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共同通信社の入社式で代表挨拶を行った茨大卒業生にインタビュー
―好奇心と個性が描く記者の在り方

茨城大学人文社会科学部を今年3月に卒業し、4月から共同通信社に勤めている山崎祥奈さんが、入社式で新入職員代表のスピーチを行いました。人材競争が激しいメディア業界で、新入職員代表に選ばれたというのは、マスコミ就職者の多い茨大の卒業生の中でも例が少ないようです。スピーチを通じ山崎さんが伝えたかったこと、大学での学びと今の仕事の結びつきなどについて、山崎さんが所属した齋藤義彦ゼミに参加しこれからメディア業界を目指す3人がお話を聞きました。実際のスピーチ原稿の一部もあわせてご紹介します。

スピーチを通じて周りと繋がれた

―早速ですが、入社式ではどんな想いでスピーチを臨んだのでしょうか?
「記者を目指すきっかけや記者を仕事にしたいと思った経験、自分なりに思う記者の使命について話しました。小さい頃の経験や地元の石川県を取材したときのことにも触れましたね。8割くらいは自分の経験で、結論としてこれからの抱負を述べた感じです。『普通のスピーチが求められているわけではないな』と感じていたので、自分にしか話せないスピーチをすることと皆の代表であることを意識していました。」

―実際にスピーチを行ってみていかがでしたか?
「本当に緊張しました。人前で話す経験があまりなかったので。でも、いざやってみると私が伝えたことに共感したと感想をくれた人がいて、なんだか周りの人と繋がれた気がしましたね。『皆が自分の経験を振り返れるようなことをスピーチにしたい』と思っていたので、それをきちんと受け取ってもらえたことが嬉しかった。仕事も一緒ではないかと思います。自分に何ができるのかを考えてやってみて、読者の方や受け取り手に届けることが仕事なんだなと感じました。」

山崎祥奈さん入社式で新入職員代表挨拶をする山崎祥奈さん=共同通信社提供

ゼミ活動が「新聞記者になる」という目標をつくった

あるとき私は頂上から見える景色を楽しみに近所の山へ行ったのですが、頂上からの景色は期待とは違い、赤茶色の土が露出する広大なはげ山でした。驚く私に父は「ソーラーパネルを作るためだ」と言います。環境にやさしいと謳う太陽光発電の実態とは、田舎の山奥でひっそりと自然を破壊することなのか。激しい怒りの感情が沸き起こりました。私はこのとき、環境保護が自然破壊に結びつく矛盾を目の当たりにしたのです。こうした現状を誰かに伝えたい。訴えたい。この衝撃は、私が記者を目指す原体験になりました。(実際のスピーチから抜粋、以下同)

―記者を目指す原体験が小さい頃の山登りにあったんですね。
「小学3年生のときです。現状を伝えられない自分の非力さを感じました。この光景は皆が知っているわけではないし、私しか知らない可能性もある。そんなモヤモヤが就活の根底にありました。自己分析をする中でそういえばそんな体験があったなと振り返ったんです。」

―では、新聞記者になろうと思った決め手は何ですか?
「ゼミの取材プロジェクトでブリについて取材した時です。もともと興味を持っていた地元の石川県を題材にしました。」

※取材プロジェクト...ジャーナリズム専攻のゼミ生が行っているプロジェクト。二年生は半年間、三年生は一年間かけて自分の興味のある分野について取材を行い、取材交渉、日程調整、記事の執筆まですべて自力で行い、報告会が行われる。過去の取材テーマはVTuberなどのエンタメ、性被害の実態などの社会問題など多岐にわたる。また、複数人で同じテーマについて協力して取材を行う場合もある。

能登では毎年冬になると脂の乗ったブリという魚がたくさん捕れます。大学 3 年生の時、ブリがどういうわけか北海道の函館で捕れているという話を耳にします。函館は昔から「イカの街」と呼ばれ、イカを中心に産業が成り立ってきたような所です。その場所で、イカが記録的な不漁を記録した代わりになじみのないブリが取れている...。現地に足を運び愕然としました。駅前すぐの市場にあるイカのいけすにはイカが一匹もいません。一方で捕れてしまうブリを活用しようと動き出す人々の姿もありました。上手く調理してブリカツにしたり、カツヲ節ならぬブリ節にしたりと、起きてしまった変化に適応しようと奮闘していました。しかし、地域社会で新しいことを始めるということに苦悩も絶えません。「市場にはイカを生業とする漁師がたくさんいるので、積極的にブリを売り出すそうとすると反発を招きかねない」と言うのです。ブリという 1つの魚が軸となり、環境問題や地域の問題までもが鮮やかに浮かび上がりました。

