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教育学部附属中で60周年式典―大井川知事ら先輩たちが贈った言葉とは

レポート

fuzoku601.jpg 茨城大学教育学部附属中学校は、茨城県師範学校男子部の附属中学校をルーツとする附属学校をルーツとする附属水城小中学校と、同女子部の附属学校の系譜である附属愛宕小中学校が統合される形で1958年に誕生し、今年(2018年)で60周年を迎える。2月1日には記念式典が茨城県民文化センターで開催され、現役の全生徒の出席のもと、茨城県の大井川和彦知事や参議院議員の藤田幸久氏など、各界で活躍する卒業生も駆けつけ、生徒たちにメッセージをおくった贈った。


●茨城県知事 大井川 和彦 氏(1979年度卒)

fuzoku602.jpg「私が中学校1年生のときがちょうど20周年の記念で、そのときもらった文鎮は今も持っている。それから附属中もどんどん進化しつづけていることを実感している。

 中学時代は子どもから大人への中間地点で、多感でいろんなことを感じたり学んだりする時期。自分も得がたい経験をした。私の場合、日立市の小学校から受験をして中学校に入ったという経験は、その後がんばろうという原動力になったし、附属中学校の生活を楽しんだ。

何よりも友達ができたこと。今でもつながりがある。仕事抜きで付き合える仲間の存在は大きい。それから思い出深いのが合唱コンクール。2年生のとき学級委員長で、合唱の練習も一生懸命クラスをまとめて取り組んだが前評判が悪かった。ところが本番で優勝。人生では初めて男泣きした。

それから宿泊学習。家族があまり旅行が好きではなかったので、日光や会津などへ出かけて登山をしたのが楽しかった。

また、勉強については、クラスのみんなから刺激を受けた。みんな、すごく勉強する。そのとき、週間スケジュールを立てさせられ、実際できたかどうかをチェックする。人生で大事なことは、ちゃんと計画を立てて、やってみて、何がうまくいったかいかなかったかを分析して、もう一度やり直す。勉強も仕事もすべてこれです。それを附属中学校で初めて学んだ。

部活は野球部。僕はサードの5番だったが、本番になると緊張して暴投してしまうものだから、「暴投サード」と言われて足を引っ張っていた。

附属中学校での生活を存分に楽しんで、この60周年からさらにさらに発展するように、みなさんがんばってほしい。これから7年後、8年後、9年後、みなさんが社会人になるころには、社会は大きく変わっているはず。高齢化が進み、人口が減り、今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなる。人工知能がいろんな仕事をとって替わるようになる。すべてがネットにつながって自動で動いたり運転したり...今までの常識がどんどん変わる変化の激しい時代に対応するためには、コマのように、周りが回っても立っていられる軸をつくることが大事。そういう軸をつくり、充分に活躍できる人材に育ってほしいと思う。」


●参議院議員 藤田 幸久 氏(1965年度卒)

fuzoku603.jpg「附属中にとって歴史的な年に中学時代を過ごしていた。今みなさんが勉強している校舎が新しくできたのが、私が2年生のとき。その前はもともと陸軍の兵舎として使われていた建物だったが、そのうちの半分がまずできて、2ヵ月後に東京オリンピックが開催された。それから正面にあった茨大の学生寮が目の前で火事になったこともあった。

(当時の思い出としては、)修学旅行のほかに上小川のキャンプというのがあり、私はキャンプの村長をやった。もうひとつはサッカー部で、県大会で準優勝した。決勝戦で笠間中学校に負けた。オウンゴールだった。それにより、負けることもあるんだな、でもまたがんばろう、という気持ちを学んだ。

ところで、数年前に天皇皇后両陛下がパラオのペリリュー島を慰霊訪問された。このペリリュー島で米国兵と戦った日本兵は、そのほとんどが水戸第二連隊、つまり今の茨大あるいは附属中のあるところで活躍をしていた方々で、約1万人のほとんどが亡くなった。私は、自分たちがそういう場所で学んでいたんだ、ということを数年前まで意識していなかったが、やはり歴史に学ぶということが大事で、それから私も、戦争というのはどういうことになってしまうかということを改めて実感すべく勉強している。ぜひみなさんもこのペリリュー島のことなども勉強し、今の世界、戦争と平和ということについて考えてほしい。

