現実的な脱炭素とその先の視点
―工・田中光太郎教授、社会実装へ向けて
世界の平均気温の上昇スピードは以前の予測よりも速くなっており、産業革命以前からの上昇を1.5度以下に抑えるためには、温室効果ガスの排出量を2030年までに43%削減(2019年比)しなければならない――
今年出された国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次報告書で示された厳しい見通し。カーボンニュートラルの実現へ向けて世界各国が意欲的な目標を立てて取り組んでいるが、世界情勢の不安定化が暗い影も落としている。
それでもやるべきことを進めるしか道はない。鍵は、排出された二酸化炭素を回収し、再活用する技術と、燃焼しても二酸化炭素を出さない水素やアンモニアといったエネルギーの活用だ。茨城大学でも多くの研究者がこの課題に取り組んでいる。その中心人物の一人が、理工学研究科(工学野)の田中光太郎教授である。
既存のインフラで水素を活用できるか
燃焼化学を専門とする田中教授のアプローチの特徴は大きく2つ。ひとつは、いかに既存のインフラを活用して現実的、漸次的な形で脱炭素を進めるかということ。もうひとつは、脱炭素技術のプロセスや結果によって生じる他の環境リスクに目を凝らすことだ。
水素ステーションなども目にするようにはなったが、主要なエネルギー源としての水素の普及に向けてはまだまだ課題が多い。「ひとつは、水素をどうつくるかという問題です。一番わかりやすいのは水からの分解ですが、それにもエネルギーが必要となります。石炭を使う方法はやはり持続可能性に課題があります」と田中教授。さらに、利用に関する問題もある。
「水素は非常に燃焼しやすいですから、家庭用の設備ではとても扱えないんです。分子が小さいので漏れやすいという問題もあります。今は燃料電池にして使われていますが、エネルギー密度が小さく、使用できるところはまだまだ限定的です」
つまり、安全が厳重に管理された火力発電所のような業務用でなければ、水素ガスをそのまま使うというのは難しい(そして、そのこと自体はカーボンニュートラル由来の電気を作ることになるので重要なことだ)。では、一般家庭で水素ガスを使うというのは諦めるしかない?
「水素ガスを家庭用の燃焼器でそのまま使うことはできませんが、天然ガスの主成分であるメタンと混ぜると使いやすくなります。メタンは水素とは逆に、燃えにくいのがデメリットなんです。燃えやすい水素ガスに混ぜて燃焼させることで、燃えやすさを制御できるようになれば扱いやすくなるわけです。ただし、水素ガスの燃えやすさは危険なため、既存の家庭用ガス配管に水素混合ガスを流通させるには十分な安全を保障してからになります」
水素ガスとメタンをどういう割合で混ぜると、燃えやすさ(燃えにくさ)にどう影響するのか。その物理化学は実はまだきちんと解明されていない。メタン以外のガスも含めて、水素と混焼したときの燃焼具合の法則が体系化できて、水素と混ぜたガスを家庭用の燃焼器で使えれば、脱炭素に大きく貢献できる。
田中教授の実験施設を覗いてみよう。
複数の種類のガスを混ぜて燃焼させ、その効率を測定する機械がある。ちなみにこの機械、日本で4台しかないらしい。その横には実験用の車のエンジン(スバルのフォレスターに積まれているもの)が置いてある。エネルギーの基礎実験から応用実験まで一気にできてしまうというのは、国内の他大学と比べても貴重な研究環境で、茨大として誇れるものだ。
環境リスク評価は総合的に
研究の積み重ねの結果、ガスの混合割合と燃焼効果のメカニズムはだいぶわかってきた。「登山でいうと8合目ぐらいまでは来ていますね」と田中教授。残り2合は何か?
