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江戸時代の検地の再現に教育学部の学生たちが挑戦
―史料をもとに試行錯誤 うまくいった?

 時は令和三年三月某日、水戸市渡里の圃場にて奉行、百姓ら立ち合いのもと検地が行われた ― 冗談のようですが実際の話。教育学部の社会選修を中心とした学生たちが、近世の検地の様子を描いた絵や古文書を紐解きながら、当時の検地の再現に挑みました。社会科だけでなく、技術や数学の選修の教員も参戦しての検地。果たして畑の面積はきちんと測れたのでしょうか...

 日本史で「検地」といえば、多くの人が豊臣秀吉の「太閤検地」を思い浮かべるはず。田畑の面積は年貢高に直接関わりますが、かつては百姓の自己申告による「指出検地」が一般的だったそう。それが秀吉の政策において、ひとつの土地にひとりの年貢請負人を決め、面積と田畑の質によって年貢を決める仕組みになりました。「役人が田畑に直接入り込んで検地をするというのは、歴史的に画期となったわけです」と、このプロジェクトを先導している、日本近世史が専門の千葉真由美・教育学部教授が学生たちに説明します。「検地の役人はすごい技術者集団だったんですね。そして、村の百姓たちは周りにいて、役人が不正をしていないか監視している。武士と百姓の共同作業がこの検地であって、みなさんには、それを的確、迅速に行うということを体験してもらうと同時に、教育現場で子どもたちに歴史的事実を理解してもらうためにどうすれば良いかを考えてほしいと思います。」

 さて、この検地、役人の職名などの記録は残っているものの、具体的にどのような手順で行われたのかは、意外にも判明していません。そこで、当時の史料を使いながら、ともかく実際にやってみよう、というのがこのプロジェクト。「歴史事象の多角的理解にむけた教科横断科目研究拠点」として茨城大学の拠点事業にも選ばれているこの取り組みでは、社会科・数学科・技術科の各教科の特徴を生かした横断的な実践の可能性を探っています。

 学生たちが手がかりにする検地の絵図がこちら。教科書や歴史の資料集でも見たことあるかも知れません。『徳川幕府県治要略』という書物に描かれている江戸時代の検地の様子です。

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 真ん中に十字の器具をもった人がいて、この「十字木」を中心に縄が張られているのがわかります。畑の周囲には長い竿をもった人達が8人。四角形の頂点に立つのが「細見竹持(さいみだけもち)」、各辺の中点に立っているのが、先に梵天のついた竿をもつ「梵天竹持(ぼんてんたけもち)」だそう。既に2年ほど取り組んでいるこのプロジェクトでは、これまで図をもとに実際に道具を製作してきました。

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 ということで、今回は先輩たちが作ってきた道具を使って、みんなで検地をしてみようというわけです。

 その日の午前中、まずは講義室で千葉教授のレクチャーを受けます。

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「『1間』は何センチかわかりますか?この縄には、1間ごとに白いテープがついていますので、これを使って1間、2間、3間...と測ってもらいます」と、かつての日本の度量衡や、事前に考えた段取りを説明していきます。

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 作業のイメージができたらそれぞれお昼を済ませ、水戸市渡里町にある教育学部の附属農場へ向かいます。農場といっても住宅町の一角にある3000平方メートルほどの敷地。普段は栽培実習などで使われています。

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 まずはホワイトボードに「帳付」(計測結果を帳面に付ける役目)、「間竿持」(物差しの役割りの竿を使って長さを測る役目)、「縄奉行」といった職名が書かれ、集まったメンバーで役割分担。役目を決めている間に、畑のほうでは実際に検地をおこなう区画を、技術選修の大西有准教授(肩書は検地再現当時)と数学選修の吉井豊准教授が、杭とロープを使って定めます。きれいな長方形ではすぐに計算できてしまいますし、リアリティもないので、台形にしました。まだ緊張気味の学生たちに、「みなさん、きちんと測りましょうね。百姓たちがみなさんの仕事をしっかり見ています。縄がピンと張っていなければ、百姓は一揆を起こすよ!」と千葉教授が呼びかけます。

