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ノーベル賞受賞者・野依良治さんが若者へ託したメッセージ―茨城大学理学部創立50周年式典記念講演

レポート

 10月20日に行われた茨城大学理学部創立50周年記念式典では、ノーベル化学賞受賞者の野依良治さんがスペシャルゲストとして登壇し、多くの中学生や高校生を含む約400人の来場者に、科学者としての自身の歩みとこれからの社会を切り拓く上で人類や科学に求められることを熱く語った。科学の未来を担う若者へ託すメッセージとは―

noyori1_R.JPG「私は若い人たちの味方です」―壇上に立った野依さんは、開口一番こう宣言した。水戸駅前のホテルの会場に、溢れかえるほどに集まった参加者たちの半分以上は、中学校や高校の制服を身にまとっている。野依さんがノーベル化学賞を受賞したのは2001年。中学生たちが生まれる前のことだ。

 第二次世界大戦が終わり、焼け野原となった日本にも復興の兆しが見え始めた1949年、湯川秀樹博士がノーベル物理学賞を受賞した。当時小学生だった野依少年にとっても湯川博士は憧れの存在だった。その2年後、父親に連れて行かれた東洋レーヨン(現・東レ)の工場で、ナイロンが石炭と水と空気から生まれたことを知り、「ほとんどタダみたいなものからこんなものが生まれるなんて」と衝撃を受けた。それが化学や技術への興味につながったという。

 そうして大学に進学して所属したのが有機化学研究室だった。当時の大学の研究室は、今と比べると実験設備も限られており、当然パソコンどころかワープロもない時代だった。「あるのは若者の科学に対する好奇心だけ」。しかしその環境の中で、野依さんは後のノーベル化学賞受賞につながる「不斉合成反応」の原理の発見に至る。分子の中には、左手と右手のように鏡写しの構造になると性質が変わるものがあるが、その左右の化合物の人為的な作り分けを可能にする大発見だった。このとき、野依さんはまだ20代だった。

 当時を振り返り、野依さんは「欠乏や貧困という状況において、科学に対する好奇心が重要な成果を導き出す。『創造』は『想像』から生まれる」と語る。さらにそこで必要となるのが、「独創」だけでなく「共創」だという。「ブレイクスルーはどんな天才、秀才でもひとりでは達し得ない。科学者同士のネットワークによる共創こそがイノベーションにつながるのだが、日本は内向き志向で、その認識が不足している」と野依さんは指摘する。「バラバラに研究していては意味がない。異に出会うことが個人の視野を広げる。直接的な人のつながりに勝るものはない。戦争を避けるためにも、他者との共感を育み、孤立化を避けなければいけない。それが今の日本にとって何よりも重要だ」と、強い口調で来場者に呼びかけた。

noyori2_R.JPG そして野依さんの視線は、さらなる未来へと向けられる。人類の地球資源の消費は、生産のスピードを大きく超え、その生活がずっと続けば、地球の資源はすぐに枯渇してしまう。しかし、現代社会はその責任を回避している。「産業技術の急速な進歩に比べると、倫理的・社会的な進歩はあまりに遅い」と野依さん。集まった中学生や高校生にこう問うた。

「君たちはいったいどこへ行こうとしているのか。何をしたいか、どういう社会をつくりたいか、良く考えてほしい。時間は限られている」。

noyori3_R.JPG こうした野依さんのメッセージは、中学生や高校生たちの心に響いたようだ。講演後の質疑応答で、我こそはと手を挙げたのは、まさに若い彼ら、彼女たちだった。野依さんは、ひとつひとつの質問に、身を乗り出すようにしながら真摯に応えていた。

noyori4_R.JPGnoyori5_R.JPG 中学生の女子は、「イノベーションを生み出すこと、未来に責任を担うことは容易ではありません。その中で、中学生の私たちは何を学び、実践すべきでしょうか」と質問。野依さんは、「自学自習。興味をもって自らの頭で考え、学び続けること」と答えた上で、理学部をはじめとする大学の教職員が多く座る前列の方に視線を移し、こう訴えた。「そういう子どもたちの自学自習を促す忍耐と寛容を、大人たちがしっかり持つことです」。

「科学とは、真っ当な自然観、人生観を醸成するもの」と野依さん。その科学の未来を担う若者たちを応援するためにも、「大学は自虐的な敗北主義であってはならず、工夫をし続けなければならない」。野依さんの眼差しと私たちへ突きつけられたメッセージは、温かくも、きわめて厳しい。

(取材・構成:茨城大学広報室)