「自分にとって身近な興味から取材を進める中で、不漁や住民の衝突など異なる問題に直面する漁師さんがいました。ブリという魚を通して環境問題や住民間のやり取りも見えてきたんです。その現状を知れたのは、ブリに対する興味が縁になったからだと思います。自分をつくる生い立ちや経験、全てが取材のきっかけになる。なんて面白いんだろうと感じました。自分だからこそできることがあると実感して、記者になりたいという意思が固まっていきました。」

―そんな山崎さんが考える新聞記者の使命とは何でしょうか?
「人と人とが対話を通じて和解できることを広めることだと思います。」

2月までの半年間は台湾に留学していました。あるとき、知り合った先住民のセデック族の方と登山に行くことになりました。台湾は親日であるとよく言われますし、それは間違っていないと思えるほど「日本人である」と伝えると各地で歓迎してもらえます。しかし、セデック族が住む霧社を訪れたとき、どこか雰囲気が違いました。霧社は日本統治時代にセデック族が蜂起し、凄惨な抗日運動である「霧社事件」を引き起こした場所です。勇気を振り絞り「今、日本人のことをどう思っているか」とセデック族の方に聞いてみました。彼は笑いました。「祖父はひどく嫌っていたと聞いているけど、今僕は日本人だからと嫌いにはならないよ。先住民でも日本人でも、いろいろな人がいると分かっている」と答えました。台湾の親日感情に包まれて、植民地統治の過酷な部分が確かにあったということについて見てみぬふりをしていなかったか。どうしようもなく泣きそうな気持ちになりました。

「自分の先入観と経験から判断してしまい、実際に行動して人に話を聞くことでしか知れないこともあると実感しました。先住民の方に言われた言葉が、今でも忘れられません。戦争のような争いを引き起こさないために動くのも記者の使命としてあるべきだと思います。国や地域という枠組みや過去の過ちを乗り越えて、人と人同士対話することの可能性を伝えることは記者の使命につながると考えます。」

―ゼミ活動や留学を経て、記者を目指す意思が固まったのですね。そもそも大学以前からメディア業界を意識することはあったのでしょうか?
「ありましたね。中学の時に後藤健二さんという記者を知った時です。命をかけて事実を伝えようとする姿にあこがれてしまったんです。このことは就活をきっかけに再認識するようになりましたね。」

※後藤健二さん...中東やアフリカの紛争地に身を投じてきたフリージャーナリスト。難民や少年兵など、紛争の犠牲となる人々にカメラを向けてきた。2015年、過激派組織「イスラム国」(IS)によって拘束・殺害された。

―そういった経験を踏まえ、大学での学びは仕事とどう結びついていると思いますか?
「ゼミの活動を通じて実践的にジャーナリズムを学べました。私は好奇心が強くいろんなところに行っていろんな人の話を聞きたいと思っていたので、その好奇心が記者という職業に行き着きました。齋藤先生のゼミは、取材プロジェクトなど実践的な内容が多く他の大学生と差別化できていたと感じます。他のジャーナリズム系の学科の人では理論や知識を吸収している印象があったんですけど、取材プロジェクトなどの実際に現地を訪れて取材をした経験が自信につながりました。」

―齋藤ゼミは主にジャーナリズムを専門としていますが、具体的にどのような活動を行っていたのでしょうか?
「取材プロジェクトでは『ブリと環境問題』について扱いましたが、卒論ではテーマをガラッと変えて『障がい者と娯楽』をテーマにしました。どちらにも共通しているのはフィールドワークを行ったことです。やっぱり当事者や住民に話を聞くのは欠かせませんでしたね。その時はコロナ禍で、オンラインでのインタビューが推奨されていたんですけど、対面でなければわからないことがあると強く感じて、一人で勝手に現地に赴くこともありました。だからこそ、実際に現状を自分の目で確かめることの重要さを感じています。」

―卒論の『障がい者と娯楽』というのはどのようなテーマなのですか?
「父が足に障がいを抱えたことがきっかけで興味を持ったテーマです。父は山登りが趣味だったのですが、障がいを抱えてしまいできなくなってしまいました。障がいによってできなくなる項目のなかで、娯楽は特に大きな要素です。聴覚や視覚など様々な障がいを持つ方に話を聞いて、娯楽という観点から社会にどういう困難があるのかをまとめました。」

―山崎さんのお話を聞いていると、好奇心がとても強い印象を受けます。そんな山崎さんの生きる上でのモットーはありますか?
「『自分の知れる限り、見れる限り、見たい、知りたい、飛び込みたい』です。生きている間に見ることができるもの全部を見ておきたい。そんな気持ちが以前からあったのですが、就活をきっかけに最近、言語化できるようになりました。」