 つぎに、四角形の各辺の距離を測り、中点を決めます。使うのは自分の足、すなわち「歩測」です。ゴム長靴を履いた学生が、一歩一歩、慎重に数えながら畑の縁を歩いていきます。「足でも意外と正確に測れるものですよ。伊能忠敬だってあの地図を歩測で作ったんだから!」という千葉教授の言葉が青空の下に響きます。

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 頂点に細見竹持、各辺の中点に梵天竹持が立ち、向かい合う梵天竹持の間に縄を張ります。これでひとまずクロスができました。今度はこれを直角にするために、十字木を使います。

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 木組みに縄がすっぽりはまる幅の溝がついているので、一方の縄を固定した状態で、もう一方の縄の角度を調整し、それに合わせて梵天竹持も移動します。直角になったら、今度は移動後の梵天竹持の位置が中点になるように、頂点の細見竹持が移動します。これで、元の台形と同じ面積の長方形が決まりました。あとは縄の長さを測ってかけあわせれば面積が出ます。

tousekihenkei.jpg上が元の区画、下が長方形に補正した区画

 では、この補正後の光景を、江戸時代の図と比べてみましょう。

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 なかなかうまく「再現」できているのではないでしょうか!?

 こうして学生たちが計測した長さは、縦6間、横8間半。ここからメートル法の面積を割り出すと、165.4㎡となります。

 実は教員のほうでは、先にメジャーを使って長さを測り、面積を計算していました。果たして、学生たちの「検地」の正確さやいかに...

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  • メジャーを使って測定した面積:169.3㎡
  • 学生たちの検地による面積:165.4㎡

 いかがでしょう。なかなか良い感じなのでは?大西准教授、吉井准教授も、この結果には「結構正確なもんだねえ」と驚いた様子です。

 面積を測りたい土地について、それがどんなに複雑な形だったとしても、同程度の面積の四角形に見なし、梵天竹持や細見竹持の様子を見ることで、百姓たちも状況を理解していたようです。検地のマニュアルといえる古文書からも、さまざまな形状の土地に対して、なんとか等積の四角形を作ろうとしていた形跡がよくわかります。

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 ということで、2筆目は、台形ではなくもっと不規則な四角形。これはだいぶ難問です。学生たちはひとまず中点は決めたものの、どの線を固定すべきか、どの線の長さを測れば良いのか、誰がどう動けばいいのか、頭を悩ませている様子でした。

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 試行錯誤した末に残念ながら時間切れ。一応面積は出してみたものの、一同、腑には落ちていない様子。吉井准教授が、今回のような図形の等積変形についてホワイドボードを使って解説したものの、「数学としてはそれで良いとして、でもその方法だと梵天竹持の意味があまりなくなってしまうよなあ...」とどうしてもモヤモヤが残ってしまう様子でした。

 後日学生から提出されたコメントからは、「検地を実際に体験したことで、面積を正確に計測する正確性やそれらの情報から面積を計算する知性、そしてこれらを繰り返す体力が求められることを理解した」といった充実感がうかがえた一方、「絵図や古文書をもとに作成した器具の活用の仕方は、もう少し創意工夫が必要であったと考えます。実践の中で、器具の使い方を、各実践者が想像・推測し、有益な意見交換が行えれば、新たな見方・考え方が想像できたであろうと思われます」という省察も見られました。

 これこそが歴史を学ぶ醍醐味、かも知れません。

 限られた史料から、当時の暮らしぶりや技術を知ること。それを体感することで、まさに歴史に身を置き、再体験すること。その上で、社会科以外の知識も動員しながら、科学の進化の過程に触れ、感動を覚えること。

 この「検地」の再現という実践も、まさにそういう可能性を秘めているものだということが、なんとなくすっきりしない=もっと追究したいという学生の表情にこそ、感じられました。教員を目指す学生たちには、教壇に立っても、そうやって子どもたちと一緒に悩み、学んでほしいですね。

 何はともあれ、みなさん、お疲れさまでした!検地のチャレンジはこれからも続きます。

kenchisaigen_drone.jpgのサムネイル画像

(取材・構成:茨城大学広報室)