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[人文社会科学の書棚から]今村一真教授、高橋修教授

人文社会科学部の学問について、教員の新著に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズの第10回です。今回は、2023年度前半期に刊行された、人文社会科学部の先生の著書2冊取り上げました。著者の今村一真先生と高橋修先生に、その内容や出版のねらいについてご紹介いただきました。(企画・構成:茨城大学人文社会科学部

今村一真
『サービスにおける顧客優位のマーケティング-価値共創を基軸としたダイアディック・アプローチ-
(全310, 同文舘出版 2023910日発行 3,600+税)

 我々は日常的にさまざまなサービスを利用して生活しています。いろいろなサービス利用があり、中には利用が続くものもあって、いつの間にか意味を感じるようになります。今や、我々にとってサービスが与える影響と無関係な生活など考えられません。それくらいサービス利用は人々の日常生活の中に複雑に入り込んでおり、必要性の感じ方もさまざまだといえます。さて、サービスはどのようにして顧客の生活の中で結びつき、存立の基盤を確立しようとしているのでしょうか。こうした問いに基づく研究をまとめたのが本書です。
 サービス・マーケティングおよび関連する研究の広範な検討を通じた独自の分析枠組みによって、サービスの存立と創造のメカニズムを解明しています。そのうえで、日本におけるマーケティング研究の偏在性を捉え、現代的課題を浮き彫りにするのが、本書の大きな特徴です。

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 その中身はといえば、最初に一連のサービス・マーケティング研究だけでなく、関連性のあるリレーションシップ・マーケティング研究の変遷を俯瞰した検討を試みます。そのうえで、実在性を新たに問う視点の台頭にも触れ、それによってもたらされる批判的な議論がどのように進展したのかを確認します。このことによって、マーケティング研究が新たに焦点化しようとする実在的なテーマとは何かについて再考し、論点を明確化することで、これまでになかった研究の視座を得ることができました。
 経験的研究の展開にも特徴があり、新たな実在への接近によって、サービスの有効性の成立をめぐる構造的な見方から、マーケティングの重要性を示しています。こうした研究を構成することで、研究者のみならず、マーケティング実務担当者の双方の関心に応える内容になるよう心掛けました。
 本書をまとめるうえで、本学部のさまざまな先生方との交流が力になりました。それは、社会的交換や組織学習をテーマとした検討に表れており、ほかにも経験的研究のリサーチ・デザインに反映することができました。学際的な検討が実現したのは言うまでもなく、日本のマーケティング研究では類を見ない、長期に及ぶ質的研究の推進に舵が切れたのも、その成果です。これらが本書の大きな特徴といえます。
 つきましては、ぜひ多くの方々にご一読いただき、忌憚のないご批評を賜りたいと思います。さまざまなご意見を励みにしながら、さらに研鑽を重ねようとしているところであり、多くの方の関心とともに本書があることを、切に願う次第です。
(いまむら・かずま 人文社会科学部教授 専門は商学、経営学) 

書籍情報(出版社サイトへリンク)


高橋 修
『中世水軍領主論―紀州熊野からのアプローチ―(高志書院 20239月刊 定価5000円+税)

 紀伊半島の南から伊勢方面にかけての太平洋沿いに、奥深い山地を抱く地域は「熊野」と呼ばれます。平安時代後期の「院の熊野詣」を皮切りに、皇族・貴族、やがては武士や庶民まで巻き込んで参詣ブームを巻き起こした霊場・熊野三山(本宮、新宮、那智)は、宗教権門として周囲への影響力を強めていきます。
 源平合戦の時代に、熊野三山を統括する別当の地位に就いたのが湛増という男です。田辺別当家に生まれた湛増は、いち早く反平家の挙兵に踏み切りましたが、当初はライバルの新宮別当家や弟湛覚の反発もあり、孤立していきます。苦境を打開するため、彼が目を付けたのが、熊野の海に暮らす人々の武力でした。

高橋教授紀州熊野の海辺にて

 水軍を組織しこれを率いて、平家の本貫の地でもある伊勢に乗り込んだ湛増は、次々に軍事的成果をあげていきます。その戦果を楯にとって、新宮別当家の行明や弟湛覚を熊野から追い出し、三山の諸勢力を統一することに成功したようです。一方、列島上では源氏と平家の戦いが展開しています。元暦2年(1185)、湛増は水軍を率いて壇ノ浦に出陣し、義経軍に加わります。出陣を前にして、湛増は田辺の新熊野社(現闘鶏神社)の社頭で、白い鶏と赤い鶏を戦わせて源平いずれに与するか、「鶏合わせ」という占いをしました。何度戦わせてみても、貧相な白い鶏の方が勝ち、湛増は遂に源氏に味方する決断をしたと語られています。しかし湛増は挙兵当初から平家に叛いていたので、『平家物語』が伝えるこの説話はフィクションです。熊野の神々の霊威を背負う熊野水軍が源氏に与したことで壇ノ浦の勝敗が決まった、と当時の人々が感じていたことの表れなのかもしれません。
 内乱の終息後、湛増は義経との関係を疑われたためか、頼朝から冷遇されます。三山においても、源氏と姻戚関係をもつ新宮別当家が勢いを盛り返し、晩年の湛増は不安も抱えていたようです。建久6年(1195)には頼朝との対面もかない、許されますが、その3年後、湛増は、波乱に満ちた69年の生涯を終えています。
 さて、湛増が組織した熊野水軍は、主亡き後、どうなったでしょうか。本書では、その後400年にわたる、熊野の海辺に拠点を築き、海上で独自の軍事力を発揮した水軍領主のあり方を、史料に忠実に復元し、列島の中世におけるその特質を考える論稿を集めたものです。ぜひお手に取って、海に生きた武士(もののふ)たちの息吹を感じていただければと思います!

(たかはし・おさむ 人文社会科学部教授 専門は日本古代中世史)

書籍情報(出版社サイトへリンク)