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高橋修教授が新著『戦国合戦図屏風の歴史学』を語る
【人文社会科学の書棚から】

 人文社会科学部の学問について、教員の新著に関するインタビューを通じて紹介する不定期配信のシリーズ「人文社会科学の書棚から」です。第一回に登場いただくのは、20212月に『戦国合戦図屛風の歴史学』を出版した人文社会科学部教授の高橋修先生です。インタビュアーには、同じく人文社会科学部教授の井澤耕一先生にお願いしました。(企画・構成:茨城大学人文社会科学部

机上の著書 DSC01021_jpg.jpg

――ご上梓、おめでとうございます!帯にもありますが「豪華絢爛」な装丁ですね。

高橋「ありがとうございます!科研費の助成をいただいたお陰で、口絵32頁、本文467頁の贅沢な書籍に仕上げることができました。ただ補助いただいているので当たり前ですが、入稿や刊行の時期は厳守ですから、つらかったですが。
えー、付箋がたくさんつけてありますね。全部読んでくれたんですか?」

――二日かけて全部読んだよ。だって面白かったんだもん。

高橋「貴重な時間を、恐縮です。主題として取り上げた「戦国合戦図屛風」は、戦国時代の特定の合戦を、ものすごく細かい将兵の描写により再現した江戸時代の絵画作品ですが、毎年数多くの美術館・博物館の特別展を巡り歩いている井澤さんの目からみて、どんな印象ですか?」

――屛風に込められた主張のようなものが伝わってきますね。作品のウラにも製作者の「目論見」「たくらみ」のようなものがあるということらしいので、わくわくします。

高橋「多くは江戸時代の大名家で作られたものと考えています。こんな豪華で細かい屛風絵が、何であちこちでたくさん製作されたのか。それを政治史的に解こうとした本なんです」

――「川中島合戦図屛風」は、武田でも上杉でもなく、徳川御三家の紀州徳川家で作られていた!

高橋「そうです。江戸時代の大名たちは、戦国時代から天下統一期の戦争像によって、幕藩体制下における自分の家の由緒を語ろうとします。賤ヶ岳でこんな武功を建てた、関ヶ原でこんな功績を上げた、だから何万石だ、ということです。ところが関ヶ原の後で、家康の十男として生まれたことにより紀州徳川家を創設した徳川頼宣は、戦国合戦での武功によって家を装うことができなかったわけです。

 そこで上杉謙信に戦の知識を授けていた軍師・宇佐美駿河守の嫡流を軍学者として起用した。そのことで幕府徳川家が御家流として掲げる武田信玄流の軍学者にも勝るとも劣らぬ軍事的能力を紀州徳川家は備えていると主張できた。だけど川中島の戦いが、武田が勝っていたり、どっこいどっこいの勝負だったら、せっかく謙信流を掲げても意味がない。だから上杉軍大勝利の、しかも豪華絢爛で、みんなびっくりするほど細密な「川中島合戦図屛風」を一流の絵師に命じて製作させたのです。作品によっていろいろですが、「戦国合戦図屛風」には、どれもこうした政治的なウラがあるわけです」

――犬山藩主成瀬家に伝来した「長久手合戦図屛風」をめぐって、私も観に行った徳川美術館の特別展「合戦図―もののふたちの勇姿を描く―」の図録の中に、けっこう厳しい高橋批判がありましたね。

高橋「はい。成瀬家の初代・正成の大活躍が描かれている「長久手合戦図屛風」の図像について、他の徳川譜代の家臣たちの活躍とともにそれが描かれることで、いろいろと経緯があって将軍の直臣ではなく、尾張徳川家の付家老となってしまった成瀬家の地位を譜代大名に匹敵するものとして再確認しようとする目論見と読み解いたわけです。この点について、屛風は『奥道具』として製作・所持されたものであり、他の武家や家臣に広く公開されるものではない、大名のプライベートな持ち物なのだから政治的な主張などありえない、という批判を受けました。

 この批判は大変貴重な論点を含んでいて、私も含めて、これまでの研究は、描かれている図像の分析に終始してきました。それだけではだめで、大名家の「道具」として、モノとして所持されてきたという大前提を無視してはいけない、という批判です。私も一方ではその通りだと思います。ただし「戦国合戦図屛風」の図像は孤立して存在するわけではない。文字で書かれた軍記や系譜なども作られ、幅広い階層への合戦像の普及が図られているのです。単体で捉えれば、いかにも「奥道具」かもしれないけど、屛風絵はいわば氷山の一角なのであり、その図像が成立する過程で、すでに政治的な主張は始まっているのだと思います」

DSC01264_jpg.jpg高橋教授(左)と井澤教授

――「賤ヶ岳合戦図屛風」は、当時のベストセラー『甫庵太閤記』の記述とは違う「七本槍」のメンバーが描き込まれているんですね。

高橋「「七本槍」の部分だけ、当時みんなが知っている合戦像ではない。そこが味噌ですね。紀州徳川頼宣が自分の家来に書かせて提出させた『川角太閤記』、誰も見ることができないこの記録に基づいて描かせたということです。「ここ違うんじゃないですか?」「実はだな...」みたいな感じかな。戦国合戦に関する特別な情報をもつことが、大名の家を権威づけるという構図です。現代の情報社会でも、自分にとって本当に大切な情報は、簡単にはネット配信なんかしませんよね。やはり当時の大名たちも、自分の家の能力を権威づける大切な情報は、自分で汗をかいて、家臣との信頼関係を育みながら、必死で集めていたということではないでしょうか」

――博物館学芸員時代に担当した1997年の特別展「戦国合戦図屛風の世界」が、高橋さんのこの分野の研究のスタート地点になっているようですね。作品の所蔵者も全国に散らばってるし、画像や資料を入手するのも大変だったでしょ。博物館の仕事の中で、全部調査したということですか?

