な『山入の乱』が外部の力を借りて収めるしかなかったのに対し、その後の部垂の乱は自分たちで克服したという点で、佐竹氏が戦国大名となる上でより重要だったと考えています」と言う。「部垂氏」が「佐竹氏」になっていたかもしれないこの争いの形跡は今にも残り、それも住民のルーツ探しの関心に拍車をかける。

 「歴史を知ってかつてその地で起こった出来事や繁栄のあとを見出だすことができると、そこで生きていく意味を自分たちで語れるようになるんです」と高橋教授。「我々の役目はそこにエビデンスを与えていくこと。人間が現実に展開した宇宙の方が、作り出した架空の物語より絶対に面白いんですよ」。

高橋教授 歴史資料をみんなの宝だと思ってもらうことが継承の鍵」と高橋教授

取材・文・撮影:茨城大学広報室

 

IBADAIVERS_LOGO.pngこの記事は茨城大学の広報紙『IBADAIVERS(イバダイバーズ)』に掲載した内容を再構成したものです。