昆虫の「色」はどうやってつくられる?色素や遺伝子の研究から応用技術も
【寄稿】理工学研究科(理学野)准教授 二橋 美瑞子
Text by 二橋 美瑞子(理工学研究科(理学野)准教授)
OSANAI-FUTAHASHI Mizuko/1979年生まれ。2005年東京大学理学研究科博士課程中退、東京大学新領域創成科学研究科先端生命科学専攻特任助手着任。2010年東京大学新領域創成科学研究科で博士(生命科学)取得。農業生物資源研究所(現農研機構)特別研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。専門は遺伝学、分子生物学。
色彩豊かなチョウやトンボに魅せられて昆虫採集をした経験がある人は、昆虫研究者ではなくとも多いのではないでしょうか。私たちは、昆虫の体の色のもととなる色素の合成や、微細な構造のつくられ方の研究をしています。
昆虫の色とりどりの体色を担う色素
昆虫の色素の種類は脊椎動物より多く、8種類以上もあります。その中でも三大色素と呼ばれる色素がメラニン、オモクローム、プテリジンです。私たちは特にメラニンとオモクロームに着目して研究を行っています。メラニン色素は、昆虫の体の表面の黒や茶色の着色の大半を担っています。オモクローム色素にはだいだい色、赤、紫の色素が含まれ、ほとんどの昆虫の複眼において、眼の空間分解能(隣接する2つの点を独立した2つの点として見分ける能力)を高めたり、視細胞に達する光量を調節したりするための遮蔽色素として存在します。この他には、タテハチョウ科のチョウの翅(はね)の赤系の着色、アカトンボの仲間の赤い体色の着色もオモクローム色素が担っています。さらに、昆虫以外では、ダンゴムシやイカ、タコの体表の色もオモクローム色素です。
私たちが昆虫の色素の研究材料として使っているのが、カイコです。絹糸を吐くカイコは、真っ白というイメージがあるかもしれませんが、幼虫の体表にはメラニン色素やオモクローム色素による模様、紫色の卵と黒い複眼にはオモクローム色素の混合物が含まれています。それらの体色、卵色、眼色の変異体を、模様や色素合成の研究材料として使っています。
メラニン色素とオモクローム色素、哺乳類と昆虫の深遠な関係
メラニン色素は哺乳類の毛、表皮、眼の色素としても有名です。ただし、昆虫のメラニン色素と哺乳類のそれとでは、存在する場所や色素の合成に関わる遺伝子が違います。メラニン色素は、昆虫では細胞外のに存在するのに対し、哺乳類ではメラノサイト(もしくはメラノフォア)とよばれる色素細胞の中の色素顆粒という小さな器官内に存在します。
一方、オモクローム色素は昆虫・甲殻類・クモといった節足動物には普遍的に見られますが、哺乳類には存在しません。興味深いことに、節足動物のオモクローム色素は、哺乳類のメラニン色素と同様、細胞内の色素顆粒の中に存在します。色素顆粒の形成に関与する遺伝子に異常があると、脊椎動物ではメラニン色素の着色が阻害される例が知られていますが、昆虫ではメラニンではなくオモクロームの着色が異常になる例が知られています。
最近、色素顆粒形成の他にも、昆虫のオモクローム色素と哺乳類のメラニン色素に共通点があることが分かってきました。
カイコの赤卵(red egg, re)という変異体では、細胞膜や細胞内小器官の内外へ物質を通す関所の役割を果たすタンパク質である「膜輸送体」が破壊されているために、紫色のオモクローム色素(オミン色素)の合成に必要なシステインというアミノ酸を細胞質から色素顆粒へ取り込めず、卵や複眼の色が紫ではなく、赤になると考えられます。この膜輸送体をつくるのが「re遺伝子」です。最近、re遺伝子に対応する哺乳類の遺伝子が、赤褐色のメラニン色素(フェオメラニン)の合成に関わっているということが分かりました。たとえばこの遺伝子が破壊されたマウスでは、毛が茶色ではなく灰色になることが報告されています。このように、昆虫で紫色のオモクローム色素合成に関わる遺伝子が、脊椎動物では赤褐色のメラニン色素合成に関わることが明らかになっています。
カイコから他の体色の研究へ
上述のようにカイコの変異体を用いた研究から、これまで知られていなかった遺伝子が色素合成に関与していることが判明した場合、それが他の生物では体色にどのように関係しているかというのは興味深い問題です。の有無を他の昆虫で調べてみたところ、ほとんどの昆虫から検出されましたが、複眼が赤いハエの仲間のゲノムには存在しませんでした。つまり、re遺伝子の有無が、昆虫の眼の色の違いに関わっていたのです。
また、現在、reとは別のカイコの卵色変異体の原因遺伝子を解析中ですが、こちらはチョウの翅の模様と関係していそうです。カイコは養蚕業の数千年の歴史と100年以上の遺伝学の研究の歴史の蓄積の恩恵を受けているため、昆虫の中ではを主な研究材料として使用し、新しい色素合成遺伝子を発見した場合は、チョウなど他の昆虫で調べてみるというストラテジーを採用しています。
有用物質生産肉眼で判別できる遺伝子組換えマーカー
カイコでは、遺伝子組換えによる有用物質生産の研究がさかんで、実用化も行われています。そのため、大量のカイコの個体の中から、作業者が簡単に遺伝子組換え体を判別できるマーカーが求められています。色素合成に必要な遺伝子が解明されれば、遺伝子組換えの際に体の卵や複眼、皮膚の色を変えることで、遺伝子組換え体を外見で簡単に判別可能にするマーカーへの応用が期待できます。この色素合成研究の知見を活かして、茨城大学の前に農業生物資源研究所(現農研機構)に所属していたときから遺伝子組換えマーカーの開発も行っており、これまで2件の特許も成立しています。
次のチャレンジは昆虫の微細な構造の形成の謎
昆虫の体色は、色素だけでなく、CDの裏面のように微細構造によって光が反射や散乱、干渉することで発色する構造色によっても生じます。構造色の発色の原因となる微細構造は多岐にわたりますので、現在、FE-SEM(電界放出形走査電子顕微鏡)を用いて翅の鱗粉の微細構造の形成についても研究を行っています。
※本研究活動の一部は、学長リーダーシップ経費による「平成30年度 特色研究加速イニシアティブ支援」を受けて実施されました。
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