高橋「足で稼ぎだした研究です。30歳を過ぎる頃までは、平日の半分は泊りがけの出張に出かけていました。子供も小さかったのに、ひどいお父さんです。当時は屛風絵のような大きな作品の細部に至る画像が、高精度のデータで提供してもらえるなんて環境にはありません。すべて作品の所蔵されている博物館や個人のもとに出向いて、特別な許可をいただいて、抱えていった自分のカメラで撮影してくる。帰ってから現像してみないと撮れているかどうかもわからない。現像して紙焼きにしないと見ることもできない。大画面の細かい画像の隅々まで頭に叩き込まないと研究を始めることすらできない。みんなそこまではやらないから、誰も「戦国合戦図屛風」なんか体系的に研究していなかったわけです」

――「補注」で丁寧にまとめられていますが、近年は「戦国合戦図屛風」の研究も増えているみたいですね。特別展の頃はまださほど注目されてはいない作品だった。そこに目を付けたわけですね。学問の府の中心に立地するわけではない大学にはハンデもあるけど、かえって学界の議論を俯瞰してみることができる。学問の陥穽がみえてくる。そこを突くような研究は、茨城大学の学問のあり方として、学ぶべき点があるような気がします。

高橋「ありがとうございます。私もその通りだと思っています。「間隙を突く」ということかな。あるいは「隙間産業」でしょうか?」

ーー「おわりに」に書いている「成果が出るかどうかもわからない出張に何も言わずに判を押してくれた」学芸課長は、高橋さんの理想の上司?今の高橋さんの振る舞いにも通じるものがありますか?

高橋「どうでしょうか。変わった人でしたが、たった一人の上司です。彼とは、いろいろ意見が合わなくて、怒鳴りあいの喧嘩もしばしばでした。でも学芸員としての私の仕事は信頼してくれていたみたいです。こんなこと書く気になったのは、自分が年を取ったからでしょうね。職場で、年長者が若い同僚を鷹揚に、おおらかに見守ることは大切ですね。自分もかくありたいと、今は思っています」

――ところで巻末の「研究者索引」に私の名前がありました!

高橋「井澤さんが韓国調査のお土産にくれた順天倭城のパンフレット、実はすごく貴重なものだったんです。秀吉の朝鮮出兵の最終盤に起こった順天城の戦いについて描く「征倭紀功図巻」という、大変貴重な絵画資料があるのですが、海外の個人の所蔵のようで、現物は一部しか公開されていません。何らかの機会に模写した方がいるようで、それが時々学術雑誌に掲載されることがあります。ただしいずれもモノクロだったり、部分図だったりです。井澤さんのお土産のパンフには、この模写本のカラー全体図が掲載されていたので、びっくりです。今後、学界で使用したい人がいると思い、著書の中でも紹介させてもらいました。

 人文社会科学部には、人文社会科学の多様な分野の教員が80名以上います。それぞれが実に多様な情報とネットワークをもっている。日常の研究の中で、その恩恵を受けることは多いし、今回もそうでした。教員集団として、学術情報を交換し、学問的に刺激しあっていきたいですね」

――学部では評議員・副学部長という重い校務もあるし、もちろん教育や社会貢献活動などもあって、論文集をまとめるのはたいへんだったんじゃないですか?

高橋「考えてみればおかしなことですが、今のご時世、大学教員が十分な研究や調査のための時間を捻出するのはたいへんですよね。何か工夫があるかと言えば、私の場合であれば、研究を教育に結び付ける努力はしています。

 今回の本のテーマは、自分の研究の中では、20代後半から30代半ばにかけてピークがあった研究テーマです。先ほども話しましたが、その頃、「戦国合戦図屛風」という作品群にまじめに向き合う研究者は、歴史学・国文学・美術史、いずれの分野にもほとんどいませんでした。どの分野からもドロップアウトしていた。ところが近年になって潮目が変わってきた。こうした美術作品や伝承や記憶の戦国世界に、研究者はもちろん一般の関心も集まるようになってきた。周囲から注視される中で、批判もいただいて、自分の研究をもう一度自分自身が再評価しなければならなくなったわけです。そこで基盤教育科目・ヒューマニティーズの中で講義科目を立てて、自分がかつて論じてそのままにしてあった旧稿を引っ張り出して反芻してみる。歴史を専門としていない現代の若者が、私の研究成果のどこに魅力を感じてくれるか、論理的に納得してもらえるか、真剣に考えながら1クォーター使って話してみる。彼らに理解される明快な論理であるか、しかも彼らにインパクトを与えるメッセージがあるか?そうした作業を通じて、今、まとめ直すとすればこんな感じ、というイメージが頭の中で次第に固まっていきました。

 教員のもっている時間には限界がある。だから業務のいくつかを有機的に結び付けて成果を生み出していくしかないでしょうね。まあ校務は諦めるしかないけど、研究と教育とか、研究と地域貢献とか、あるいは教育と地域貢献とか。それが成果として効果的にアウトプットしていくサイクルができるといいなあと思っています」

――ありがとうございました。

高橋「こちらこそ、ありがとうございました」

(インタビューは、2021年4月7日、人文社会科学部高橋修研究室において)

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書籍情報

  • 高橋 修『戦国合戦図屛風の歴史学』勉誠出版、9000円+税、20212月刊