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西山國雄教授(言語学)の著書『じっとしていない語彙』を語る
【人文社会科学の書棚から】

 人文社会科学部の学問について、教員の新著に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズ「人文社会科学の書棚から」。今回は、202110月に刊行された、人文社会科学部教授・西山國雄先生(言語学)の著書『じっとしていない語彙』を取り上げました。インタビュアーは、いつもの人文社会科学部教授の高橋修先生(日本古代中世史)。同じく講師の中山大輝先生(アメリカ文学・英語圏文学)にも加わっていただきました。(企画・構成:茨城大学人文社会科学部

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高橋 こんにちは。よろしくお願いします。西山先生は、茨大はもうずいぶん長いですよね。私が赴任した時、もうすでにいらっしゃいました。何年になるんですか?

西山 そうですね。1998年に赴任しましたから、もう24年目になります。

高橋 委員会のお仕事などでは何度もご一緒してきましたが、これまで西山先生のご専門について、詳しくお話をうかがったことはなかったように思います。

中山 そうなんですね。そういった機会があまりなかったのでしょうか。

高橋 同じ学部にいても、コースやメジャーが違うと、なかなかお互いにあらたまって、相手の専門領域に踏み込んだ会話をする機会がありません。今日はよい機会なので、ご著書についてだけではなく、西山先生の学問観などについても、幅広くお話をうかがえればと思います。
まず西山先生の専門分野についてうかがいます。ご著書のプロフィールでは、「形態論」「統語論」と紹介されています。わかりやすく説明していただけますか。

西山 言語学が対象とする領域は広いのですが、文法に限定すれば、音、語、文の3つのレベルがあります。「形態論」は語の研究、「統語論」は文の研究ということになります。この本は日本語の語の研究に関して、私がしてきたことや、基本的事項として知られていることを、一般向けに書いたものです。

高橋 最初から形態論を研究されていたのですか。

西山 いえ、最初は英語を専攻していて、統語論に興味がありました。学部生の時にチョムスキーの生成文法を知り、研究の道に入りたいと思いました。日本語の研究を始めたのはアメリカに留学してからです。そこでTAとして日本語を教えたことが影響しました。私が言語学に興味を持ってから35年が経ちますが、その間に言語学の趨勢は変わり、生成文法は数あるアプローチの中の1つになりました。それに合わせて、私の研究でも、生成文法以外の領域やアプローチを試みています。形態論は中間的な存在で、生成文法の手法が有効な部分もあれば、必ずしもそうでない部分もあります。本書では日本語の語彙における規則性を前面に出していますが、ここの部分は生成文法的です。

西山先生

高橋 今日のインタビューには、今年の4月に赴任された中山大輝先生にも加わっていただきます。中山先生のご専門は、アメリカ文学ですが、西山先生とはどのようにかかわるのでしょうか。

中山 ともにアメリカのニューヨーク州に留学していました。西山先生はコーネル大、私はナザレスカレッジ・ローチェスター校です。ニューヨーク州と言っても、ともにニューヨーク市よりはカナダに近い位置にあります。また、私の専門はアメリカ文学、特にアメリカ演劇ですが、学部学生時の卒論は理論言語学で書きました。

高橋 狭い世の中ですね。留学先以外でも接点があったわけですね。

中山 はい。なので、私も先生のご著書に関するお話をおうかがいできるのを楽しみにしております。

高橋 それでは、そろそろ今回のご著書についてうかがっていきます。まず『じっとしていない語彙』という書名は、とてもインパクトがありますね。「語彙」とは「じっとしているもの」のような気もしますが。

西山 普通、語彙といえば辞書にあるものを想像するので、じっとしているのですが、そうではないことを示そうとしています。例えば「弱い」という形容詞から「弱る」という動詞ができるなど、語彙は変身します。また、語彙は、他の文法レベルである音や文と交渉する、社交的な性質を持っています。変身、交渉などは、もちろん比喩的に言っているのですが、本書は言語学入門として、抽象的でわかりにくい言語学の世界を、日常の感覚で語るよう苦心しました。

左から中山先生、西山先生、高橋先生 左から中山先生、西山先生、高橋先生

高橋 なるほど。第一章・第二章では、固定しない語彙について、「屈折」という小さな変化と、「派生」という大きな変化が、たくさんの事例をあげて解説されています。

西山 先の「弱い」から「弱る」への変化は、大きな変化(派生)です。一方、「読む」から「読まない」への変化は、小さな変化(屈折)です。大きな変化では品詞が変わりますが、小さな変化では品詞は変わりません。毛虫にたとえると、脱皮して色や大きさが変わっても、もじょもじょした毛虫のままなら小さな変化です。しかしさなぎや成虫になったら、もう毛虫ではなく、これは大きな変化です。

高橋 私は歴史研究者なので、ここで、語彙が「加齢」により、意味が「向上」したり「劣化」したりするという説明は、とても面白かったです。例えば「君」が天皇を指す名詞から砕けた二人称になるとか、「僕」が下僕から一人称になるとか。その背景を考えていく部分からは、歴史家の仕事なのかな、と思いました。
続いて第三章と第四章です。ここでは語彙の社交性が説明されます。つまり語と音、語と文の間の規則性ということですね。

西山 語と音の関係を実例で挙げると、我らが「茨大」は言語学的に非常に興味深いです。これは省略というプロセスを経てできた新しい語ですが、漢字通りなら「いばらだい」となるべきところ、「いばだい」となっています。これは省略語では(カナで書けば)2文字+2文字が好まれることを示します。この文字は、厳密には「拍」という音の単位なので、ここに語と音の交流があるわけです。語と文の交流では、使役表現があります。「走る」という動詞から、「走らせる」という使役の語ができるのですが、「走る」は自動詞で目的語は取らないのに対し、「走らせる」は「太郎を」のような目的語を取ります。主語や目的語は文の概念なので、語と文が交流しているのです。

