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毛のないクジラ類とカバの遺伝子進化の過程を解明
毛のキューティクルに関連する遺伝子が偽遺伝子化

 茨城大学大学院理工学研究科の大学院生・長澤協美さん(研究当時/2023年3月に修了)と同研究科(工学野)の北野 誉 教授は、鯨偶蹄目における毛のキューティクルの保持に関与する遺伝子の進化過程を解析し、毛のないクジラ類やほとんど毛のないカバにおける遺伝子の機能の消失過程(偽遺伝子化)を明らかにしました。偽遺伝子とは、もともとタンパク質などの遺伝子産物をコードして機能していた遺伝子が、現在ではその機能を失った状態にあるものを指します。
 本研究は、毛のキューティクルに関連する遺伝子の進化を明らかにしたものであり、水中生活に適応したクジラ類やカバの進化を理解するための貴重な示唆を提供するものです。
 本研究成果は、米国科学雑誌「Journal of Molecular Evolution」に、2023年10月3日(火)にオンライン版が公開されました。

>>プレスリリースをご覧ください(PDF)

研究内容

 哺乳類の毛に関連する遺伝子は、毛などの角質構造の発達と維持に重要な役割を果たします。S100カルシウム結合タンパク質A3(S100A3)遺伝子は毛のキューティクルで高く発現し、キューティクルの保持に寄与するタンパク質をコードしています。このタンパク質内のアルギニン残基は、ペプチジルアルギニンデイミナーゼ3(PADI3)酵素によってシトルリンに変換され、キューティクルの安定性が向上します(1)。

図1

図1 PADI3酵素によってアルギニンがシトルリンに変換されるS100A3タンパク質。S100A3タンパク質のアルギニンが、PADI3酵素によってシトルリンに変換されることによって、四量体化が進み、毛のキューティクルの保持が向上する。

 本研究では、クジラ類およびカバにおけるPADI3およびS100A3の遺伝子の機能の消失過程(偽遺伝子化)を詳細に調査し、PADI3がクジラ類の進化過程で3つの独立した偽遺伝子化イベントを経験したことを発見しました。これらのイベントは、ヒゲクジラ類、マッコウクジラを除くハクジラ類、およびマッコウクジラの系統でそれぞれ起こりました(図2)。特に注目すべきは、ヒゲクジラ類においてPADI3遺伝子全体が存在しないことです。
 一方、S100A3の偽遺伝子化はクジラ類とカバで独立に起こったということが明らかになりました(図2)。興味深いことに、クジラ目ではS100A3がPADI3よりも前に偽遺伝子化したということが示唆され、これは2つの遺伝子に異なる自然淘汰圧が影響していた可能性を示唆しています。また、カバのPADI3の機能は維持されているということが示唆され、おそらく他のタンパク質のアルギニンをシトルリン化していると考えられます。

図2

図2 鯨偶蹄類の系統樹とPADI3(赤矢印)とS100A3(青矢印)の機能消失時期。ヒゲクジラ類のPADI3は遺伝子全体が欠失しているため、偽遺伝子化の時期を推定できない。そのため、ヒゲクジラ類の共通祖先の枝の中央に矢印が置かれている。動物のイラストはPHYLOPICより。

研究手法

 タンパク質コード領域における塩基置換は、アミノ酸の変化を伴わない同義置換とアミノ酸の変化を伴う非同義置換に分けることができます。同義置換は機能的制約がないため比較的高い率で起こるのに対して、非同義置換は機能的制約のために低い率に抑えられます。しかし、遺伝子が偽遺伝子になると機能的制約から解放されて、非同義置換率が同義置換率と同程度まで上昇します。
 本研究では、この非同義置換率の上昇の時期を特定することによって、クジラ類のPADI3S100A3の偽遺伝子化の年代を推定しました。偽遺伝子化すると、コドンの読み枠がずれるフレームシフト突然変異や終止コドンへと変化するナンセンス変異を蓄積することがあり、これらを確認することができれば、偽遺伝子化の直接的な証拠になります(3)。
 一方、ヒゲクジラ類のPADI3の遺伝子全体の欠失については、PADI3を含むPADI遺伝子ファミリーのゲノム上の並び(シンテニー)と系統関係とを詳細に解析することによって明らかにしました。

図3


図3 ハクジラ類のPADI3の223番目のコドンにみられる終止コドン(TGA)。

研究の意義

 本研究では、毛のないクジラ類とほとんど毛のないカバにおけるS100A3タンパク質とPADI3酵素をコードする遺伝子の偽遺伝子化過程を詳細に解析しました。S100A3は毛のキューティクルの維持に重要な役割を果たし、一方でPADI3はS100A3のアルギニン残基をシトルリンに変換してS100A3の安定性を向上させます。本研究では、S100A3遺伝子がカバとクジラ類で独立して偽遺伝子に進化し、その後、クジラの系統でPADI3も偽遺伝子化したことを発見しました。
 偽遺伝子化の例として、ビタミンC合成系の遺伝子がよく挙げられます。ビタミンCはヒトを含む多くの動物にとって不可欠な栄養素ですが、ヒトではビタミンCを合成するための最終段階の酵素をコードする遺伝子が偽遺伝子しており、ビタミンCを体内で合成できなくなりました。しかし、ヒトと多くの他の霊長類は、フルーツや野菜などの食品からビタミンCを摂取することで必要な量を補給できます。このように、ビタミンC合成に関与するこの遺伝子の偽遺伝化が、生存に大きな影響を与えなかったと考えられています。同様に、S100A3とPADI3をコードする遺伝子は、毛のないクジラ類には必要のない遺伝子であるといえます。そのため、これらの遺伝子が偽遺伝子に変化したことは自然な進化の一環とみることができます。
 本研究の成果は、クジラ類とカバでのこれらの遺伝子の分子進化に関する新たな知見を提供し、毛のキューティクルに関連する遺伝子の進化を理解する上で重要な示唆を提供しています。

論文情報

  • タイトル:Pseudogenization of the Hair-related Genes PADI3 and S100A3 in Cetaceans and Hippopotamus amphibius
  • 著者:Kyomi Nagasawa and Takashi Kitano
  • 雑誌:Journal of Molecular Evolution
  • 公開日:2023103日(オンライン版)
  • DOI1007/s00239-023-10133-0
  • 論文URLhttps://rdcu.be/dnFqe