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「サッカーも人生も年齢は関係ない」「同世代に夢を届けたい」 水戸ホーリーホック・近藤慎吾選手が茨城大学iOPラボでトーク(デイリーホーリーホック)

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茨城大学の長期的でアクティブな学修活動「iOP」を支援するゲスト講師として出演

7月5日、水戸市文京の茨城大学水戸キャンパス図書館でトークイベント「水戸ホーリーホック・近藤慎吾選手と語るライフデザイン」が開催されました。
大手証券会社勤務、日本代表の長友佑都選手マネージャーを経て、今年32歳でJリーガーとなった近藤選手が、学生や一般の来場者に向けて半生を語る中で、「サッカーも人生も年齢は関係ない」「同世代に夢を届けたい」「自分を知ることに一生懸命になろう」などのメッセージを届けました。

6年前からホーリーホックと連携協定を結ぶ茨城大学では、2017年から3年次第3クォーター(9月下旬~11月)をiOP(internship Off-campus Program)クォーターと位置づけ、インターンシップ、海外研修、ボランティア、発展学習などに専念する、長期的でアクティブな学修活動を実施しています。
「iOPラボ」では学内外、卒業後もさまざまなシーンで参考、活用できる講座やトークイベントが定期的に開かれており、今回は異色の経歴を持つ近藤選手がゲスト講師として招かれました。

自身が主役のトークイベントは初という近藤選手は少々緊張気味でしたが、「色々な話を聞けて良かったと思って貰えたらいいですし、僕自身も明日からの糧にしていきたいと思います」と意気込みを話し、いよいよ講演がスタート。
まず、なぜ証券マンや長友選手のマネージャーを経てサッカー選手になったのか。近藤選手はその半生を振り返る所から語り始めました。

DSC_3227.jpg(写真:米村優子)

Jクラブのオファーを断り、一流企業のサラリーマンへ

近藤選手は1987年生まれ神奈川県出身。大手食品メーカーの関連企業に勤めながら、週末はサッカーの指導者として活躍する父に憧れ、将来は一流企業のサラリーマンになることが夢でした。
幼少期からサッカーを続け、2005年に進学した明治大学でもサッカー部に入ります。
当時は新監督の下、市立船橋高、藤枝東高、星稜高など全国各地の名門校から注目選手が集結。同学年には元水戸の林陵平選手や橋本晃司選手、そして後に日本代表となる長友佑都選手など、現在もプロ選手として活躍するメンバーが多数在籍していました。
そんな明大サッカー部は快進撃を遂げ、関東1部リーグで一度も3位以下に落ちることなく、51年振りに大学日本一を獲得。近藤選手もディフェンスの中心選手として、チームの躍進に貢献しました。
「サッカーレベルや文化の違いに戸惑いもありましたが、仲間と大学日本一を目指した楽しい4年間だった」と振り返ります。
そして横浜FCの強化指定選手となり、Jクラブからオファーもありましたが、サッカー部の企業推薦枠を使い、「1年の時から入ると決めていた」という野村證券へ迷うことなく入社。念願のサラリーマンとなったのでした。

DSC_3246.jpg(写真:米村優子)

順風満帆なビジネスマン生活を辞め、盟友のサポート役に

卒業後、週末は社会人クラブ・エリースFC東京でプレーを続けながら、野村證券では個人や法人への金融商品の営業を担当しました。
「目標達成に向けて、常にチームで動く」という証券マンの仕事はサッカーと共通点があり、「社会人の基礎を叩き込んで貰いましたし、社風は今でも好きです。毎月の成績が数字で目に見えるのでわかりやすいですし、楽しかったですね」
野村證券時代に最も学んだことは、人の繋がりの大切さ。
「どんな場面でも誰かが助けてくれた。互いに切磋琢磨した中での繋がりは、一生の財産だと実感しました」と今でも当時の仲間と交流を続けているそうです。

