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[人文社会科学の書棚から]
石井宏典教授『都市で故郷を編む』

 人文社会科学部の学問について、教員の新著に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズの第8回です。今回は、2023年3月に刊行された、人文社会科学部教授・石井宏典先生(社会心理学)の著書『都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰―』をインタビュー形式で紹介します。インタビュアーは人文社会科学部教授の高橋修先生(日本古代中世史)です。同じく松本光太郎先生(発達心理学)にも加わっていただきました。インタビューは、2023年6月23日、沖縄慰霊の日に、人文社会科学部の石井宏典研究室で行いました。(企画・構成:茨城大学人文社会科学部

高橋 石井先生とは、私が赴任してからしばらくの間は研究室がお隣り同士でした。その頃は、お互いの研究の話も時々していましたね。フィールドワークという共通する方法論があって、沖縄での調査の話もうかがった気がします。今日は3月に刊行されたご著書について、いろいろうかがわせていただきます。どうぞよろしくお願いします。

石井 高橋さんがお隣りのとき、いただいた調査成果の抜刷にいくつかの地図が効果的に活用されているのを拝見して、扱う時代は違えども、人びとの営みを時空間に位置付ける姿勢は共通しているのだなと感じておりました。こちらこそ、本日はどうぞよろしくお願いします。

高橋 松本さんは心理・人間科学メジャーで、同じく心理学がご専門ですが、石井さんの研究分野とはどういう接点があるのでしょうか。

左より、石井先生、松本先生、高橋先生 左より、石井先生、松本先生、高橋先生

松本 そうですね、心理学において家族をはじめとする対人関係や、石井さんが専門とする集団や社会、時代といったことを取り上げる際、認識や生理といった身体内の指標との因果や相関を研究することが多いです。しかし、私たちは対人関係や社会などの中を生きているのが現実で、認識・生理と対人関係・社会を操作的に分けて因果や相関を研究すると、現実と研究がズレてしまいます。できるだけ現実に即したかたちで人間を理解したいという方法へのこだわりが石井さんとの接点かなと考えています。

高橋 ではそろそろご著書についてうかがっていきたいと思います。新著『都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰―』は、沖縄の備瀬の人たちが、那覇や大阪、フィリピンといった、備瀬からは離れた場所で作ったコミュニティにスポットが当てられています。「よそ者」として石井さんが外から加わり、現地の人たちと会話を重ね、体験・観察しながらまとめ上げた移動の地域誌ともいえる調査成果ですね。前著『根の場所をまもる―沖縄・備瀬村の神人たちと伝統行事の継承―』とも密接に関係しているようです。そのあたりも含めて、まずは石井さんからご紹介ください。

石井 わかりました。本書は、私の専門である社会心理学にもとづく長年のフィールドワークの成果です。1920年代から現在までの約百年という期間を視野に収めながら、特定の地域社会に定位して、近代の産業化にともなう社会変動のなかを人びとがどのように生きてきたのか、その軌跡を辿っています。具体的には、いまご紹介いただいたように、沖縄島北部に位置する備瀬(びせ)というひとつのシマ(沖縄ではムラをシマと呼びます)から、生活の糧を求めて国内外の各地―戦前期大阪の紡績工場、戦中期のフィリピン・ダバオの麻農園、戦後の大阪のメッキ工場や那覇の衣料品市場など―に、働きに出た人びとの歩みをなぞり、社会心理学の立場から考察を加えています。シマのつながりを頼りに出郷した人たちは、移動先の状況に応じてあらたな共同のかたちを編み出し、身を寄せ合いながら生きてきました。本書の課題は、そうした過程を個々人のライフサイクル(人生)と時代史とを交叉させながら記述し、とくに共同性の生成という観点から考察することにあります。

都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰― 都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰―

石井 また本書では、近代の変動期に「シマを離れた移動者たち」の足跡を取り上げており、前著では「シマに住み続けてきた人たち」の営みに焦点をあてました。したがって、両者は対をなす成果なのですが、研究の流れとしてはむしろ本書の調査が先行していました。しかし、近年シマの伝統文化が急速に失われつつあるさまを目の当たりにして、連綿と続いてきたシマの営みを記録することを優先させました。それは、シマの人びとの根を確認する作業でもありました。

