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旧制水戸高校創立100周年
暁鐘寮跡地で渡された記憶のバトン

 旧制水戸高等学校といえば、政治家の後藤田正晴氏や作家の舟橋聖一氏などを輩出した名門校だ。同校が創立されたのは1920年、今年でちょうど100周年。戦後の教育改革による閉校後、多くの教員や図書館の蔵書などは1949年創立の茨城大学の文理学部(当時)に引き継がれた。
 その「水高」生たちが日々を過ごした「暁鐘寮」があった場所の一角に、当時の寮歌が彫られた石碑が建立されている。11月の晴れた日、2人の水戸高等学校卒業生がこの石碑を訪れた。

旧制水戸高校1糸賀正巳さん(左)と山田允さん 石碑を囲んで

 糸賀正巳さんは、水戸高等学校の第27回生。卒業したのは茨城大学が設立された1949年のことだ。長年、水戸高等学校同窓会の事務局を担ってきた。

「同窓会本部は高齢化による会員の減少に抗えず、2008年に解散されましたが、その後も『暁鐘秋の会』という名前で開校記念祭が毎年継承されてきました。そして昨年(2019年)、開校から100年目の大きな節目を踏まえ、『開校100年祭』を開催するとともに、同窓会としてのすべての活動を終了することとしたのです」

 昨年1010日に東京の学士会館で開催された「水戸高等学校開校100年記念祭」には、家族なども含めて100人近くの同窓生が集まったという。1年ずれていたらコロナ禍で開催はできなかったに違いない。糸賀さんは、「神様の御加護ですよ」と話す。

 この日は、糸賀さんとともに、1年後輩にあたる山田允さんも水戸にやってきた。山田さんは同校卒業後、茨城大学に入学している。茨大の一期生だ。

 旧制水戸高等学校の本校舎があった敷地は、国立病院を経て、現在、北水会グループが運営する医療・介護の複合施設になっている。「水高スクエア」という名称が、この土地の歴史をきちんと後世に受け継いでいる。
 その西側には、茨城大学の教職員宿舎とともに、「水交荘」と名付けられたゲストハウスなどがあり、水交荘の裏庭に、かつて水戸高等学校の寮があったことを示す石碑がひっそりと建っている。1962年に同窓会が建立したもので、正面にはかつての寮歌が彫られている。しかしこのほど、水交荘の閉鎖等に伴い、この石碑を移動することになった。今回の二人の訪問の一番の目的は、その移設場所について相談することだった。

旧制水戸高校2石碑について説明する本学施設課の小野貴博課長補佐

 マント姿で水戸の街を闊歩し、"バンカラ"と言われた水戸高等学校生の生活は、寮の存在と切り離すことができない。

旧制高等学校は明治から大正、昭和にかけて設立されたのは、全国でわずか38校。水戸高等学校にも全国津々浦々から、10数倍の難関を突破した学生が集まり、恩師から学問のみならず幅広い教養を身につけるように指導された。その学生たちが自治生活を営む学生寮では、放課後は運動部・文化部ともに遅くまで部活動に励み、夜は読書や議論を交わしたり、また、行事や祝い事のたびに、肩を組み寮歌やデカンショ節を歌いながら踊ったりする「ストーム」が行われるなど、学生たちは存分に青春のエネルギーを発散させて、友情と絆を深めた。

学生寮は、水戸の弘道館の学生警鐘に彫られた徳川斉昭の「もの学ぶ人のためにとさやかにも暁告ぐる鐘の声かな」という和歌にちなみ、「暁鐘寮」と名付けられ、後にその「暁鐘」の名をつけた梵鐘(後に太平洋戦争のため回収)も設置された。

旧制水戸高校3暁鐘寮の外観(水戸高等学校同窓会『時乾坤に移ろひて―水戸高等学校・写真集』より)

旧制水戸高校4部屋に集う寮生 歴代の学生たちによる落書きが壁に残る(同上)

 糸賀さんも山田さんも感慨深げに石碑を眺めていたが、実は糸賀さん自身はこの地では学んでいない。水戸高等学校の校舎の大半は、194582日のB29による水戸空襲によって焼失してしまった。終戦後、1946年に校舎と寮は現在の笠間市友部の旧筑波海軍航空隊跡に移転1946年、戦後初入学の糸賀さんの年代(27回生)は12年次を友部で、3年次を旧陸軍37部隊の兵隊宿舎(現在の茨城大学水戸キャンパス)を教室として学んだのだ。糸賀さんの1年下の山田さんは、3年次を旧来の東原の高等学校の焼け残った教室で過ごした。

 それでも、多くの水戸高等学校生が青春を謳歌した場に立つことは、糸賀さんにとっても感慨深いことに違いない。そしてこの日は、水戸市立博物館の関口慶久館長も同行していた。2008年の同窓会本部解散の後、貴重な資料は水戸市立博物館などに永久保存されることになった。現在、同博物館のロビーでは在りし日の水戸高等学校の様子をまとめた映像が常設で上映されており(新型コロナウイルス感染症の影響により現在は休止中)、また、水戸市立第一中学校にもメモリアルルームを設けて資料の一部を展示している。水戸高等学校の記憶を地域にどう引き継ぐかを巡り、糸賀さんたちは水戸市立博物館の歴代の館長とも多くのやりとりを重ねてきたのだ。

旧制水戸高校5図書館は空襲による焼失を免れ、閉校後蔵書の多くは茨城大学図書館に受け継がれた

 1947年に教育基本法、学校教育法が制定され、いわゆる6334制が確立。全国で新制大学の設置が進み、旧制水戸高等学校はその歴史に幕を下ろすことになった。学校の閉校とともに、旧制水戸高等学校最後の卒業生となった山田さんたち28回生に、衝撃が走った。受け取った卒業証書には、「水戸高等学校 校長 関泰祐」と並んで、「茨城大学 学長 鈴木亰平」とも書かれていたのである。これは寝耳に水のこと。「当時は『こんな卒業証書、受け取れない』と反発した人が少なからずいましたよ」と山田さんは振り返る。「茨城大学のルーツ校のひとつは旧制水戸高等学校」といいながらも、両校の間での交流がほとんどなかった背景には、水戸高等学校生の誇りと戦後教育改革の混乱が交錯する複雑な事情が垣間見られる。

 とはいえ、水戸高等学校創立100周年にあたる2020年の今、その卒業生と茨城大学の関係者とが、こうしてひとつの石碑を囲んで顔を合わせ、その将来を真剣に検討していることには、万感の想いがある。糸賀さんは、「同窓会の活動を終えてしまった今、水戸市や茨城大学などがこうして地域における水高の記憶を受け継いでくださることに感謝します」と語った。こうして渡されたバトンを、茨城大学も自らの手でしっかり受け取らねばならない。

旧制水戸高校6一番左が水戸市立博物館・関口館長

※石碑の移動が決定したらまた本欄などでご報告します。

(取材・構成:茨城大学広報室)