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ドキュメント「宝珍楼」最後の日 茨大生に愛された31年

レポート

 2019年2月15日、茨城大学の学生や卒業生の間で激震が走った。茨城大学水戸キャンパスから徒歩5分の老舗食堂「宝珍楼飯店」の入口に貼り出された「2月27日をもちまして閉店します」という手書きの貼紙の画像は、宝珍楼の公式ツイッターをはじめとして瞬く間にSNSで拡散された。週末には卒業生たちが全国各地から駆けつけ、3~4時間待ちの行列ができた。その様子は県内の新聞各紙などでも報道され、まるで地域の一大事件の扱いだ。

houchin1.jpgお店の前には開店前から長い行列ができている

 その余波は大きく、茨城大学にも、「宝珍楼飯店が閉店します。私ども茨城大学卒業生としましては、その功績を大学として称えて頂きましたら、とても良いことと思います」といったメッセージが寄せられた。まさに数多の茨城大学の学生や教職員の空腹と文化を満たし続けた宝珍楼の貢献は大きく、それは確かに大学として感謝し、称えるべきものであろう。その想いから私たち取材陣も、2月27日、長い歴史に幕を下ろすその日の仕込みの時間にお邪魔し、マスターから話を聞いた。

houchin2.jpgマスターの木ノ内久雄さんは71歳になる

 マスターの木ノ内久雄さんがこの地に宝珍楼飯店をオープンしたのは、31年前の1988年9月7日。横浜中華街などで調理の腕を磨いたあと、妻の故郷である水戸に移り、当初は中心街の南町でお店を開いていたが、まちの賑わいが年々薄れていく中で、たくさんの学生の利用が見込まれる茨大近辺にお店を構えることにした。開店初日、マスターが打って出た奇策が、すぐにたくさんの食欲溢れる茨大生を虜にした。

「初日は全品100円でやりましたから。たくさんの学生が来てすごかったですよ。パンパンに入った1000円札の束でレジが閉まらないぐらい」

とマスターは笑って振り返る。それから学生たちをバイトに雇ったが、最初は全員が工学部の学生だった。

「工学部の学生が、2年生になったらみんな日立(キャンパス)に行っちゃうなんて、私知らなかったでしょう。2月のころ、『僕ら春から向こう行っちゃいますけどどうするんですか』なんて言うんです。それには『えーっ!?』と参りました。でも彼らが後輩たちを連れてきてくれました」

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 こうして31年間、数え切れないほどの茨大生のアルバイトがお店を支えた。大学院理工学研究科M2の西嶋静海さんは、閉店時において最年長のバイトとなった。1年生の頃に常連になり、2年生でバイトとして入ることに。これまでで一番よく頼んだメニューは「青中とりからセット」。素揚げしたほうれん草と豚肉を甘さと香味のあるタレであわせ大盛りの白飯の上に載せた青中=青菜中華丼は、宝珍楼の定番メニューだ。

 また、自身が開発に携わったメニューはないかと聞くと、「『星見セット』ですね。僕、星見同好会というサークルに入ってるんです」とのこと。賄いとして出された麻婆茄子ののったチャーハンがおいしいと言ったら、翌週にはメニューに加わっていた。

 学生の発案から次々と新しいセットメニューが生まれているのも、宝珍楼の魅力だ。店内の壁には、「ジャズ研セット」「ペガサス丼(バレー部)」「しのぶどんぶり(ラグビー部)」などのユニークな名前が並ぶ。現在100ぐらいのメニューがあるそうだが、それ以上に消えていったものもあるから、31年間に誕生したメニューは数え切れない。西嶋さんによれば、「マスターは全部覚えているんですよ。僕が聞いたことのないメニューまで」。

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 マスターに印象深いメニューを聞いた。

「やっぱり剣道部が作った『四天王(セット)』ですね」。

 青中、ラーメン、から揚げ+春巻というボリューム溢れるセットだ。「『僕たちは茨大剣道部の四天王なんです』って自分で言うわけですよ。それで名前も『四天王セット』になって」とマスター。宝珍楼へ行ったというレポートが挙がっているSNSの記事の中でも、「四天王セット」の写真をシェアしている人が多い。