自分の「変なところ」を受け入れる

―社会人生活はどうですか、ギャップとか大変なことはありますか?
「一言でいうと疲れます。研修の一環で記事を書く練習をしていますね。大変なんですけど、いろんな人との出会いがあります。やっぱり同期と話せるのは楽しいです。この2週間は同期全員と話すつもりで過ごしていました。」

―研修ではどんな記事を書かれているのでしょうか?
「基本はインタビュー記事です。社内の人を取材の対象にして、2時間で原稿を書いたりします。内容の濃いことをさせてもらって、これから記者になるんだということを実感します。」

―実際に記者になってこれからの目標はありますか?
「具体的な目標はこれからですが、『目の前のことをしっかりやらなきゃ』と思っています。やりたいことがいっぱいあるんですけど、大学ではやりたいことを優先して目の前のことに追われたこともありました。先生からも『あなたは飽き性すぎる、やるべきことをやらないと』と叱られたことを覚えています。社会人になったからにはやるべきことをやる意識を持って頑張ってみようと思います。」

―齋藤先生からは山崎さんについての良い印象を伺っています。優しさあっての厳しさだったんですね。
「よく怒られていたから、嬉しいです。わがままばかりで先生を振り回していました。やりたいことをやらせてもらって感謝しています。」

―ずばり、メディア業界を目指すために大切なことは何ですか?茨大生にぜひアドバイスを!
「知的好奇心の強さだと思います。研修を通して、自分から動かないと成長できないし、仕事もないと感じていて、空いた時間に自分の興味を持てる題材を見つけたりします。暇なときに何をしたいかがたくさん出てくる人は記者に向いていると思います。
 あとは、自分の『変』を信じている人、変なところを信じられる人。自分らしさを曲げないことも必要です。同期の皆も多彩な個性にあふれています。自分の変な部分や変わっている部分を無理して直すより、そこを受け入れられる人がいるといろんな個性や記事が生まれます。そんな人にはぜひ同じ業界にいてほしいし、一緒に仕事をしてみたいです。」

―なるほど。変なことを直すのではなく「受け入れる」。
「他には、『背伸びをしないこと』だと思います。メディア業界にはいわゆる高学歴な人が多くて、コンプレックスを感じることがありました。しかし、茨城からきているということがむしろ個性になったんです。コンプレックスだった部分を皆と違うこととして語れるようになりました。結局は、自分らしさをきちんと持ってアピールにつなげる力が求められると思います。学生のうちにいろんな経験をした方がいいですね。私は好きなことを貫くのが良いと思います。時間があるうちにやりたいことをとことんやるのは、経験にもなるし充実感にもつながりますから。留学に行ったのも楽しかったので、海外に行くのはいいかもしれないです。」

―就活に対し正解がわからず不安な人も多くいると思います。自分らしさを大切にするという今回のお話に励まされました。
「背伸びしない方が楽だし、自分の事がダメだと思うよりは『ダメなところも自分だ』と受け入れる、一種の諦めも大事ですね。」

編集後記

回答一つ一つに山崎さんの「行動力」と「好奇心」の強さが表れており、終始笑顔でお話する姿がとても印象的でした。自身のコンプレックスを前向きに捉えるのは、決して簡単なことではないと思います。しかし、山崎さんのお話を伺う中で、コンプレックスは自身にとって最大の武器になる可能性を秘めていることを強く実感しました。目標を叶えるためにも、今置かれている環境に満足せず、「自分らしさ」を貫いて行動を起こしていきたいと思います。
(茨大広報学生プロジェクト 盛島 琉那(人社3年))

同じゼミの先輩が、憧れの業界で大役を務めている姿に感銘を受けました。お話の中で特に衝撃的だったのが、「自分の変なところを信じられる人」がメディア業界に向いているということです。変な人だと思われないように、無理をして優等生を演じてしまう就活生もいると思います。私もどのように就活に向き合おうか迷っていたところだったのですが、山崎さんのお話を通して、「個性を信じる」という道しるべを見つけることができました。面接やインターンシップの際には、等身大の自分をアピールすることを心がけていきたいです。
(茨大広報学生プロジェクト 橋本 彩(人社3年))

お話の中にあった「背伸びしなくてもいい」「変なところを信じる」というお言葉に励まされました。長所がない自分、周りと比べてもパッとしない自分に嫌気がさすことは今もあります。でも、そんな自分にも個性があり譲れない何かがあるのだと思いました。無理をすることは無い、今の自分だから光るものがあると背中を押してもらえた気がします。就活では、変な自分を大好きになってメディア業界に臨みたいです。
(茨大広報学生プロジェクト 舘野 湧太(人社3年))