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画家・上田薫と茨城大学
―卒業生・田邉光則さんが語る恩師の姿

 現在、茨城県近代美術館で開かれている「上田薫とリアルな絵画」展。玉子を割った瞬間を捉えたリアルな絵画で知られる上田薫さん(1928年~)は、かつて茨城大学教育学部の教員も務めていました。同展では、その当時の教え子で同じく画家の田邉光則さんの作品も展示されています。その田邉さんに上田先生との思い出を語っていただきました。

main.jpg左:田邉光則さん/右:上田薫「なま玉子 B1976・東京都現代美術館蔵

 田邉光則さん。茨城県西地域を拠点に、特別支援学校の教員をしながら、画家として活動している。写真のようなリアルな描写で、車の絵を多く描いている。茨城大学教育学部卒・大学院教育学研究科修了。その師は、スーパーリアリズムの金字塔となった玉子の絵で知られる上田薫先生だ。

 茨城県岩井市(現・坂東市)出身の田邉さんが茨大に入学したのは1986年。それから大学院修士課程修了までの6年間在籍していたので、上田先生の茨大でのキャリア(1985年~1993年)にすっぽり収まっている。

 有名な卵の絵は、高校時代から美術の教科書で見ていた。しかし、その絵を描いた画家が、茨大で教員を務めていると知ったのは、入学した後のことだった。

 そんな「雲の上の存在」の先生の授業に、緊張しながら初めて臨んだ田邉さんは、その冒頭で発した上田先生の言葉を今でもはっきりと覚えている。

「上田です。古いタイプの絵描きです」

 自嘲と誇りの両方を滲ませたこの短い自己紹介の意味を、田邉さんは「付き合っていくうちにわかってきた」と振り返る。しかし、大学生になりたてのこの時期は、まだそのときではない。上田先生は続けてこう言った。「君たちはうまくなるよ。なんたって僕が教えるんだから」。大学生・田邉光則にとっての「First Impression」だった。

1 1993年上田薫(ギャラリーアルファ).jpg上田薫先生 19931月、水戸のギャラリー・アルファにて

 さて肝心の授業は、というと、上田先生は課題の指示書を配って「描きなよ」というだけで、学生が課題に取り組んでいる間は細かい指導をすることはなかった。唯一口にしたことといえば、「良く見て描け」。だから、年4回課される課題のたびに開かれる講評会は貴重な場だ。その限られた時間での先生のコメントに、田邉さんの中で「響いたものがいっぱいあった」。その言葉がいつしか自分の中に降り積もり、3年次になって絵画をやっていくことを決め、上田先生を師と仰ぐことになった。

 上田先生は使う絵の具にこだわりをもち、知識も豊富だったが、それを授業で披露することはなかった。そういう「秘密」は、プライベートの会話の中で先生の口からポロっと出てくるものだった。田邉さんが「先生の普段着の会話から学んだことの方が遥かに多い」と語るゆえんである。

 大学の先生の研究室では、描きかけの絵を載せたイーゼルとともに、挽きたてのコーヒーの香りが漂っていた。「コーヒーは飲みたいときに豆を挽いて飲むものだ」が先生の口癖だった。紅茶も好きで、「紅茶はなかなかおいしい店がない」と呟く先生の姿を田邉さんは覚えている。そういう嗜好品へのこだわりには、東京出身の先生の育ちの良さが染み出ていた。先生は陸軍の高官を近親にもち、あるとき「家にフケツくんが泊まりに来た」と言う。「フケツくん」とは誰のことかと思いきや、なんと、"ラストエンペラー"愛新覚羅溥儀の弟、溥傑のことだった。

 そういう雰囲気を漂わせた先生は、生まれてからほとんど茨城を出たことがなかった20歳前後の田邉さんにとって、「大人の世界を見せてくれた人」だった。

ある日先生が、銀座で個展をやっているから来なよ、と言う。さらには、オープニングパーティーにも来なよ、と。茨城で生まれ育った大学生には、何を着ていけば良いのかさえ分からない。とりあえず、サントピア(水戸市南町にあったファッションビル)で洋服を揃えて上京した。上田先生は、「銀座へ来たなら、『イエナ』に行きなよ」とも言った。洋書の専門店だ。そこで田邉さんは、水戸では手に入らないようなフランシス・ベーコンの画集などを思い切って買い、それらを抱えるようにして水戸へ帰った。

DSC_6380.JPG上田先生との日々を語る田邉さん

 油絵具は初心者にとってきわめて扱いにくい画材である。田邉さんが油絵具に慣れるまでは1年かかった。技法書なども読みながら、ひたすら描いた。「見るのとやるのとは違う」という上田先生の言葉のとおりで、色が乗るという感覚を、描きながら身体になじませていった。

 そのうち、上田先生と絵の話ができるようになった。逆に言えば、先生と絵の話をするためには、「描く」人だけがつかめる身体感覚が必要だと言うことだ。美術展を一緒に鑑賞する機会があると、上田先生が「君、この絵の下には何が描いてあると思う?」などと聞いてくる。「描く」身体感覚がなければ何も答えられない。

 当時、上田先生と森田義之先生が担当する授業の一環で上野の西洋美術館へ行った。そこで好きなポスターを買って、それを模写することになった。模写なんて、と思ったが、描いてみると奥深いものがある。よく見て、技法も学び、丁寧に描けば、ちゃんと模写ができる。こうして古典の技法を身体に染み込ませる。

「上田です。古いタイプの絵描きです」

 あの最初の授業の言葉が厚みをもってよみがえる。
 古典を学び、描くということは、歴史上絵を描いてきた人たちとの身体的な対話のようなものかも知れない。たとえばモネ。先生は「モネは売れるために睡蓮を描いた」と評し、古典的な技法で描いていた「若いころの方がうまかった」と話していたという。「描く」という身体経験をとおして絵画史に身を置き、その延長線上で学生たちとも対話を重ねる。それはときに、「教える」「学ぶ」という関係を凌駕する。そして田邉さんも、描き、描き、描きつづける。