さて、昨年トイレを改修したいということになった。私が中学生のときにできたトイレがそのまま使われていたのだ。それで改修し、この前私も見に行ったが、トイレはきれいになったものの、壁は穴が空いていたりしている。そうした背景には、国立の学校の置かれている厳しい状況がある。去年、文科省の審議会では附属中学校や高校の入学試験はやめろ、学力で差別するなんてけしからん、という話が出たが、私たちは、附属中というのはリベラルで、そんなにガリ勉でもなく、それでいろんな人を輩出しているということを理解してもらった。公立、私立に比べて国立の学校というのはハンデがあるが、ぜひがんばって、自由な学校生活を送ってもらうような支援をしていきたい。

 中学時代の友達は家族以上に親しい。一番何でも言い合える。ぜひみなさんも、高校、大学とは違う形で、家族以上というような友人とのつながりを育んでほしい。また、卒業生、保護者のみなさんを通じて、附属中学校のいいところを社会貢献へとつなげてほしい。」


●茨城大学 三村 信男 学長

fuzoku604.jpg「この60年以上の間に1万人以上の卒業生の方を送り出し、県内外のさまざまな分野で活躍されている人材を輩出していることはわかっていたが、今日この場に来て、大井川知事、藤田参議院議員といった先輩の方々の話を聞いて、附属中学校の自由な雰囲気、その中で高い方向を目指して努力するような多くの仕掛けがあり、そういう環境で人材を輩出しているということがよく理解できた。また、生徒のみなさんがたくさん参加しており、受付や案内もこなし、生徒中心で運営されているということも印象的だった。

 ここで、生徒のみなさんにどのように育ってほしいか、ということを伝えたい。今の世界は大変急速に変化している。グローバリゼーションという言葉はご存じだと思うが、いろんな国の人たちが国境をこえて活躍している。人口知能、ロボットなどさまざまな技術がどんどん進化している。みなさんが社会人になって過ごす世の中は、われわれが想像できないものになるかも知れない。そうした変化の激しい中で、自分の人生を切り拓いたり、社会のために仕事をしたりしようとするなら、変化を恐れるのではなく、挑戦していくための力が必要となる。さらにそれを自分たちの仲間だけでやるのではなくて、国や文化や言葉の違う人たちとよく話し、よく聞いて、一緒に問題解決する力が必要だ。さきほどの話を聞いて、まさに附属中は、60年の実績の中で、そういう力をつけるためのよい仕掛けを積み重ねてきた。在校生もどんどん参加し、こうした力を培っていただければと思う。

今日はみなさんも先輩の話を聞いて参考になったこともあると思うし、配られた記念誌を見ると、友達がこういうことを考えているんだな、感じているんだな、とお互いにわかることがあると思うが、今回の60周年の記念式典を契機にして、さらに新しい未来へ向けて附属中学校を前進させていただきたい。茨城大学としても教育学部とともに附属中学校の今後の発展を支援したいと思っているので、一緒に力をあわせてがんばっていこう。」


●茨城大学教育学部附属中学校大同窓会長 佐藤 衛 氏(1968年度卒)

fuzoku605.jpg「卒業してほぼ半世紀を過ぎようとしている。当時は校庭に小石が非常に多く、朝礼のたびに小石拾いをしてきれいにしたという記憶が鮮明に残っている。そして、学区も今より広く、日立、土浦が学区で、荒川沖から通っていた同級生もいた。

また、私の3人の子どもも附属中でお世話になり、PTAもやらせてもらった。実は全国国立大学附属学校PTA連合会の会長もさせてもらったが、当時、大阪教育大学附属池田小学校の痛ましい事件が起きた。もともと附属は地域に開かれた活動をいろいろとしていたのだが、学校の安全という大きな命題のもと方向転換をしなくてはならなくなったということもあった。