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 もちろん利用客は学生だけではない。近所に住む50代男性の小林さんは、昼食は毎日宝珍楼という筋金入りの常連さんだ。3年前に水戸で単身赴任生活が始まり、自分の好みにあう飲食店をしばらく探すうちに、宝珍楼にたどり着いた。「最近はどこでもヘルシー志向だけど、ここのチャーハンはラードをたっぷり使ってて、他の店では食べられないんですよ」と話す。最終日のお昼に選んだのも、青中とチャーハンをワンプレートに盛った「茨大混声合唱団グルドセット」。「チャーハンの上に焼肉が載ってる、これが最高なんです」と満面の笑みを浮かべた。

houchin6.jpgグルドセットを食べる小林さん「これからどこでお昼を食べれば...」

 ラードを使ったボリューム満点のメニューというのは、いかにもキャンパス前の食堂という感じだ。一方で31年間、学生たちと接してきたマスターは、「昔に比べると、最近の学生さんは少食になってきていますよね」と語る。

 最近は女性の利用客も少なくない。教育学部2年生の安間さんは、同じ学部の友人と先輩と女性3人で最終日前日に訪れた。決して「常連」ではなく、サークルの新歓で来たことがあるぐらい。それでも閉店と聞いて、オープン前の10時半から並んだ。さらにそのうちのひとりはこれまで利用したことがなく、「最初で最後の来店」となったが、いつも茨大前のバス停でバスを待ちながら、お店から漏れてくる食事の香りを感じていた。「お店で食べたことがない人にとっても、『そこにあって当たり前』の存在になっていました」と語る。

 若い学生たちに愛されてきた宝珍楼だが、マスターもまた、若い学生たちが好きだった。「その時代時代で変わる話を若い人たちから聞けるでしょ。私もそれで若く、元気でいられる」。

 体調の悪い日はもちろんあった。しかし、マスターはいつも笑顔でいることにこだわって、多少身体がしんどいときも厨房に立ち、元気に振舞ってきた。小学5年生のときの調理実習をきっかけに興味をもった料理は、自分にとって天職だった。まだまだ重い中華鍋も振ることができる。それでも閉店を決断したのは、一緒にお店を始めた妻のケガがきっかけだった。

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 去年の6月までアルバイトをしていた大学院理工学研究科M1の田口翔太さんは、古生物学の研究をしており、お店では「アンモナイト」と呼ばれていた。アンモナイト田口さんは電話で閉店を知った。後日、客として食べに行ったところ、マスターから「画用紙買ってくるからさ、『閉店します』っていう貼紙を書いてよ」と頼まれた。「バイトやめた僕でいいんですか?」と思ったが、マスターの背中から多くを学んだひとりとして嬉しかった。

 マスターの言うメッセージを黒のマジックで書いていく。その画用紙を受け取ったマスターは、ボロボロのクレヨンを使って、それらの文字をカラフルにデコレーションしはじめた。「えっ??こんな残念なメッセージをそんなにポップにしちゃうの?」と田口さんは思ったというが、「でもそれがマスターらしい」とも笑う。

houchin8.jpg自らが書いた貼紙の横に立つ「アンモナイト」田口さん

 マスターにとって茨城大学はどういう存在なのだろうか。そう聞くと、「大きな声ではいえませんけど、茨大前というのはお金を儲ける策でしたから」と冗談めかしつつ、「ここは私のふるさとですよ。飽きっぽい私が31年間もやってきたんですから。それは若い人と話すのが好きで、この場所にも自分が合っていたということですよね」と話してくれた。

 仕込みをしていると、3人の若者が「おはようございます」と厨房に入ってきた。ネパール出身というこの3人は、宝珍楼から少し離れた場所で「ガンジー」というカレー店を10年前から営んでいたオーナーと、そのスタッフだ。ガンジーも茨大生御用達のお店だったが、数ヶ月前に火災に見舞われてしまった。そんな中、オーナーのロメスさんとマスターが出会い、宝珍楼のテナントをロメスさんが引き継いで、新たな「ガンジー」としてリニューアルすることが決まった。3月半ば頃の開店をめざし、現在厨房を手伝いながら勝手を覚えているところだという。

houchin9.jpg厨房に入るロメスさんたち マスターからの信頼も厚い

 連日途切れぬ行列を目にしているロメスさんは、「人気のあるマスターの味も少し受け継いでやりたい。来た人たちに『こういうものを食べてたな』と思ってもらえるように、これからはカレーだけでなく、ラーメンとかいろんなメニューを出したいです」と話す。マスターの想いが、人の国境を越えてまたつながろうとしている。

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 マスターは心底この仕事を愛している。「妻の調子がよくなったら、また小さくてもいいからやりたいな」と語る。田口さんはマスターに言われるままに、貼紙の端っこに、「※またお会いしましょう...」と小さく書いた。マスターは、この部分を一番カラフルにデコレーションした。

(取材・構成:茨城大学広報室)

※マスター、31年間お疲れ様でした。茨城大学は宝珍楼を忘れません。これからもお元気でいてください!