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日立・高萩の巨大な電波望遠鏡が探る宇宙の神秘―10年目を迎えた茨城大学宇宙科学教育研究センター

レポート

 茨城大学宇宙科学教育研究センターは、今年で開設から10年目の節目を迎える。常磐自動車道を車で走行していると、日立市と高萩市の境のあたりで、2つの大きなパラボラアンテナの姿が目に入る。口径32mという巨大なこのアンテナの正体は、宇宙電波望遠鏡。天体からの電波情報を受信することでその姿を捉えるというものだ。宇宙科学教育研究センターはこの2つの電波望遠鏡を運用して、星の誕生や銀河の進化を探求している。4月からは理学部の附属施設としてリニューアルされるセンターの歩みを振り返る。

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 2月20日、理学部棟インタビュースタジオに天文関連の研究者、学生たちが集まった。開催されたのは「高萩・日立32m電波望遠鏡によるサイエンス」と題した研究会。茨城大学では「宇宙科学教育研究センターを核とした宇宙惑星科学教育研究の新展開」が重点研究に指定されており、その報告会として企画された。

 最初に登壇したのは、横沢正芳・初代センター長。現在は茨城大学を定年退職し、放送大学の教授を務めている。横沢氏は、2基のパラボラアンテナを茨城大学が運用することになった経過を紹介した。

space2.jpg宇宙センターの経緯を振り返る横沢初代センター長

 これらのアンテナはもともと、通信会社KDDIの所有物で、通信衛星用に使われていたものだ。ここを拠点に、史上初となる国際テレビ衛星中継の受信実験が行われたのが1963年のこと。そのとき米国から受信したのは、ケネディ米国大統領が暗殺されたあのパレードの模様を伝える内容だった。世界の衛星通信の歴史に功績を残したこのパラボラアンテナは、電気工学・電子工学技術の権威ある学会である「IEEE」から技術遺産としての認定を受けている。

space3.jpg1995年に撮影された上空写真

 この地にはこれまで5基のパラボラアンテナが設置されていたが、2007年にKDDI茨城衛星通信センターが閉所することになり、その少し前から、当時残っていた2基のパラボラアンテナの学術機関への移管が検討されるようになった。以降、数年間の検討を経て、跡地は高萩・日立という地元自治体が管理すること、アンテナ2基は電波望遠鏡として整備して国立天文台の所有とすること、そしてその運用は地元の大学である茨城大学が担うことが決まった。

 その後、宇宙科学教育研究センターでは、すべての学部に開かれた教育・研究施設として歩んできた。現センター長の百瀬宗武理学部教授によれば、これまで施設を利用して卒業論文を完成させた学生が37人、修士論文では22人。多くの学生たちが巣立っていった。さらに地域社会と連携した取り組みとして、小中学生や高校生にサイエンスのおもしろさを伝えるためのワークショップや見学、イベントを実施。さらに、年に1回、「公開天文台」として施設の一般公開イベントも行っている。

space4.jpg現センター長の百瀬教授

 センターの開設からは10年目を迎えたが、このアンテナによって定常的に観測ができるようになったのは5年前のことだ。2009年4月から宇宙電波望遠鏡としての開発が始まったものの、2011年の東日本大震災により一時ストップ。2013年3月に開発がほぼ完了し、その後定常観測モードに入った。現在、複数のモードで観測を実施している。

space5.jpg現在の主な観測モード(米倉准教授のスライドから)

 高萩側のアンテナと日立側のアンテナとの間の距離は260m。近距離で2基のアンテナが設置されていることで、1基だけではできない「連続波観測」という観測ができるというのも強みだ。

 また、宇宙惑星科学の研究は、日本中、あるいは世界中の観測網を駆使して行われる。たとえば、茨城大学も貢献している活動に「全日本VLBI」がある。「VLBI」とは、離れた場所にある電波望遠鏡に届く星の電波を干渉させる「超長基線干渉計」という技術のことで、望遠鏡が離れるほど、また、周波数が高いほど解像度が高くなる。最近では、2015年に、日本で初めて230GHzという高い周波数での電波干渉計実験に成功。センターの米倉覚則准教授は、「現在の天文学において、理論的には予測されている『ブラックホールの存在』を観測的に初めて明らかにするための、非常に大きな一歩」と語っている。

 光学望遠鏡のように、覗けば星の姿がそのまま見えるわけではない。しかしながら、世界中の大電波望遠鏡がタッグを組み、深遠な宇宙の神秘を探っているという姿には、ロマンを感じずにはいられない。宇宙科学教育研究センターの挑戦はまだまだ続く。

space6.jpg電波望遠鏡の下に立つ米倉准教授

(取材・構成:茨城大学広報室)