ビジネスマン生活も6年が経ち、順風満帆な生活を送っていた近藤選手。
実は大学卒業時、プロの道へと進む長友選手とある約束をしていました。それは「将来、一緒に仕事をしよう!」。
「正直、気の合う仲間同士のあるあるネタ。でも長友はシーズンオフの時はいつもご飯に誘ってくれて、その都度それを口にしていました。僕は話半分で相槌を打っていましたけれども」。
そして2014年ブラジルW杯への出場が決定したタイミングで、長友選手が個人事務所を設立することに。その際、白羽の矢が立ったのが近藤選手でした。長友選手から直々に『マネジメントをやって欲しい』と頼まれたのです。
しかし当の本人は、全くやる気はありませんでした。安定したサラリーマン生活から不安定なスポーツの世界に行くとなれば、きっと家族や職場の誰か一人は止めてくれる。そう高を括っていましたが、実際の反応はその真逆。
「『そんないい話はない!』『そこまで友人が熱く求めてくれるなら行きなさい!』と誰も止めなかったんです(笑)」
こうして證券マンにピリオドを打ち、長友選手との約束は現実のものとなったのでした。

kondo_02.jpg(写真:米村優子)

突然告げられた「慎吾、Jリーガーにならないか?」

長友選手の個人事務所では、日本を代表するプロサッカー選手・長友選手のブランド力を活かして企業に売り込み、広告やメディア出演を交渉するのが主な役目。
「長友は皆さんが思っている通りの人間だと思います。素直で飲み込みが早く、どんな人の言葉にも耳を傾け、一つでも自分のプラスになることを盗もうとする魅力ある人。金融商品は誰でも扱えるかもしれないけれども、長友というブランドを扱えるのは自分しかいないと自信を持って取り組んでいました。中村俊輔選手や本田圭佑選手などの事務所を参考にしながら、ブランディング、今後のビジョンを本人やスタッフと話し合いながら進めていました。普通のサラリーマンをしていたらなかなか会えない人たちとの出会い、長友と企業やメディアの親和性を探るのは、ビジネス的にも面白かったです」

2017年には明治大学サッカー部のコーチ、2018年にはエリースFC東京の理事としてクラブ運営も経験。
社会人リーグの選手も兼任しながら、長友選手のマネジメントに奔走していた昨年9月、トルコでの撮影を終えた後、長友選手から突然、「慎吾、Jリーガーにならないか?」と告げられます。
プロサッカー選手となり、決死の努力をしている仲間たちの姿を見てきた近藤選手は、「自分が今更Jリーガーを目指すなんて、プロを冒涜している。何を言っているんだ? ふざけているのか?」と一蹴します。しかし、長友選手はこう続けました。
「30、40代がもっとアクティブに動いて、世の中をかき回していい。チャレンジしても、まだ20年以上は残されている。30歳を過ぎたオッサン世代、サラリーマンをやっていた慎吾が夢を追う姿は同世代の人たちに夢を届けられる。これからは個人の時代が来る。近藤慎吾の顔と名前を出して、慎吾だから出来る仕事で勝負して欲しい」。
そして2ヶ月間悩んだ末、盟友の言葉に背中を押され、Jリーガーへの挑戦を心に決めたのでした。

挑戦から4ヶ月後にプロ入り。死に物狂いでメンバー入りを目指す

長友選手が推奨するトレーニングメソッドや食事によってアスリートの肉体を作り上げ、エリースFC東京に所属していた水戸OBの谷川烈さんを通じて、西村卓朗強化部長を紹介してもらい、今年2月から水戸の練習参加をすることに。
「『企画めいたやつが来たな』という色眼鏡で見られようと、あいつが入って良かったと、人としてもプレーヤーとしても思わせる自信はありました」と近藤選手。
Jリーガーとなるチャレンジを始めて約4ヶ月後。水戸で3週間の練習参加を経て、今年3月上旬、プロ入りを果たしたのでした。
しかしそれはゴールではなく、スタート地点。
「試合のメンバー入りするには、高い壁がある。プロは今までやってきたレベルとは全く違って、ここを逃したら死んでしまうぐらい、一つひとつのプレーに対するこだわりや執念が強い。絶対にやらなきゃいけない、逆にやってはいけないプレーがハッキリしている」とプロの洗礼を浴びている様子でしたが、「死に物狂いで夢を成し遂げたいです。サッカーも人生も年齢は関係ないですから。チームは上位につけていて、昇格争いをしています。来年2020年のオリンピックがあって、なかなか自国開催のオリンピックを働き盛りの年で迎えられるのはなかなかない。こんなイベントは一生に一回。来年はスポーツの年になります。そんな年を水戸、茨城に関わる皆さんとJ1で茨城ダービーが開催されるスポーツの県、地域として迎えたい。一緒にホーリーホックを盛り上げてくれたらなと思います。一緒にJ1に行きましょう!」と力強く締め括っていました。