さて、同窓会も第60回ということで今年の卒業生たちが入ると、会員も1万人をこえる大きな組織となる。政財界はもとより、教育界、科学や芸術など各界で活躍されている大先輩がたくさんいるということは、今年発行した同窓会名簿を見るとわかる。私たち同窓会の事業としては、同窓会名簿の発行、周年事業への参画が主な事業だが、60周年を迎えるにあたり、附属中学校の教育や設備拡充の援助、スクールボランティアの積極的な支援と参加、

記念事業の開催など、学校の発展、会員の親睦を図る活動をこれからも続けていきたい。」


 各界で活躍する諸先輩たちのメッセージを受け、統合60周年事業実行委員会の委員長を務めた3年生の川勾恒太郞さんが挨拶を述べた。

fuzoku606.jpg「私たちの通う附属中学校は、茨城大学教育学部附属水城小中学校と、愛宕小中学校を統合して、昭和33年4月に現在の地に発足しました。そして今年度(平成29年度)、統合60周年を迎えました。私たちは、この60周年事業を成功させるために、統合60周年事業実行委員会を組織し、活動しました。記念歌の作成や、航空写真の撮影、企画などを行ってきました。10年に1度の記念の年にめぐり合えたことは、文字通り奇跡です。そしてこの60年間で、約1万人の方々が本校を卒業されました。その方々が今までの歴史を作ってくださったことを、忘れてはいけません。私たちは、その方々に感謝をしなければなりません。また、毎日弁当を作ってくれる母や、心の支えになってくる父などをはじめ、家族への感謝を忘れてはいけません。他校とは異なるよさをもつ附属中の生徒として通学できることも家族のおかげです。私たちの附属中での学校生活は、先生方やバスの運転手の方など、大勢の方々に支えられています。

現在私たちは附属中の生徒ですが、将来は社会人となり、社会に貢献しなければなりません。本校で学んだことをこれから活かしていく必要があります。そのために、本校で学んだ自主性や、道徳心、リーダー性などを育むことが大切です。しかし、私を含めた3年生のみなさは、3月に卒業してしまいます。そこで1、2年生のみなさんには、この歴史を止めることなく、これからの附属中生へと受け継いでもらいたいと思います。そして、この附属中学校を、60年前からの伝統を残すとともに、現在よりも良い生活を送れる学校にしてほしいです。このあと唄う記念歌「みち」は、これまでの軌跡と未来に向けての想いが歌詞になっています。さきほども言いましたが、10年に1度の年にめぐり合えたこと、そのものが奇跡です。そのめぐりあわせに感謝して、結びとさせていただきます。」


 川勾さんがスピーチで述べているとおり、今回の統合60周年を記念し、生徒たちと音楽科担当の井上寛士教諭が記念歌を作った。「みち」と題されたこの曲の歌詞からは、生徒たちの今の思いが伝わってくる。

みち(60周年記念式典歌)

 作詞・作曲:60周年記念式典実行委員会
 編曲:井上寛士

雨がふり 日がのぼる 何気ない毎日
時たまに 風が吹き 雪と共にさくらが舞う
時には険しいこともある 山道だけれど
登り切ったその先に 何かが待っている
どんなに苦しくてもあきらめない
明日への希望はどこへ? ...答えなんてないけれど
積み重ねてきた日々が 私の自信となって ここに息づいている
反芻したくなる思い出と
涙と笑顔がここにある 私たちの青春は ここにある

不安げに たちどまり 後ろ振り返ると
今日までに あゆんできた みちが確かにあった
放課後の 教室に響く歌声と慌ただしい舞台裏
輝くステージ
自分で決めたみちを 胸に信じて
その先のみちには何が? ...答えなんてないけれど
先輩の思いによって守られた大切な
涙と笑顔がここにある 私たちの青春は ここにある

知らぬ間に時は過ぎてしまうけれど
僕らがここにいた証が 答えとしてここにある
傷つけ合ったとしても 許し合い微笑み合う 全てが今をつくる

反芻したくなる思い出と 涙と笑顔がここにある
私たちは声援を背に 走り抜ける
どんなに年月を重ねても ここにいた証が軌跡となる
私たちの青春は(終わらない)
この歌声で僕たちの思いをつなぐ ああ

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(取材・構成/茨城大学広報室)