高橋 一連の研究は、備瀬というひとつの地域社会の変容も扱っているのですね。ところで、そもそも備瀬というフィールドにはどのようにして出会われたのでしょうか。

石井 大学院に入って1年目の終わりに、恩師である指導教員の調査に加わって備瀬に滞在したのがはじまりです。1989年のことです。その調査自体はひと月で終えたのですが、私はそのまま一人残って、大正時代から昭和初期に日本各地の紡績工場で働いた経験のある年配の女性たちから聞きとりを始めました。このとき、「近代化と故郷」という大括りのテーマを設定していました。その後、戦後の大阪で備瀬出身者たちが起ち上げたメッキ工場に同郷人が集中したという事実を受けて、その流れを把握するために大阪に渡りました。メッキ工場という労働現場は私にとってまったく未知の世界だったため、はじめに工場でひと月働かせてもらってから、体験者のもとを訪ね歩く聞きとり作業に着手しました。このときは、備瀬と大阪を合わせて7ヶ月ほど滞在することになりました。その成果を修士論文としてまとめてから現在まで、30年を越えて備瀬の方々との付き合いが続いています。ただ、こうしたなりゆきは当初、私自身もまったく予想していませんでした。

高橋 調査のスタイルから言えば、人類学のような、社会学のような。こうしたスタイルの心理学者は、他にもたくさんいるのでしょうか。

石井 いや、かなりのマイノリティーですね(笑)。私が学生時代に教えを受けた社会心理学は、歴史的限界を見据えながら、人(人格)・社会・文化の有機的統一的把握をめざす、というものです。ですから、心理学のたんなる下位分野というよりも、心理学、社会学、文化人類学などが交叉するところに成立する、総合的な学問領域といえるのです。また、人びとの営みを歴史的文脈に位置づけることを重視する点で、高橋さんがご専門とされている歴史学とも大いに関連しています。研究手法としては、現場に密着したフィールドワークを中軸に据えます。

高橋 でも石井さんのように、数ヶ月も調査対象とする地域に入り込んで生活しながら調査・研究するのは大変なことだと思います。

松本 例えば人類学の調査であれば、ターゲットを決めてからフィールドに向かうのが一般的ではないでしょうか。石井さんの場合は、ともかく行ってみる、行ってから課題を見つける感じなのでしょうか。

石井 もちろん先行研究の成果も重視しますが、フィールドに入るときにはそれらはいったん脇に置いて、できるだけ素の状態で入っていくことを心がけます。つまり、研究者の先入観を通して現場を位置づけてしまうのではなく、あくまでも現場に即した問いを起ち上げることを重視します。そのためには、まずは現場に身を置いて、そこで暮らしている人たちと交わり、その生活世界に少しでも近づこうとします。研究の展開も、設定される問いも、フィールドワークを重ねるなかで変わっていきます。本書では「共同性の生成」を中心的なテーマに据えていますが、備瀬の人たちとの交わりを通して、国家や沖縄といった大きな単位の共同性よりも、個々の場所で日々の交わりを通して生まれ、維持されてきた小さな単位の共同性に目を凝らすことになりました。

松本 人びとの足跡を実際に各地に訪ね歩く、ある意味でとても「贅沢な」研究ですよね。

高橋 「問い」を探しに旅に出かけるような。いまでもフィールドには長期間滞在するというスタイルで研究をされているのですか。

石井 そうしたいところですが、さすがに今は何ヶ月も滞在することは難しいので、短期間の滞在を繰り返すというスタイルに変わりました。さいわい、2012年以降は茨城空港から沖縄・那覇への便が飛ぶようになったので、フィールドとの往復がだいぶ楽になりました。

松本 本書のタイトルにある「編む」という行為は、調査成果を編集しながら、石井さん自身の人生や問題意識の変遷も編み込まれているような印象を受けました。

石井 おっしゃる通りです。私たちが実践する社会心理学では、いま生きている人間、たえず移りゆくコミュニティを対象としており、研究者自身が現地の人たちと交わりながら思索を深めていきます。私自身の人生もまた、備瀬の人たちと出会って、その付き合いとともに変遷してきました。だから現在の私という存在は、その関係性と切り離すことはできません。一連の研究は、こうした関わり合いのなかで見えてきたことを捉え返して記述し、考察する作業です。つまり、フィールドで出会った相手との関係性に支えられて、研究の営みもまた展開していく。したがって、その成果は、研究者自身のアプローチの仕方次第で見えてくるものが違ってくるという側面があります。今回の本では、こうした関係性の変遷とフィールドワークのなりゆきを積極的に書き込んでいます。