kondo_04.jpgのサムネイル画像51年ぶりに明治大学がインカレで優勝した時の集合写真

●質疑応答

Q.プロのアスリートという逃げ道のない世界に来ましたが、元々プロのセールスマンとして、自分自身をどういう売り方をしていくのでしょうか?またそこへの覚悟を聞かせて下さい。
「プロのアスリートの近くにはいましたが、いざなってみると厳しい世界だと改めて実感しています。会社員時代は、自分自身に対する評価は半年に一回。しかしプロの選手は評価の範囲が社内外にも及びますし、一日一日が勝負。誹謗中傷もありますし、メンタルのタフさも必要。長友が常々言っていたのは、『インターネットなどでの批判はもちろんある。けれども、批判は愛情の裏返し。批判はエネルギーがいることで、プラスに覆せることもあるかもしれない。だからそれは幸せなこと。無関心ほど怖いものはない』。僕自身、もっと試合に絡んで、批判を経て、成長していきたいと考えています。今までどこか人のせいにして道を決めて来て、壁にぶつかった時、人のせいにしがちでした。昔は会社や長友に最終的な決定権があって、自分の決断だけではできない部分もありましたが、今は全て自分の決断で動ける。人生の中で今が一番面白いです」

Q.偶発的な要素もあると思いますが、組織の中で一体感を出すには?
「これまでの人生の中で、今一番、一体感のあるチームにいます。水戸の一体感の要因は、明確な目標が定められていて、全員が日々一歩一歩、前進を実感できているから。どうすればJ1に辿り着けるのか、チームメイトで話し合っていますし、西村さん(西村卓朗強化部長)がクラブ内セミナー『Make Value Project』を通じて、J1への目標を選手自身に言語化させ、各個人の価値を高める取り組みもしています。ファンのために、自分のために、目標に対してのこだわりを強めている。それにチーム内の年齢構成比が絶妙。ベテランの配慮が素晴らしく、若手が伸び伸びとプレーできている。そして監督も人格者なのも理由の一つです。僕自身はチーム内のムードメーカー。色んな意味で社会経験が豊富なので、個人的な悩み相談なんかも受けたりしています。若手とベテランの架け橋にもなれていると思っています」

Q.大学時代に意識していたこととは?
「自分自身が意識していたことは思い出せませんが、大学時代は自分を知ることに一生懸命になること。自分が好きなことを見つけられればいいのではないでしょうか。僕は人に求められたり、感謝されるのが好きで、長友からの『ありがとう』の言葉が嬉しかった。何をしている時の自分が好きかを探ってみては。もちろん社会人になったら変わる場合もありますが、変わったらならばそれを受け入れればいいと思います」

Q.今後の夢は?
「僕にしかできないことをやりたい。実はアスリートはこういう部分が大変だとか、企業がスポーツ選手に何を求めるか、スポーツが企業に対してどんなことを提供できるのかといったことを、プレーヤーの中では、一番理解できていると思っています。2020年に東京オリンピックもありますし、スポーツが日本で地位が高まって欲しいです。今の経験を活かして、スポーツとビジネスを繋ぐキーパーソンになっていきたいと思っています」

(米村優子)

※「デイリーホーリーホック」に掲載された記事(https://www.targma.jp/hollyhock/2019/07/16/post26115/)を転載したものです。