「今取り組まないといけないのは、メタンのような炭化水素を燃焼させたときに排出される二酸化炭素を、いかに回収しやすいものにするかという課題です」
二酸化炭素の回収。これは排出の抑制とともに、脱炭素を実現する上で重要な技術だ。特に空気中の二酸化炭素を直接取り込む技術は、「Direct Air Capture」の頭文字をとった「DAC(ダック)」という言葉で注目されている。
田中教授が思い浮かべるのは、空気中のCO2をDAC技術で回収する→そのCO2を使ってメタンを合成する(メタネーション)→そのメタンと水素を混焼して使う→メタンを燃焼して出てくるCO2をDAC技術で回収する......というサイクルの実現だ。回収効率を高めるような高濃度に圧縮された形でCO2を排出する、そんな燃焼方法を探索している。
しかし、それが実現してもまだ山の頂上にはたどり着かないという。田中教授の研究の2大特徴のもうひとつ、炭素以外の環境リスクという課題があるのだ。
「水素やアンモニアを燃焼すれば炭素化合物は出ないで済みますが、今度は窒素酸化物(NOx=「ノックス」)が出てくるんですね。水素やアンモニアの普及で脱炭素が進むと、今度はNOx排出量が問題になってくる。そこも今から見ていかないといけません。『水素を使えば水しか出ません』なんてことはないんですよ」
また、分子の小さな水素は漏れやすいというリスクは残るし、アンモニアは洩れればそれ自体が有害で大気中の反応によりPM2.5も生み出す。
NOxの増加自体は実は以前から環境問題として知られていて、対策も進められているが、最近の研究では多少のNOxが、大気中のオゾンを減らす(オゾン層が減るのは問題だが、大気中の大量のオゾンは人体に有害な影響を与えてしまう)ことに役立っていたこともわかってきた。そう、重要なのは、大気環境をいかにトータルで見るか、ということなのだ。
「私自身の強みは、エミッション(排出)の計測を精緻にやっていることだと思ってます。あらゆる排気を光計測して評価していく。CO2だけじゃないんです」
田中教授のそのこだわりはどこから来るのだろうか。
「それは大気環境をきれいにしたいという思いに尽きます。そのためには何が必要かと考え、その根本を押さえないといけない。微量だけど環境や人体に良くないものはまだまだ溢れているので、それらをいかに抑えるか、あるいは出ても問題ないようにするか。それを考えないと結局二次的におかしなことが起こってしまうんです」
人工液体燃料への期待
ところで、今ある設備を最大活用するという田中教授のビジョンに向けては、もうひとつ重要な取り組みがある。新たな人工液体燃料の開発・普及だ。
ガス燃料は保存と輸送の効率の悪さに課題がある。密度が低いので、航空機にガスタンクを積もうとするととんでもない大きさになり、旅客機であれば人を乗せるスペースがなくなってしまう。輸送の面で最も適しているのは液体の状態なのだ。石油、ガソリンが重宝されるゆえんである。ところが周知のとおり、石油はそのうち枯渇する。そこで人工の液体燃料への期待が高まってくる。
「石油は100種類以上の成分でできています。このうち、燃料として使えるものは何かということがわかれば、人工で石油よりも優秀な液体燃料を効率的に作ることができます。基本的には炭素数を増やしていけば、分子が重くなって液体化していきます。そしてこの作業を、回収した二酸化炭素を使ってできるようになれば、枯渇の問題や利便性に加えて、脱炭素のサイクルも作れるようになるわけです」
自家用車がすべて電気自動車に切り替わる未来がすぐに訪れることは考えにくい。雇用への影響などを考えても、現在あるガソリンスタンドなどのインフラや自動車を有効活用しながら、漸次的に未来を変えていくのが現実的だ。人工液体燃料の成分の把握と合成技術もだいぶ確立されてきた。
回収・合成・利用のサイクルの基礎・応用実験を一手に
大気中のCO2をDAC技術で回収し、そのCO2を使ってメタンや液体燃料を合成する。メタンは水素と混ぜ、その際、排出されるCO2は回収しやすいものに燃焼する。そして窒素酸化物(NOx)の排出にも注意する。そしてこの回収・合成・利用というサイクルを、既存のインフラを最大限活用しながら進めていく――基礎的な技術は揃いつつある。次は政府、企業が連携しながら、どう社会で実装していくかだ。
田中教授が構想する地域社会における脱炭素サイクルのイメージ
田中教授自身、日立製作所などの企業とも協力しながら、社会実装というフェーズに取り組み始めている。実は、日立という地域には、このサイクルに取り組みやすい条件が揃っているのだ。
「日立は山が多くて海から風が吹き上げるので、DACの利用に向いています。しかも天然ガスの基地もあって、その一部を水素ガス基地に変えれば、海沿いでメタネーションでメタンを生成し、それと水素を混合すればいい。さらに液体燃料までも精製できる環境を整えればエネルギーの集積基地になる。山の上でCO2を回収し、それを利用してメタンと水素を合成して......ということに先駆的に取り組める条件が揃ってるんですよ」
そしてその日立に、エネルギーの回収・合成・利用の基礎から応用までの実験を一気に進めることができる、日本屈指の研究環境=茨城大学工学部があるのだ。これってかなりすごいことではないか。
茨城県や日立市も、地域ぐるみでのカーボンニュートラルの取り組みに大きな投資をし始めた。茨城が日本の脱炭素のメッカになる日は、そう遠くないかも知れない。その中心地で今日も技術開発に取り組む田中教授の視野には、ポスト脱炭素ともいえる、次の環境問題への対応も既に見据えられている。
※本研究活動の一部は、学長リーダーシップ経費による「令和3年度 特色研究加速イニシアティブ支援」を受けて実施しています。
田中光太郎(たなか・こうたろう)●理工学研究科(工学野)教授
大阪市出身、奈良、京都育ち。2007年、東京大学大学院博士課程修了。専門は燃焼化学。独立行政法人交通安全環境研究所、CNRS Nancy University(フランス)、東京大学環境安全研究センターなどを経て、2012年に茨城大学着任。愛車はドイツ製のディーゼル車。それなりの大きい車体でありながら、「1度も給油しないで、茨城から故郷の奈良まで往復できた」と驚いている。
ときには何十年、何百年後の未来を展望しながら学問、真理を追究する研究者たち。茨城大学にもそんな魅力的な研究者がたくさんいます。
研究者自身による寄稿や、インタビューをもとにしたストーリーをお楽しみください。
【企画:茨城大学研究・産学官連携機構(iRIC)&広報室】