高橋 石井さんのそうした研究スタイルは大学での教育にも反映されていますか。

石井 私が担当する行動文化論ゼミでは、3年生の秋口までにフィールドを定めて、それから1年間は通うことを推奨しています。当初ゼミ生は、「1年も」通うのかと思うようですが、長年活動を重ねてきた現場の人たちから見れば「たった1年」かもしれません。現場に繰り返し通って相手を知る努力を重ねるとともに、相手に自分のことを知ってもらうことも大切です。そうして関係を紡ぎながら、現場にとっても切実な問いを見出し、起ち上げていく。こうした過程を重視しています。
 誰しも、知らない世界に足を踏み入れるのには勇気がいりますが、学生たちには「かならず受け入れてくれる人たちがいるから大丈夫」と背中を押しています。これは、四半世紀を超える卒論指導を通じて実感してきたことです。そしてこの方針は、近年のコロナ禍という困難な状況にあっても変える必要はありませんでした。若者たちを受け入れてくれる大人たちがいることに、学生たちも私も、大いに励まされました。このように受容される経験をした学生たちは、やがて、後続世代を支える役目を自ずと引き受けるようになる、そんな予感がしています。

松本 石井さんの研究には、「消えていく場所」を掬い取る、書き留めるという目的もありますよね。「継承」という問題については、どのように考えられていますか。

石井 最初から「消えていく場所」を記録しようと意図していたわけではないのですが、結果的に、失われた場所の記憶を刻む作業にもなりました。これまで続いてきた営みも時代の影響を受けながら変わっていきます。だから、たんに消えゆく過程として位置づけるのではなく、新たなかたちに編みなおされていくさまにも目を凝らしていきたいですね。例えば備瀬は、2000年代に入って、フクギ並木を目当てに多くの観光客が訪れる場所になりました。その過程で、伝統行事が行われてきた砂地の広場がアスファルトの駐車場に変わりました。しかし、その一角で、土地の神々に向かって手を合わせる聖なる場所は、しっかりと守られています。また、観光地化の流れのなかで、昔ながらの営みを今も残すシマの暮らしに魅せられて移り住む若者もいます。現在、シマの人たちはこうした人たちを受け入れながら、伝統の営みを継承する道を探っています。

高橋 前著と合わせて拝読すると、石井さんのご研究の30年を越える調査・研究の集大成と言えそうですね。

石井 先日、松本さんにこの本を謹呈した際、「この3年間で、2冊の単著はすごいですね」と言われたんですが、「いや、3年間じゃないんです。34年かけてようやく2冊の本を世に送り出すことができたんです」と返したら、「そうですか、34年ですか...」と、互いに沈黙の時間となりました(笑)。
 高橋さんや私のような世代の人文系の教員は、ライフワークに取り組む先達たちの背中をみて、研究の奥深さを感受した者が少なくないのではないでしょうか。私もまた、長い時間をかけて研究に取り組むことをゆるしてくれた茨城大学という場所に身を置くことができて幸いでした。ところが近年、本学でも、単年度ごとの業績評価制度が導入されるなど、私たちの研究環境が急激に変わりつつあります。しかし、人文社会科学分野の学問にとっては、これからも、息の長い取り組みを支えるような研究風土を守っていくことがとても重要だと思っています。そして、本書の刊行は、本学の出版支援制度によって大いに支えられました。大変有り難く、今後ともぜひ継続させてほしい制度です。

高橋 長時間にわたりありがとうございました。たいへん刺激的なお話をうかがうことができました。石井さんの今後の研究がさらにどう進展していくのか、とても楽しみです。

石井宏典『都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰―』 

石井宏典『都市で故郷を編む―沖縄・シマからの移動と回帰―』 
東京大学出版会、6800円+税、20233月刊)

書籍情報(出版社サイトへリンク)

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