 田邉さんは、画家・上田先生にとって大切な弟子であり、同志となった。

 上田先生といえば、玉子や泡、スプーンなど生活する身の回りにあるものを描く印象が強いが、茨城での生活の中で取り組んだモチーフの中に、川の水の流れを描くというシリーズがある。根底には田園風景への憧れもあった。

「いうまでもなく水は透明だから、水そのものを見ることはほとんど出来ない。水面に起こる光の反射や、透過する光の屈折によって生じる水底にあるものの変形などによって、その存在を知るわけである。だから、流れる水を描こうと思えば、先ず水がきれいなこと。次に、水底の岩や、小石などがきれいでなくてはならない」(茨城大学教育学部美術科同窓会『六号館』第8号・上田薫先生御退官記念特集号,1995年)

上田薫《流れI》203++流れI+1993+F100×2.jpg上田薫「流れ Ⅰ」1993・国立大学法人茨城大学蔵

「君、川のきれいなところ知ってる?」。県内出身の田邉さんは、上田先生から突然そう聞かれた。そのとき田邉さんは常陸太田を紹介し、一緒に写真を撮りに行ったりした。

 こんなこともあった。

 上田先生の作品には、四角いキャンバスに描いたものだけでなく、スプーンやテレビの形にカットされたものがある。あるとき田邉さんは上田先生から「君、木工が得意だったよね」と言われた。そんな話をした覚えがなかったが、「寺本(輝正)先生に木工室を借りたから、スプーンの形に切ってよ」と頼まれ、上水戸のホームセンターで電動のこぎりを調達し、大きなスプーンを切り取った。「嫌味なく頼むのが上田先生。だから引き受けちゃうんですよね」(田邉さん)。

 卒業制作。田邉さんは趣味である車の絵を描くことにし、東京モーターショーへ勇んで写真を撮った。デジカメなんてない時代。フィルム5本分にもなった。

 大学へ戻り、先生は一緒に写真を見ながら「おもしろいね」などと言ってくれたが、絵画のモチーフとして「使える」と言われたのはほんの2枚だけだった。「上田先生の家にはボツになった写真がいっぱいあります」と田邉さん。元になる写真選びへの厳しさを語るエピソードである。

0976_01.jpg田邉光則「薫風自南来」2016・作家蔵

 卒業のときに上田先生が言った言葉も、上田先生らしかった。

「人生には運も必要だ。Good Luck!」

 田邉さんはその後大学院に進んだが、世の中は上田先生の言葉に予兆されたかのように、バブル崩壊を迎えた。「先に就職した同級生たちの話から、フリーターでもなんとか食っていける時代は終わったと悟った」と田邉さん。大学院修了後は、幸い県内の特別支援学校(旧養護学校)の教員の職を得ることができ、制作活動も続けることができた。

2 1993年上田薫退官記念パーティ.jpg19931月、上田薫先生 茨城大学退官記念パーティーの様子

 2人の交流はその後も続いた。上田先生からは展覧会の案内がいつも届いたし、田邉さんも先生の神奈川の自宅をよく訪れた。また、先生は田邉さんの作品をいつも見に来てくれた。卒業後すぐ、友人と一緒に水戸の相馬画廊(当時)で二人展を開いたときも見に来てくれたし、現代日本美術展で入選が決まったときは、先生から突然電話がかかってきて、「おめでとう、よくがんばった」と褒められた。「3~4年に1回ぐらいのペースで個展を開いてきて、毎回先生に案内を出すのですが、先生は80代になるまで毎回来てくれていたと思います」と田邉さん。羨ましい師弟関係だ。

 上田先生は今、鎌倉に住んでいる。現在93歳。足腰が弱って遠出はできなくなったが、今でも絵を描き続ける。神奈川県内のなじみのギャラリーでは奥様と個展も開いている。

上田先生は同窓会の文集の中で、茨城大学時代をこう振り返る。

「僕自身にとって、この八年間の大学生活はどうかと申しますと、......僕の人生の中でも特に内容の濃い、楽しい期間でした。殊に、絵を描く時間をたっぷり取らせて戴けたことが本当に嬉しいことでした」

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 その茨城で、近代美術館での大きな展覧会が決まり、教え子の田邉さんの作品も同じ場所で展示されることになった。

 田邉さんは、展覧会の関連企画として催された「写真をもとに描く」と題したワークショップで講師を務めた。つい先日も鎌倉で上田先生と会い、先生から「僕の分もがんばってきてくれ」と声をかけられたという田邉さんは、このワークショップの中で、本記事で紹介したような上田先生のエピソードをふんだんに散りばめた。田邉さんが伝導する上田先生の人柄とわざ。その力によって、参加者の「描く」身体感覚が引き出される姿が、そこにはあった。

(取材・構成:茨城大学広報室、協力:茨城県近代美術館)

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展覧会情報「上田薫とリアルな絵画」

  • 会期:20211026日(火)~1212日(日)
  • 会場:茨城県近代美術館(水戸市千波町東久保666-1
  • 出品作家:上田薫、三尾公三、金昌烈、高松次郎、野田弘志、石井精一、木下晋、柳田昭、片小田栄治、磯江毅、大畑稔浩、伊庭靖子、田邉光則、諏訪敦、橋爪彩、山本大貴、横山奈美、松川朋奈、橋本大輔
  • 詳しい情報は↓(茨城県近代美術館ホームページ)
    http://www.modernart.museum.ibk.ed.jp//exhibition/kikaku/index.html