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微小サイズの溶液の混合自由エネルギーを決定する公式を発見
1㎛未満の溶液の熱力学特性を数値計算で定量予測可能に

 茨城大学大学院理工学研究科の大学院生・吉田旭さん(博士後期課程量子線科学専攻2年)と同研究科(理学野)の中川尚子教授は、現代熱力学の理論的手法を用いて、微小サイズの溶液の熱力学特性を数値計算で定量するための新しい公式を明らかにしました。
 溶液を微小空間に閉じ込めて微細制御を行うマイクロ流路デバイスの開発などがさかんになっており、1マイクロメートル未満の小さな空間に閉じ込められた溶液のより精細な定量的研究が求められています。本研究グループでは、2種類の異なる混合物作成過程を比較し、それぞれの自由エネルギー変化を組み合わせることで、微小な溶液でも混合自由エネルギーを決定できる方法を見出しました。この結果を利用することにより、ナノメーターからマイクロメーター程度の微小空間に閉じ込められた溶液の新規な特性を、簡便に定量予測できるようになります。
 この成果は、2022年5月13日、Physical Review Research誌に掲載されました。

研究の背景 

 微細加工技術の発達により、溶液を微小空間に閉じ込めて微細制御を行い、析出や反応などを効率的に行うマイクロ流路デバイスの開発が盛んになっています。また、生細胞イメージング法の多様化によって、さまざまな細胞内物質の動態観測が可能になり、1つの細胞内で起きるダイナミックな変化を目で見ることができるようになりました。そのような技術の開発・普及に伴って、1㎛(1マイクロメートル=0.001ミリメートル)未満の小さな空間に閉じ込められた溶液への注目が高まっており、溶液を微小サイズにするだけで新規な性質を引き出すことができるのか、より精細な定量的研究が必要な段階に至っています。
 一般に溶液の性質を定量化するためには熱力学測定が必要ですが、従来の熱力学測定の対象はマクロ溶液に限られていました。熱力学は19世紀に確立されたマクロ系の自然現象体系ですが、その理論はこの20年間で確率熱力学や情報熱力学といった微小系へ適用できる枠組みへと進歩を遂げており、微小サイズ溶液の熱力学測定にも応用可能な方法論が整ってきています。
 今回本研究グループでは、複数の物質の混合過程における自由エネルギー変化量(混合自由エネルギー)を微小溶液でも決定できる公式を導きました。

研究手法・成果 

 複数の物質を混ぜ合わせると元の物質にはない性質が現れることはよく知られています。この混合過程で発生する「混合自由エネルギー」を把握すれば、混合によってもたらされた新しい性質を予測することができます。溶液の濃度が非常に薄い場合は混合自由エネルギーの決定に有効な理論がありますが、混合によって相転移や構造化が引き起こされる高濃度溶液に使える方法論は未発達でした。
 本研究では、数値実験で利用可能な、混合自由エネルギー決定のための公式を導きました。特に総分子数が1モルよりもはるかに少ない微小系での公式利用を念頭に置き、現代熱力学の成果であるJarzynski等式を利用した公式の表現を採用しました。
 本研究グループが開発したのは、2種類の異なる溶液作成方法についての自由エネルギー変化を組み合わせ、混合自由エネルギーを表現するという方法です。2種類の溶液作成過程のひとつは、半透膜を利用して徐々に二つの純物質を混合する方法で、これはものを混ぜる日常的な行為と基本的に同じです。もう一つは、現実ではあり得ない混合物創出過程で、錬金術的方法とも呼ばれる数値実験でのみ実現可能な方法です。まず溶媒にあたる純物質だけで分子動力学計算を行い、計算の途中で一部の溶媒分子を溶質分子へ変化させ、目的とする混合物が最終状態として創出されるようにシミュレーションを行います。
 今回、総分子数が数百~数千個という小さな系について、この2種類の混合物作成方法を比較し、最終的には図1に模式的に描かれた2つの変化についての自由エネルギー変化を組み合わせることで、混合自由エネルギーを表現できるということがわかりました。変化を起こすために必要な仕事量は微小な系では大きく揺らいでいますが、そのような場合でもJarzynski等式を用いることで状態間の自由エネルギー変化を確定できます。そこで、この等式を用いて2種類の自由エネルギー変化を表現し、微小溶液で混合自由エネルギーを決定する公式とすることができました。
 提案した公式は、複雑な現象が起きる高濃度溶液の数値実験で特に有効です。私たちは公式利用のデモンストレーションとして、溶液濃度が高くなると起こる相転移を取り上げました。アルゴンとクリプトンは混合比率を1:1に近い割合まで増やすと気体から液体に相転移することが知られています。このような現象は、低濃度溶液についての知見で説明されるものではありません。本公式を利用して、総分子数500のアルゴンとクリプトンの混合物について混合自由エネルギーを計算したところ、図2のような混合自由エネルギーの関数形を得ることができました。このグラフの底の凸凹とした形は、クリプトンの比率を増やしたときに起きる気体から液体への相転移に対応しており、提案した公式がわずか500分子の微小系の集団効果を熱力学特性として引き出すことに成功していることを示しています。
pict_01.png

(図1)本研究の結果を説明する概念図。二つの錬金術的方法(左)を組み合わせることで、二種類の分子を混ぜる過程(右)での自由エネルギー変化を記述することができます。

pict_02.png(図2)総分子数500のアルゴンとクリプトンの混合物の混合自由エネルギーの計算結果(左)。混合自由エネルギーのそれぞれの点での混合物の様子(右)を見ると、中央の凸凹とした部分を境に気体から液体へ相転移していることが分かります。

今後の展望

 本研究の成果によって、分子数が少ない微小な系で混合自由エネルギーを計算できるようになりました。一方、本研究で行ったデモンストレーションは単原子分子の混合物という単純な系でのものでした。今後、化学反応を伴う混合のような、より一般の高濃度溶液についても混合自由エネルギーを決定します。低濃度溶液の反応速度論では、化学反応の進行速度が溶液の濃度で決定されますが、高濃度ではこのような分かりやすい関係は期待されていません。本研究の公式を利用することにより、このような場合の反応速度論が検討可能となり、その発展に寄与することができます。
 さらに、より進んだ展望として、生細胞内で起こっている複雑な構造化や相転移現象を理解できる可能性があります。微小空間の中で電解質やタンパク質が多数混ざりあっている混合物の混合自由エネルギーを計算することで、生細胞内の相転移現象を定量的に議論できるかもしれません。このような方向性の研究は、生細胞がどのようにして生体内で機能を発揮しているかという生物学の基本的な問題へと発展させていくことができます。

※ 本研究は、JST科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業(JPMJFS2105)、日本学術振興会 科学研究費補助金 挑戦的研究(開拓)「熱伝導下における一次転移:新しい現象の同定と熱力学の拡張」(JP20K20425)、科学研究費補助金 基盤研究C「熱力学関数の操作的拡張にもとづく非平衡構造形成の記述」(JP19K03647)、科学研究費補助金 基盤研究A「時間対称性がつなぐエントロピーとダイナミクスの階層」(JP17H01148)の助成を受けています。

論文情報

  • タイトル:Work relation for determining the mixing free energy of small-scale mixtures s
  • 著者:Akira Yoshida and Naoko Nakagawa
  • 雑誌:Physical Review Research
  • 公開日:2022年5月13日
  • DOI:10.1103/PhysRevResearch.4.023119