西山先生と高橋先生

高橋 このあたりは「確かにそうだな」「言われてみれば」と、一つ一つの事例に納得しながら読み進めることができました。
最後に第五章では、日本語と他言語との、語彙の規則性についての比較ですね。

西山 本書が日本語と比較する言語は、ほとんどが英語ですが、最後に日本語の「こそあど」と、それとよく似た特徴を持つ、インドのタミール語とミクロネシアのポンペイ語を紹介しています。言語学は特定の言語を扱いながらも、その究極的目的は、それぞれの言語の特徴に隠れた、人間としての言語の普遍的特徴を発見する、ということを示そうとしています。

高橋 多くの言語の共通性から人間言語の解明へという、壮大な研究構想を示して本書は締めくくられます。本書のプロフィールにも、西山先生のもう一つの専門として掲げられている「オーストロネシア言語」も、そうした実践なのでしょうか。

西山 その側面もありますし、そうでない側面もあります。「オーストロネシア言語」は太平洋地域で話されていて、同じ祖先を持つ多くの言語の総称です。私はインドネシアの少数言語であるラマホロト語の文法を研究して、それを普遍的な言語理論を用いて分析した論文もあります。一方で、理論とは距離をおいた、記述文法書も刊行しました。これは言語学は普遍性の追求のみならず、多様性の維持も目指しているからです。現在世界の多くの少数言語が、話者がいなくなる「絶滅」の危機にあります。どんな言語も貴重な文化的遺産であり、言語の消滅は人間の精神的豊かさの証の消滅になります。

高橋 言語は地球上の人類の成り立ちを語る文化的遺産でもあるということですね。

西山 多様性を重視するのが今のご時世ですが、言語はあまり注目されていません。

中山先生と西山先生

中山 そうですよね。例えば、持続可能な社会を目指す目標として掲げられているSDGsですが、その中に言語の多様性の保持・保存は含まれていませんよね。

西山 生物多様性はよく耳にしますが、実は生物多様性と言語の多様性は相関関係があり、いい例がパプアニューギニアです。
人類の成り立ちの観点では、言語の研究により人類の移動の軌跡がわかります。オーストロネシア言語は過去の記録が少なく、現在話されている言語の研究が中心になりますが、それでもこれらの言語の祖先はかつて台湾にあって、5000年ほど前に台湾から太平洋全域に広がったことがわかっています。台湾の次の移動先はフィリピンなのですが、この地域の言語は似通っていて、これについてはある時期に統一王朝ができたため、言語が一様になった、という仮説があります。ちょうどローマ帝国の出現により、それまでイタリアにあったと思われる複数の言語がラテン語に置き換わったのに似ています。

高橋 人類学のようなアプローチでもあり、壮大な人類史の構想でもありますね。そうした言語の変化はなぜ起こるのでしょうか。

西山 様々な理由があるのですが、若者言葉からわかるように、他人とはちょっと違う言葉を話したい、ということもあるでしょう。あらゆる言語が、あらゆる時代において変化していて、これが言語の研究を複雑かつ面白いものにしています。

髙橋 西山先生の研究展望について、あるいは研究の今後のあり方について、聞かせてください。

西山 語と音や文の交流(専門的にはインターフェイスと言います)はまだわからないことが多く、これが今の研究の関心です。これまで書きためたものを、インターフェイスの視点でまとめられたらと思っています。

中山先生と西山先生

西山 日本の研究環境は最近特に若手にとっては厳しいですが、これはアメリカの大学の制度の「つまみ食い」の結果だと思っています。日本の大学は近年、TAやテニュア制など、アメリカの大学のやり方を取り入れていますが、もっと本質的な部分、つまり個人あるいは学会全体で、研究が持続できるような方策を目指してほしいですね。例えば私の留学時代は、TAをするだけで生活費がまかなえました。近年はどうなっているかわかりませんが。

中山 アメリカの大学では最近でも、財政的支援はしっかりしています。現地の学生と話していると、やはりアメリカでは給付型の奨学金が充実している印象を感じました。授業料が高くても、給付型奨学金が充実していると、貸与型奨学金で貸与を受ける額も大きく減ると思います。

西山 そうですか。寄付の文化の違いもあるでしょうね。

高橋 最後に、もう一度ご著書について、特にどういった方に読んでもらいたいですか?読者へのメッセージなどもあればお聞かせください。

西山 本書の最初は言語学の動詞分析と、学校で習う動詞の活用を比較しています。学校では文法は「与えられ、覚える」ものだったのに対し、言語学では文法は「考え、発見する」ものです。この姿勢は、大学でのあらゆる研究に通じるものなので、まず大学生が読むことを想定しています。他にも高校生、国語教員、日本語教師などが対象です。言語は空気のようなものですが、日常の「当たり前」に疑問を持つ楽しさがわかってもらえれば、どなたでも嬉しいです。

高橋 西山先生、中山先生、本日はお忙しい中、ありがとうございました。

中山 私も色々なお話をおうかがいでき、大変刺激に満ちた時間を過ごすことができました。より一層、研究に精進してまいりたいと思います。こちらこそ、本日はありがとうございました。

西山 大学の業務以外で、学問の話を先生方とすることがこれほど楽しいということを再認識しました。もっと様々な機会で多くの話ができると、学部の活性化につながりますね。ありがとうございました。

(インタビューは、2022105日、人文社会科学部西山研究室において)

本を持って記念撮影

書籍情報

  • 西山國雄『じっとしていない語彙教養検定会議1100円+税、202110月刊

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