東京美術学校制服は、聖徳太子の肖像画に見るような奈良時代の官僚の制服をもとに考案されている。東京美術学校は、天心が学校長を追われるまで、洋画と洋風彫刻を教えることはせず、日本画と木彫それに美術工芸を専門科目とした。そのような明治20年代の国粋主義の時代の空気を如実に反映しているのがこの制服であろう。天皇が古代以来、再び政権の中枢で立憲国家体制を確立する近代を、律令国家体制確立期の官服装でなぞっているのである。その発案者は天心といわれている。生徒たちはずいぶんとこれを嫌って、街頭を歩くには勇気が要ったと回想しているが、天心は20代の青年校長として、制服(教職員は茶色だったという)を身にまとい白馬にまたがり意気揚々と登校した。
五浦美術文化研究所で所蔵するこれらの資料は、木村武山、下村観山のご遺族が保存されていたものであり、東京芸術大学にも残されておらず、当時の制服の実物資料として貴重なものである。特に、制帽には黒漆で四菱文が散らされており、繊細な仕上げになっていることが分かる。
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